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COLUMN |
SURF COLUMN 2007/7/18 |
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『第6回目 FREERIDEの想い出(後編)』→前編はこちら
この時僕が観た映画『FREERIDE』は、 ファースト・エディションのものだった。 つまり正真正銘のオリジナル版。 この伝説的な映画は、 その後80年代初頭のファイナル・エディションまで、 時代の変化に呼応する形で何度か改訂が繰り返される。
現在のように、ビデオを使って比較的簡単に作品が作れてしまう時代とは異なり、16mmとはいっても、映画を製作するには大きな労力と不屈の精神力が必要だったそんな時代。 ほぼ毎年のペースで、 サーフシーンの最先端をFILMに記録し、 そして編集を施し、 そこに旬な音楽を付け発表していたビル・デラニーという人の一連の仕事は、 まさに20年~30年後を先取りしていたといっても過言ではないだろう。 考えてみれば、実は大変な偉業だったと、 今にして思う。 そしてこのオリジナル版にも、 勿論あの時点での時代の最先端が記録されていた。
映画冒頭のホノルア・ベイのパーフェクションとMR。 オーストラリアのデュランバーやベルズビーチを滑るラビットやマイケル・ピーターソン。 まだまだ未開だったバリのウルワツ。 そして巨大なパイプラインへのバックサイド・アタック等・・・。 既に高度成長期を経て、 とても豊かになっていた当時の日本ではあったが、 それでも貧乏学生の分際では、 おいそれと海外なんぞには出掛けられないそんな時代だ。 僕らは映し出される波と、 そこに展開されるサーファー達のパフォーマンスはもちろん、 そこに漂うハワイやオーストラリアの空気までをも感じ取ろうと、 食い入るようなまなざしで、 16mmの暗いスクリーンに釘付けになっていたのだった。
会場が怒濤のような歓声に包まれたというオープニングは、 ダン・マーケルによるチューブの裏側からの水中ショットだった。 今では誰でも撮る見慣れたショットになってしまったが、 当時としては画期的なその美しい映像に感嘆したのか、 ふだんは滅多に感想を述べたことのない僕の友人がボソッと言った。
「うわー、 サーフィン映画って綺麗なんだねえ・・・。」
そう!僕もまさにそう感じていた。そしてその時こそ、 僕にとって新しい魅力的な映画の世界と出会った瞬間だった。僕は、 まるで自分の進むべき道を指し示してくれているような、 そんな気分に浸ったのだった。
話はちょっと横道にそれるのだが、 中学生の時に、 クリント・イーストウッドの 『荒野の用心棒』 を、 はじめて親同伴ではなく独りで観て以来、 一心不乱で映画少年道を突き進んできた僕は、 学校も芸術大学の映画学科へと進んでしまったそんな男だ。 そしてはじめて浮気したのがまずはバンド ( これはハシカみたいなものですな )。 そして次に、 浮気では済まなくなるくらいにハマったのが波乗りだった。
そんな僕が出会ってしまったのだ。 サーフィン映画という禁断の世界に・・。
あの日以来僕は、『FREERIDE』の幻を追い続け、 波乗りと映像の極めて高い次元での融合を夢見る、 変な業界人になってしまったのだった。
そしてビル・デラニーは90年代初頭に『Surfers the movie』を製作して以来、 ひたすら沈黙を守り続けている。
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