前回は僕の自己紹介をしましたが、現在は映像と写真のプロダクション株式会社monocyteの代表をやっています。
冬は主にバックカントリーを中心にフィルマーとして活動しています。
今回はフィルマーを始めた経緯を。
僕が映像を始めたのは19歳のとき。
僕は基本的にオタク気質で、スノーボードを17歳で始めてからこれでもかっていうくらいDVDを買っては見まくるという生活を送っていました。それはスノーボードがうまくなりたいという一心があったからなんだけど、その日々がなかったら今の僕は無いと思います。
マックダウにスタンダードフィルム、テックナイン、フォーラム、アクトピクチャーズ、スクローバー、サムライ、ハイウッド、などなど。
そしてそれを見ながら僕はライダーオタクになっていきます。
ニコラスミューラー、ダニーデイビス、ギギラフ、トレバーアンドリュー、ルーカスマグーン、キーガンバライカ、ジョナオーウェン、小板智、中井孝治、上村好太朗、石川敦士、長谷川篤、阿蘇唯人、などなど。
ホントDVDを見すぎて、どの技構成で出てくるかとか当時はほとんど覚えていたくらい。DVDを年間20~30枚くらいは買ってた気がする。
そんな憧れていたライダー達と、今は撮影したり、知り合いだったり、僕は幸運だなと思います。
今はスノーボード雑誌をみても、多分出ているライダーの半分くらいは知り合いで、変な感覚。だって昔雑誌も全部買って見まくっていて切り抜きで自分だけのブック作っていたし、当時はどのライダーは板の長さどれくらいでどのスタンスだって暗記していたし、知らないブランドなんてなかったし、なんなら雑誌やDVDに出てこない全日本とか草大会にでていたライダーの名前すら暗記していたので。毎年、あー、あの人スタンスちょっと変えたんだ、みたいな。それくらいオタクでした。今は全然わからないけど。
カメラも、最初は出始めたばかりのアクションカメラと中古ハンディカムで大学の友達を撮影したりで、20歳くらいにプロカメラマンKeyさんから中古の一眼カメラを譲ってもらってからは本格的に撮影をしていました。
そもそも撮影し始めたきっかけは僕の周りに映像を撮ってくれる人がいなかったことが始まりで、自分がカメラを持っていればカメラをみんなで回して自分も撮影してもらえるのでは?と思ったからでした。まぁ実際は僕がほとんど撮影していたんですけどね。(笑)
そんな撮影している中で自分は、スノーボードのプロにはなれないんじゃないかと23歳のときに悟り始めました。
、、、でもスノーボードで食っていきたい、それは諦めたくない。
その時ふと思ったんですよね、スノーボードの映像で食べていければ自分にとってはスノーボードで食っていくっていう意味と同意義なんじゃないかって。しかも、僕のレベルでライダーだと息が短いけど、フィルマーならもっと長く業界に関われるんじゃないかって。
そうして23歳のときにすべてのライダーをやめました。宮さんに話に行ったときは緊張したな~。。
でもフィルマーになったら滑る時間が短くなるのはわかっていたし、そもそも滑る時間があまりないのにライダーって言えないでしょと思っていたし、それでメーカーや宮さんに、迷惑や自分に予算をかけてもらうってのは間違っていると思ったので。
ちなみに僕に17歳のときの
「俺、スノーボードのプロになるわ」
と同じ感覚に抱かせてくれた映像があります。
それがTightbooth ProductionのLENZ 2。A Filmd by Shinpei Ueno。
あれを見て「俺もこんな映像つくりてぇ。。」
って思ったんですよね、やっぱりアホすぎる。他にもいろんな影響を受けたけどやっぱりLENZ 2が一番かな、今でも。
それで仲間内を誘ってNOVELECTIONってフィルムプロダクションとは言い難い映像クルーを当時はノーリッカーズの横山のりくんと立ち上げて活動していきます。Tightboothスタイルパクってテープのビデオカメラとウルトラフィッシュアイでストリート中心の映像。
、、、いや~それはもうひどかったし大変だった、とにかくお金が無いし、ずっとバイトしてるし、滑りたいし、撮影しないとだし、クルーはみんな社会人で時間無いし。でもやるしかないっしょ精神でNOVELECTIONは2年くらい活動していました。
DVDも作って、アパレルも作って、試写会も毎回やって。当時買ってくれた方、関わってくれた方。本当ありがとうございました。
この活動を知っている人ってあまりいないはず。(笑)
そして今だから言えるし、のりくんくらいしか知らないけど、いろんな消費者金融にお金を借りまくって、その後フィルマーになっても食っていけなくて借金が膨らんで、ついこの間返しきったのは本当に危なかった。
妻にも言ってないので頼むから妻にはこのコラムは見ないでいて欲しい(笑)
でもよくよく考えてみてもそんな無茶した日々があったから今がある。そこは間違いない。でももう一回そんなのやれるかって言われたら分からない。それくらい若さの勢いだったと思う。
あとは当時フィルマーを始めて間もないときに、宮さんやデカチョウさん達が映像の仕事を振ってくれてたのもありがたかった、今でも関係性は続いているし本当ありがたい限りです。もう15年とか経ちますもんね。
もちろん 、SBJとかに行ってメーカーに営業もしましたよ、ほとんど門前払いだったけど。その門前払いのメーカーは覚えてるので、頼んできても仕事しませんスタンスっす、さーせん。いや、仕事こないか。(笑)
フィルマー、あとはスチールカメラマンもそうだと思うんですけど、やっぱり大変なのはお金なんですよね。
今は円安や不況でライダーすら大変だし。そもそも夏はなに撮影するの何で稼ぐの的な。農業とかやっている人も多いのかな、でも僕はできるだけ映像の仕事だけをしていたかった。
冬は撮影で稼ぐっていってもずーーーっと撮影して稼いでいくのも個人的にはなにかが違う。なんかいろんな先輩がそれをやっていて羨ましい反面大変なのも見ていたので。これは僕には無理だと。
そこで僕は誰もやっていないような方法をすることになります、それが今の会社monocyteにつながるんですよね、その話はまた次回に。
高間俊輔 プロフィール
札幌の映像・写真プロダクション株式会社monocyte代表。
冬はフィルマーとして活動。山に行きたい。
monocyte web:https://monocyte.co.jp/
Instagram:@shunsuke_takama