さて、カナダに行くつったってどーすんべ?と、考えたところ、やっぱワーホリだべ。って事になり、その前にまず金だべ。っつー事で高校を卒業して、すぐに立山の大観峰駅で働く事にしました。この駅は下から来るロープウェイとその先のトンネルの中を走るトロリーバスとの繋ぎの駅で、急峻な岩壁が聳え立つ山の中腹にあります。つまり陸の孤島なのです。よって、シャバに出られない、つまりお金を使わない!そんな節約生活を半年続けたら、手元には100万円もの貯金が残りました。すげー!その頃の俺すげー!当時はTHA BLUE HERBをよく聞いてたのでやたらストイックでした。やりますよ俺は。よっしゃ!これでワーホリ行ったるでえ!まずは申請や!インターネットでカナダの大使館を調べて、お、あった、あった、これや。えーと、なになに?ふんふん。今年度の申請は終了しました。ズコー‼︎その年のワーホリの夢は音をたてて崩れ落ちました。
しかし、スノーライフは充実してました。その頃、地元のパイセンのTSKこと、松浦将君や、後にオリンピックに出場するミヤケンこと、宮脇健太郎君らとスケボーするようになり、自然と冬も一緒に滑るようになりました。当時、彼らは数人でCHAPTERというブランドを立ち上げ、俺もその一味に加われる事になりました。その時衝撃だったのはCHAPTERメンバーの一人、池谷航(めぐる)という男との出会いでした。航は同い年のカナダ帰りで、今考えてもずば抜けた身体能力の持ち主で、ゴムゴムの実でも食ったんじゃねえかというクソ高いヒールロデオにはぶっ飛ばされました。更にジブもJPウォーカーのようなスタイルでかなりのスキルの持ち主でした。同い年という事で、すぐ仲良くなったけど、同時に負けてらんねーと刺激をもらえる相手でもありました。そしてやはり奴もカナダ帰りという事でますますカナダへの憧れが増していきました。他にも市村シンゴ(安らかに)、ヤットなどなど同い年の奴らが続々台頭してきて面白くなってまいりました!ポルノこと今野昇くんともその頃知り合ったかな~。
結局、その年のシーズンはCHAPTERのみんなで、観光ビザで春のウィスラーに行って満喫しまくってきました。ウィスラーに来慣れてる面々と一緒だったので色々な事が労せず学べたのでラッキーでした。帰国後、ますますワーホリの情熱に火がついた俺は、今度は土方でお金を貯めて、前回の失敗を踏まえて攻めの申請で見事、ビザを取得しましたー!余裕の優!
そしてそのシーズンの春!苦節2年!遂にカナダへと旅立ちました!ウィスラーに住む予定だったけど、その前に、熱烈なデヴァンファンだった俺(歴代デヴァンパートをつなぎ合わせて一本のテープにまとめてたほどの実力)は、彼らのホームマウンテン、シーモアにワッツァップかましてかないと怒られちゃうでしょって事でシーモアに行く事にしました。シーモアに行くにはバスがあまりなく、みんな結構ヒッチハイクで行くという話を聞いていたのでヒッチハイクに挑戦する事にしました。しばらくすると一台の車が停まってくれました。乗っていたのは、金髪坊主のイケイケの兄ちゃん達でした。サンキューサンキューと車に乗り込むと、なんとビール片手に運転してやがります。しかもワイルドキャッツ。 ま、一度乗っちまったもんはしょうがねえ、と腹をくくりました。スキー場についても彼らの勢いは止まらず、着いたらビールしばらく滑ったらまたビールの繰り返しで最終的にはベロンベロンになりながらも、猛吹雪の中滑ってました。いや、滑れてなかったなありゃ。千鳥足っつーか千鳥滑り?そんなこんなで、天気悪くてあんまり山は見れなかったけど、シーモアキッズのノリは見れたので満足しました。
バンクーバーを満喫したところでウィスラーに向かいました。ウィスラーに住み始めた頃はもう完全にグリーンシーズンが始まっていました。なんか仕事を探さなきゃって事で、手っ取り早く日本人のヤマさんという方が経営する、その名もSUSHIYAで働く事にしました。そこで働くカナダ人の寿司職人のロブさんはお客さんが来ると、『しゃい』って言います。恐らく『いらっしゃいませ』の『しゃい』でしょう。まあ、どうでもいいですね。SUSHIYAにはたくさんの日本人が働いてて、すぐに日本人ネットワークが広がりました。
車も買いました。ダットサン。渋いでしよ?400ドルで。値段通りの状態で、しょっちゅう白い煙を吐き散らしてました。あまりにも景気良く煙を出すので、近所にいつも煙突から煙の出てるサウスサイドデリってとこがあったので、周りの住民からはサウスサイドデリ号と呼ばれてました。でもスケートパークに停めてたら、ガラス割られて中のミックテープ2,3本パクられました。つーか、金目のもんなんかなんもないのなんて、見りゃワカンだろーが!俺のDIGGIN’ICE返せ~!
気がつけば日本語ばかりの生活になっていたのでこりゃいかんっつー事で、今度はカナダ人の経営するメキシコ料理屋でバイトし始めました。働き始めてすぐ、メキシコ料理屋なのになぜか餃子を出してて、俺に味見をしてみろなんて言ってきます。言われたとうりに味見してみると、ん?餃子はいいけどタレがなんかおかしいな?酢が入ってない。『タレに酢入れないの?』と聞くと、『何⁉︎酢入れるのか⁉︎流石、日本人!よし、明日から餃子は任せたぞ!』だって。やれやれだぜ。次の日から皿洗いに加えて餃子担当になり、早速SUSHIYAで餃子を作ってた経験が生かされました。バイト最後の日はみんなで、レストランの下の階にあるストリップバーでお別れパーティーをしてくれて、『おい!ユウ!行って来い!』ってみんな俺にお札を渡してくれて、何度も何度も札をくわえて、おっぱいで挟んでもらいました。でへへ。
ウィスラーでは数え切れない程の印象深い出会いがいっぱいありました。あるパウダーの日にツリーランをしていて、出口のトレイルで、ちょうど同じタイミングですぐ隣から出てくる男がいて、見たらニコニコで、そんな人横にいたら、とりあえずハイタッチですよね。ウェ~イっつって。初対面だけど。それがトシくん。一発で打ち解けちゃいました。んで、そのトシ君の友達のボンバーKも同じ日にスケートパークで会って、ウェ~イってなって。ボンバーは、福島出身なんですが、日本に帰ってきてから電話がかかってきて『よお、優作、なんか仕事ないかな~』なんていうもんだから『八方の御母家って蕎麦屋、バイト探してたよ』て、テキトーに言ったら次の日に白馬に来てそれから10年くらい住み着いてました。なんつーフットワーク。
またCLEARCUTという今でも生涯ベスト級のムーヴィーがありまして、大雪のシーズンに作られたカナダの作品なのですが、映像、音楽、編集、どれをとっても最高な傑作です。特に好きなのは音楽なのですが、その音の編集をしているmat the alienという男に会いたくて彼がDJをしていたマックスフィッシュというクラブに遊びに行き、俺のCLEARCUTに対する溢れる愛情を彼に伝えると、彼も喜んでくれて家に招待してくれたり色んなパーティーに連れてってくれたりしました。彼のサインの入ったCLEARCUTは長澤家の家宝です。
他には、俺の前の前の前にこのコラムを書いてた松本省二君。彼はよく山では見かけてたんですけど、いつも外国人とつるんでたし、俺が言うのもなんですが目が細かったので、きっと韓国人か中国人なんだろうと思ってました。ある日、俺がパークでレールですっ転んで顎を打ち、パックリ割れて流血して悶絶してたら近寄って来て声をかけてくれました。『大丈夫?』『あ…、に、日本人だったんですね…。』それが出会いで彼は俺を色んなグレイトな場所に連れってってくれました。今でも、一緒に山へ行ったり、彼のガイドの仕事を手伝わせてもらってます。
あとは俺の映像撮ってくれてたマチャ君!いろんなとこでキッカー作ってやりまくりました。おかげで、chapterでパートを残せました。ありがとう!RESPECTのみんなともよく遊んだなあ。DICEも同い年でスケートうまかったなあ。大阪のケンちょは、レイクルイーズに武者修行に行って帰って来たらすげー急斜面滑るようになってたり。ジュリアンとジュンジ君の雪崩講習はすごい勉強になった。今でも一緒に絵を描いたりする上田のトモとか、ラッパーの宗ちゃん、ファンキー仏教のシンコウ。後に八方でマッサージ屋を開店するタクちゃんとか、いつも腰が低いけど怒ると怖いミツ君も白馬にいるね。秋田のタケなんかいつも一緒に絵描いて遊んだりしてたけどそれ以来会ってないな~、元気してっかな?シェフマサは今は北海道でお店やってるみたいだし、ピースたけちゃんはミキちゃんと結婚して島を買ったとか?(マサやタケちゃんという名前は常に4,5人はいる…) DJのリョウ君にレイコ嬢、ぽんちゃん、ポー…久々に出会張(出会った人達に連絡先やメッセージを書いてもらう手帳。当時の旅人スノーボーダーは大概持っていた。その手書きのスタイルからその人のひととなりが垣間見られる)を引っ張り出して読むと出るわ出るわ懐かしの名前達。なついっ!
書きながら当時を思い出すと、他にも話したい事がいっぱい出て来ますが今回はこの辺で…。
振り返ると、8割がた日本人とばっか遊んでたけど、今でも遊べる貴重な繋がりが日本全国にできたんでこれも悪くないかなと思ってます。あと、外を見て気づいたのはカナダの山はもちろんでかくて果てしないけど、地元、白馬の山もかなりいい線いってんじゃないかなあって事でした。事実、今では毎年増えてく外国人客に加え、果てはジェレミージョーンズやトラヴィスライスもワッツアップかましに来る程ですものね。でも、海外も、もっと行きてえ~‼︎
さて、次回は帰国後のアレヤコレヤを書こうと思います。ほんじゃ、皆さん、再見!
長澤優作プロフィール
茅葺き屋根職人。というのは世を偲ぶ仮の姿で、まるで藤岡弘、探検隊のような常に限界ギリギリのアドヴェンチャーに心を燃やす中二病のおっさん。円という名で絵も描いてたり、チャラカッペという名でたまにラップもしている。37歳。新婚。スポンサー GREEN LAB. SHRED OPTICS GARAGE902