秋実る。北米のリゾートではすでにガンガン雪が降ってるなんて情報が。いいですね~。
今シーズンの雪はどうなりますかねえ。因みに、俺の予想は大雪です!
ま。毎年言ってるんですけどね。へへ。てな訳で最終回、行ってみよー!!
ACADEMYは板も最高だし、代理店の皆さんもアメリカへ行かせてくれたり本当に良くしてくれてて何の不満もなかったのですが、その頃非常に悩むある決断に迫られていました。というのは、あの、スーパークリエイティヴで、突き抜けていたブランドSOBUTが解散してしまい、かつてメンバーだった、GKこと小松吾郎君と、247こと仁科正史君が新しいブランドを作るので、そこのライダーにならないかと誘いを受けてたのです。熟考した結果、昔から憧れていた人達と滑られるという事と、自分に板のデザイン(グラフィックのほう)をさせてもらえるという事、国産のブランドを盛り上げるという事にやり甲斐を感じたので、その新たなブランド、REPLANTに移籍する事にしました。
左:『初めて描いたselectorのソール。ベージュの文字は平仮名で、茶色の文字は片仮名でリプラントって描いてあります。』
中央:『これもselector。平仮名でりぷらんとって描いてあります。』
右:『rader。ハイクしないで亀に乗れたらサイコーだなーと思って描きました。』
REPLANTに乗り始めてすぐの夏、みんながNZトリップに行くなんて情報を聞きつけて、強引に頼み込んで金魚の糞スタイルでついていく事ができました。メンバーはGK、247、美谷島慎ちゃん、フィルマーのヨネさん、カメラマンの樋貝さんという豪華なメンツ。NZというと、あんまりパウダーなんてイメージなかったのですが、そこは高校時代から毎年NZに来ていたビヤシンのスペシャルなアテンドにより、クラブフィールドと呼ばれるスキーリゾートではない、好きモン達が自分達で作り上げ、管理しているスキーエリアに連れてってもらい、予想を裏切り毎日バフバフさせていただきました。クラブフィールドとはいくつかのスキーエリアの総称で、どのスキーエリアもなかなかハードな道のりの先にあり、辿り着いた先には滑るのに必要最低限な設備しかなくて、リフトではなく、あるのはロープトゥのみ。そのロープトゥも、Tバーなんかはついていなくて、等間隔にクルミ程の大きさのコブが付いていて、そこに常に腰からぶら下げているナッツクラッカーと呼ばれる鉄製の道具を挟み込み、固定させて、引っ張られるという仕組みのものです。これがなかなか難しくて慣れるのに時間がかかります。しかも、ロープトゥの滑車のすぐ隣を、ナッツクラッカーを掴む手が通り過ぎるので、どうしてもビビってヘッピリ腰になりがちで、腰がひけるとワイヤーが滑車から外れて、周りの人達に迷惑をかけてしまいます。しかし、後ろに熟練な人がいれば慣れた手つきで直してくれたりします。また、スキーリゾートのようにコースは全然設備もされてない自然地形で、言ってみればバックカントリーの真ん中にポンとロープトゥがあるって感じです。つまり、そう、最高なんですよ。雪が降った時は、来た人みんなで協力して雪かきしてロープトゥを掘り出したりと大変ですが、終われば辺り一面のフレッシュスノー、つまり白馬、小谷スラングでいうとこの『ほうてい』を食いまくりって事だよこのほうてい野郎!! 滑っている人みんなで管理するというスタンスで、ほんとにみんな純粋に滑りを楽しむというためだけに集まっていて、すごく心地いい空間でした。
『なかなか難しいナッツクラッカー。でも楽しい部分でもある。』
『replantのほうてい野郎共。』
たまのオフにはみんなで車で海まで出かけたりしました。そこでマサシ君は『お!この貝、沖縄で食った事ある!食えるぞ!』と言い放ち、その日本の裏側で出会った貝をなんの躊躇もなく生で食い始め、この漢のデカさを感じました。その貝は採って帰って味噌汁の出汁にしたらマジで絶品でした。
二週間程滑った後、せっかくNZに来たので他の場所ものぞいて帰りたいと思い、みんなと別れ、一人ヒッチハイクの旅に出る事にしました。南島の南半分をざっくり半周したようなルートでしたがその途中、強烈なおじいちゃんが拾ってくれました。スピードメーターはぶっ壊れていて常に140km/hを振り切ってるボロボロのスバルに乗る彼は、岬の先っちょに独りで住んでいて、毎日、目の前の海でアワビとか貝とか採って食って暮らしてました。遊びに来いっつーから泊めてもらって、シラス採りに連れてってもらったりしました。他にも色んな出会いがあり楽しい旅ができました。無事に東京に帰って来た時にはポケットの中には二千円しかありませんでした。あぶねー!
『目の前の海で採ったアワビをすぐ食べるじいちゃん。』
その頃、日本ではバブルス君の始めたボウルのムーヴメントが各地に飛び火し始めてました。中でも印象に残ってるのが、当時栂池HIT PARKの隊長だったTSKが初めて作ったEボウル。上から見たらアルファベットのEに見える、半円状のボウルが左右に並んだつくりで、上から見て左がラウンド、右がスクエアになってました。このスクエアの加速っぷりがホントに楽しくて何度もハイクして遊んじゃいました。ファミコンのエキサイトバイクのアレっつーか、スーファミのF ZEROのアレみたいな。シンプルながらも、かなり楽しかったです。その後、更にGKも一緒に作るようになったりして、地形研究会と題し様々な、もうボウルの一言では語れない地形が毎年産み出されていきました。そのムーヴメントはいつしか、海外ライダーの目にも留まり、HOLY BOWLYと銘打ったイベントが開催されて、ジェイミーリンを始め、数々の有名ライダーが訪れてセッションするという事態まで発展していきました。
ムーヴィー業界のほうでは、相変わらずPORNO氏は『だっふんだ』で独自な世界を表現していく一方、大町のヨネさんが8mmフィルムに拘って制作していた『live naturaly』も回を重ねるごとにクオリティを上げていき、俺もカバーデザインをさせていただいたりしました。余談ですが、ヨネさんの雪山でのライダーをまるで人と思ってないんじゃないかというような言動や、編集作業中の関係者への無理難題の数々の結果、被害者達から自然と湧き出した言葉が『live naturaly a.k.a.だいぶたちわりー』うまい!ま、ホントはヨネさん優しいんですけどね。あと、以前カナダの回の時紹介した、白馬に移住してきたボンバーも自分の作品を作っていました。その名も『CRAZE TV』。スノー、スケート、アート、トリップを軸にボンバー自体が動き回ってみてきた物を切り取った作品です。上記のカルチャーが好きな人にはたまらん内容になっていて三作まで作られます。garage902にて入手可能。
『だっふんだ7のジャケ。個人的に気に入ってます。』
『live naturallyのジャケ。あんまりサーフィンしないんでちょっとサーファーがうまく描けてないんですよね〜。』
『CRAZE TVのジャケ。アートはKRISPER氏によるもの。カッケー!』
今となってはメジャーなスポットになりましたが、小谷のバックカントリーには大崩落と呼ばれるスポットがあります。まだ大崩落が有名になる前、俺達はいつもジャンプ目線でスポットを探してて、落ち込み系のヒットがたくさんある大崩落を下流の方から上に詰めて開拓していたのですが、ある日、なんと、上から降りてくるクルーがいるではないですか!その時出会ったのが石川てつや君達でした。『ここ、上から滑ってこられるんですかー⁉』『うん、来れるよ~。今度、一緒に行こうよ~。』若干、鼻が詰まったようなトーンの柔らかい喋り方で彼は言いました。彼らはuma filmというクルーで白馬のエクストリームなラインをガンガン攻めている人達でした。後日、早速てっちゃんは俺を大崩落の上部へ連れてってくれました。フィルマーもいて、天気も良くて、最高なコンディションの中、『じゃあ、僕、先行くね~。』とてっちゃん。かなり気持ち良さそうに大崩落の大きい斜面に自らのラインを刻み、最後はチョッかって、気持ち良くフィニッシュ!と、思いきや、最後の最後でノーズを喰われ華麗に縦方向へ二回転程ぶんまわり、結局、鼻血を出して脳震盪まで喰らってました。かなり強烈な滑りを見せつけられたのですが、こういうのは結構彼のスタイルで、uma filmの映像でも似たような映像がよくありました。他にも超爆風の八方を、こんくらいの風なら行けるよ~とか、柔らかい物腰とは対照的なハーコーな姿勢で、俺の山に対する能力をグッと引き上げてもらいました。
また、ある時は47のパークで会い、『あれ、てっちゃん、パークで会うなんて珍しいじゃん。』と、聞くと、なんでもサブロクの練習をしにきたと。彼はスノーボードを始めてからずっと山ばっか滑ってたのでトリックに憧れがあるみたいで、サブロクくらいはできるようになりたいと。『へ~。そりゃ、偉い!がんばってね~。』と、彼にサブロクのコツを軽く教えて、俺達は47のバックカントリーに向かいました。いいほうてい滑って、夕方またパークに通りかかると、なんとてっちゃん、まだサブロクの練習やってるではないですか!『なかなか難しくて、うまくいかないよ~。』なんて、ニコニコしながらやってました。馬鹿ですね。あれはスノーボード馬鹿ですわ。
そんなてっちゃんはある日、仲間の市川さんと林さんと、雪崩に巻き込まれ帰らぬ人になってしまいました。まだまだ一緒に滑りたかったのに、これからもっともっとすげえとこ行きたかったのに、ホントにショックな出来事でした…。
彼等が旅立ってから次のシーズンが始まるちょっと前に、color sports(白馬のバックカントリー会社)のボスの舎川さんからうちで働かないかと誘われました。てっちゃんと、市川さんはcolor sportsのガイドだったのです。一度に二人の熟練ガイドを失ってしまったトネさんは新しい人材を探していました。トネさんはまだcolor sportsが白馬駅前にあった頃によく道具を買いに行ってたり、たまに山の中で会ったりもしてました。あと、駐車場。車をデポらずに降りてきちゃったから乗せてってくれとかね。真面目そうなんだけど、実はふざけた一面もある面白い人です。突然の誘いだったし、そんな責任の重い仕事がこのスーダラ男に果たしてこなせるのかとか、色々不安はありましたが、てっちゃんが繋げてくれた縁なような気もして、思い切って引き受けてみることにしました。やってみると確かに大変な事も沢山ありますが、山の知識や経験も得られるし、常にいいほうていを滑られるし、何より色んな人との出会いが楽しい仕事でした。元来、宿屋の息子なので人懐っこいを超えて、馴れ馴れしい性格の俺はその点は向いてると思いました。color sportsではほんとに沢山の事を学ばさせてもらいました。三シーズン勤めた所でそろそろ自分の色を出したガイディングをしてみたいと思い始め、辞めることにしました。
最近はたまにガイド業をしながら、まだ見ぬ新たなスポットを探す探検に勤しむシーズンを送ってます。また、長年お世話になっていたREPLANTが無くなってしまい、咋シーズンから新たにGREEN.LABにサポートしてもらえる事になりまして、色々と取り巻く環境が変わってきました。これからも、もっと楽しくなりそうです。
color sportsで起きた珍事件、俺が一時期やっていたスケートパーク、THINK THANKクルー、stillichimiya、DCP、ライランド ベル、トラヴィス ライス、フリーマガジンHAND、むらさきしめじこと三宅恭太、後輩のHACHIクルーの事とか、まだまだまだまだまだ色々と話したいエピソードはあるんですが、ちょっと文字数的にきつくなってきました。37年も生きると言いたい事がいっぱい出てくるもんですね。またそれは、こんな場が頂戴できた時にとっときます。
4回にわたり小生の駄文にお付き合い頂き、本当にありがとうございました!!
過去の記憶を掘り起こす楽しい作業でした。
さて、気になる次のコラムニストですが、粘り強い交渉を重ね、遂に引き受けてくれました。
真打登場しますよ?何と、GKこと小松の吾郎さんの登場でーーーーす!! お楽しみに!!
じゃ、みなさん、また山で会いましょう~!! ほなさいなら~。
長澤優作プロフィール
茅葺き屋根職人。というのは世を偲ぶ仮の姿で、まるで藤岡弘、探検隊のような常に限界ギリギリのアドヴェンチャーに心を燃やす中二病のおっさん。円という名で絵も描いてたり、チャラカッペという名でたまにラップもしている。37歳。新婚。スポンサー GREEN LAB. SHRED OPTICS GARAGE902