『第3回目』
なんだか最近、健康で環境に優しい、自然に回帰したような優しい人達・・いわゆるロハスな人達で世の中いっぱいです。波乗りの世界もご多分に漏れず。海という母なる自然を相手にする遊びだけに、ロハスな考え方の・・まさに最先端を業界全体で実践しているかのような、そんな印象を受けているのは僕だけでしょうか?
それは雑誌を紐解けば一目瞭然。
例えば記事に関して言うならば、確か数年前までは、コンテストシーンとかサーフトリップとか、あるいは誰々が凄い波に乗ったとか、そんな波乗りの世界そのものを大きくフィーチャーした内容が大半でしたよね。しかし最近は、そんな専門誌的色彩もさることながら、サーファー達のオーガニックなライフスタイルに的を絞ってみたり、アートや音楽といった波乗りのよりカルチャー寄り側面を取り上げてみたりと、けっこう変化してきてます。
さらにアパレルメーカーの広告やタイアップ記事に眼を通すと、今までその中心を成していたファッションとしてのアプローチ、例えばスタイルやデザインといった見た目の印象やイメージをアピールする広告戦略は影を潜め、オーガニックやリサイクルといった、内容や素材そのものからのアプローチがひじょうに顕著になってきているように見受けられます。
こういった波乗りの世界におけるロハスな傾向。一体いつ頃からだったかなあ?
トーマス・キャンベルの映画“sprout”あたりから?そうだったかも知れないですね。
あれ以来、音楽やったりアートやったりするサーファーが、えらく増加したような気がします。
今やビーチには、オーガニックのTシャツを着て、口元に明るい微笑を浮かべた、人にも自然にも優しい素敵なサーファー達が溢れています。おまけにギターやウクレレでもつま弾ければ、最高にロハスなサーファー像ですよね。
もちろんこういった傾向を、批判したり茶化したりするつもりは僕には毛頭無いのですが、どうも世の中の趨勢として多勢が動き出すと、途端に居心地が悪くなるのが僕の悪い癖でして、この波乗りのロハス的展開に関しても、同様な違和感を憶えてしまうのです。やっぱサーファーは、アウトサイダーに限るよな・・みたいな。そんな気持ちがふつふつと、身体の奥に沸いてきてしまいます。
それは僕が、波乗りという遊びを、ひじょうに個人的な遊びだと位置づけているからなのです。結局のところ波乗りは、自分勝手な自分ひとりの喜びのための行為なんだと。その喜びを獲得するためには人になんか優しくしていらんねえんだ!という感覚が、サーファーの健全な感覚なんだと。だから波乗りは、本来的にみんなで楽しく的なシェアの発想とは対極に位置し、故にサーファーはアウトサイダーにならざるを得なかったんだと。そういった認識が僕の根底には常にあるのです。
ピースフルでオーガニックで人なつっこい現代のサーファー達。波をシェアし合い喜びをシェアし合う彼らの存在が、底辺を拡げる事に大きく貢献している事は認めつつ、やっぱ違うんじゃないのおー?という思いが、胸中せめぎ合ってしまう僕は、やはり古いオヤジなのでしょうか?
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