ヤダじゃねえ~。ま~ず、急に寒くなるもんで体がこええわ(だるいわ)。
兄さん、さみいでお茶飲んできましょ。さあ。さあっ!
なんで‼︎ いいじゃん‼︎‼︎ ちょっと寄ってきましょ。
なんで⁉︎いーじゃん‼︎‼︎ 飲んでき!
なんでっ⁉︎ ぬわぁんどぅえっ⁉︎
こんなジジイババアの会話が聞こえてきそうな白馬村から今回も長澤隊長がお届けします。
さて、カナダから帰国後、メグルの紹介でRANDOM(後のACADEMY)というブランドからサポートしてもらえる事になりました。うれP‼︎ 他にもスポンサーを見つけるため、好きなブランドの代理店に今まで撮ってきた映像を送りつけました。しかし、若気の至りか、情熱が先走ったか、手紙も添えずにただテープだけ送ってたので、一体こいつは何がしたいのかと、各方面で気味悪がられてたみたいです。てへ。そんな中でも、言語障害の僕ちんの意思を汲んでくれた代理店の方もいて、なんと!大好きなIRISとTECHNINEにサポートしてもらえる事になりました‼︎マンモスうれP‼︎
カナダの次は今度はアメリカにも行きてえ!って事になり、次の冬はユタ州のソルトレイクに行く事にしました。メンツはカナダで知り合ったデヴァン君こと、HIGH LIFE D。タカシット。オクケン坊。大阪のケンチョ。未だになんでこの普段全然つるんでないメンツで行ったのか思い出せないけど、なかなか謎、且つ、強烈なメンバーでした。多分、ケンチョがアメリカ行くっつーから、俺も行きてえ!つって、無理やりついて行ったのかな?俺はみんなより後から行って合流したんですが滞在してたとこもなかなか謎でして、街の中の普通のビジネスホテルみたいなとこで、そこの広い二人部屋になぜか男五人がぎゅうぎゅうで泊まってました。しかもホテルの人もそれはわかってるけど何も言ってこなくて、毎朝スーツ姿のビジネスマンに混じりみんなでバイキングの朝食も食べてました。ありなんすかね?こういうの。よくわかんねけど流石、自由の国。
ソルトレイクの街はKINGPINなんかのヴィデオでよく出てくるレールのスポットがそこかしこにあって、ちょっと足を伸ばして山へ行けば、ブライトン、アルタ、パークシティー、フラッグスタッフなどなどいい山がいっぱいあります。俺達はブライトンのシーズンパスを買い、スキー場は基本的にそこで滑ってました。先に現地入りしていたみんなは既に、カズマというソルトレイク在住の日本人フィルマーと繋がっており、彼が俺らを色んなスポットへ連れていってくれて、映像も撮ってくれてました。カズマはアメリカ生活が長いので独特なノリと日本語で面白い奴でした。あれ以来会ってないけど元気してっかな~?レールの有名な公園に行けばマイキーレブランがふらっと雪の様子を見にきたり、ブライトンの林の中で滑ってたらBJライネスがスーッと滑ってったり、ちょいちょい有名人にも遭遇しました。ストリートもバックカントリーも色々行けたし、ここでは言えないような珍事件もあったりしてかなり思い出深き旅になりました。
『ソルトレイク郊外のブライスキャニオンにて。ケンちょがいないけど。左の人はモルモン教の神父さん。』
その頃は白馬の冬もガンガン盛り上がっていて、昼間八方でテキトーにゴンドラ回してれば絶対篭りの誰かと会い、一緒に滑り始め、滑ってくうちにまた他の奴らと会い、どんどん人数が膨れ上がっていくという現象がよくありました。夜は夜で栂池のNAUGHTYに遊びに行き、酒をのみながらミニランプでスケートして朝から晩まで、時には朝から朝まで楽しんでました。今考えるとタフだなあ~。NAUGHTYの壁には、当時俺らの心の指南書、空手バカ一代の大山先生の絵を描かせていただいたのですが、知らない人からしたら単なるホラーでしょうね。また五竜のSAUCEというバーではルイミナ展というアートイベントを毎月主催してて白馬界隈の鬼才達とセッションしてました。あとはQUIETSTORMとHITOTZUKIが来た時もやばかったな~。高浪の池も楽しかった。
とにかく、パーティーがやたら盛り上がっていて、本当にしょっちゅうパーティーしてました。おめでたいですねえ。白馬でこれだけパーティーが盛り上がったのは、なんつってもユーチとケンケンのREV2000の功績でしょうね。二人が最初やってたカウントダウンパーティーなんてホントに酸欠するんじゃねえかっつー勢いの熱気でした。いい思い出です。
左:『NAUGHTYに描かせていただいた大山先生。』 右:『ルイミナ展。毎月テーマを決めて、そのテーマに沿ったアート作品を持ち寄るイベント。』
左:『GATTABOUZとREV2000のパーティー。楽しかったなあ。』 右:『糸魚川、高浪の池での野外イベント。今見てもすごいメンツ。』
順調に進んでいたように見えていたCHAPTERですが、その頃突然消滅してしまい、ヤベ~、撮影しても出すとこがねえって焦ってた時に立ち上がったのがPORNOこと今野昇君でした。本編よりも長いおまけ映像、斬新な編集、ひたすら内輪ネタ、さらに無料配布、極め付けのタイトルが『だっふんだ』という氏のライディングからも滲み出ている変態性が遺憾無く発揮された作品でした。なのでジャケットデザインを任された俺も氏の期待に応えるべく悪ふざけの限りを尽くしてデザインさせてもらいました。ぐへへ。あとその頃メキメキと頭角をあらわしてきたのがオカマトこと岡本聖。聖って書いてもヒジリじゃないですよ、皆さん。サトシです。さ・と・し。俺らはズーーーーーッとヒジリだと信じて疑わずそう呼んでいたけどある日サトシだったという事が発覚し、それ以来誰もヒジリとは呼ばなくなりました。
今となっては多くの外国人が訪れる白馬ですが、その頃すでに何シーズンもかけて撮影に来ているクルーがいました。その名もPRIVATEクルー。ベルギーからの刺客です。本国でPRIVATEという、いかにもヨーロピアンらしいハイセンスなアパレルブランドを展開していて、ムーヴィーも作ってて白馬の裏山やストリートを攻め込んでました。リーダーのユリはかなりイケメンだけど、スノーボーダーのアホなマインドというのは世界共通なようで、俺らが教えたエロい日本語を楽しそうによく発してました。
また、ある日、山に撮影に行った際、軽トラの荷台にユリ達を乗せて運転していると、コンコンと窓を叩いてきて、なんズラ?と思い座席の後ろのガラスを覗き込むと俺らの視界に飛び込んで来たのは菊の門。いわゆるアヌスでした。アホですねえ~。まあ、でもアホだけじゃなくて、かっこいいとこはちゃんとかっこいい、イケてるクルーでした。
スポンサードされてたRANDOMはACADEMYに変わり、当時栂池のパークディガーしていた事もありACADEMYの代理店のFIRST MMT主催でRIDERS DELIGHT(元ネタはシュガーヒルのあれね。)という大会をさせてもらう事になりました。思い出深いのは第3回で、起伏に富んだゲレンデコースの自然地形を利用して、キッカー作ったり、レールを設置したりしてナチュラルスロープスタイルをやる事にしました。コースも面白いのができ、人数もそこそこ集まって、こりゃおいとんでもねえ事になるんじゃねえか~?なんて思ってたのですが、大会当日は4月だというのに季節外れの吹雪…。視界最悪、ある意味とんでもねえ事になってしまいました…。まあ、でも同級生のケイが優勝したり、みんなそれなりには楽しんでくれたみたいなんで良かったです。
左:『だっふんだ3の裏ジャケ。こんな悪ふざけが7まで続きました。』 右:『RIDERS DELIGHTのフライヤー。天気さえ良ければ…。』
ACADEMYには、怪我をしていたヤットの代打で2度、コロラドで行われていたチームミーティングに参加させてもらいました。場所は1回目がカッパーマウンテン、2回目はブリッケンリッジでした。どちらも、春のすでにクローズしたリゾートのパークを貸切り、動いてないリフトのかわりにモービルであげてくれて、かなりのハイペースでハイクオリティなパークをガンガン滑れるというものでした。マットピーターソンやチャドオッターストロームらの大御所の滑りもモチのロンやばかったけど、当時キッズのヨナスMICHILOT(カタカナでなんてゆうのかわからん)らの滑りにはびっくらぶっこきました。カメラマンとして同行していた井上シン君は標高の高いコロラドの街にやられ、スーパーで発見した10ドル程する酸素スプレーをソッコーで買いソッコーで使い、気持ち楽になったような気がする…。なんっつって10ドルをソッコーでドブに捨ててました。それ、ここぞって時に使うやつでしょ…。
今回も書きながら、これも書きたいあれも書きたいなんて次々と思い出してきて気がついたら結構なボリュームになってしまいました。毎度毎度長くてさーせん。
こんなしょーもない文章にお付き合いいただき誠にありがとサンキューカムサハムニダコップンクラッ‼︎
次回はいよいよ最終回、REPLANT時代から今に到るまでの話をしようかと思います。
ほんじゃみなさん、また二週間後。さいならさいならさいなら。
長澤優作プロフィール
茅葺き屋根職人。というのは世を偲ぶ仮の姿で、まるで藤岡弘、探検隊のような常に限界ギリギリのアドヴェンチャーに心を燃やす中二病のおっさん。円という名で絵も描いてたり、チャラカッペという名でたまにラップもしている。37歳。新婚。スポンサー GREEN LAB. SHRED OPTICS GARAGE902