こんにちは。リカです。
前回はスケートボードとの出会いについて書きました。
今回はどっぷりとスノーボードとスケートボードにハマった私の人生の転機について書きたいと思います。長文です(笑)
あれはアルツジャムという、私にとってとても大きなスノーボードの大会の前日でした。
そのシーズンはスミカワスノーパークで念願のディガーになり、新しいパークを作っていたときのこと、東日本大地震が起こりました。
標高が高いスミカワでも山が唸るように揺れました。
出身は宮城県の東松島市というところで海が自慢の町でした。
故郷が甚大な被害を受けたので、すぐに実家に戻りました。
変わり果てた故郷の景色を見て、何もかもが「終わった」ように思えました。
そのような状況の中でしたが、仕事を探してもがいていると縁があって地元の小学校で補助教員として働くことになりました。
震災から間も無く、勤めていた小学校にお世話になっていたショップshredderの平学さんや、松浦広樹くん、小笠原健二さんらが、車いっぱいに支援物資をもってきてくれたんです。
福島のみなさんもとても大変だったにもかかわらず、わたしの町のために動いてくださり、落ち込んでいたわたしに光がさしたようでした。
横乗りのつながりのありがたさ、熱いハート、想いを受け取りました。shredderのみなさんには本当に感謝です。
この場をお借りして、ありがとうございました。
shredderの諸先輩方は今も各々活動を続けています。代表の平学さんは5年前スカイピアあだたらアクティブパークのパークレイアウトの設計管理をし、オープンさせました。
さらに今年の4月からは指定管理者としてスカイピアあだたらアクティブパークを運営することになっているそうです。
まだまだ学さんは快進撃を続け困難にも立ち向かっています。
平学さん(@manabu_taira_)
そして震災を機に雪山から少し離れてしまいましたが、スノーボードを通じて出会ったスミカワスノーパークのディガークルー、ローカルをはじめとする仲間には、スケートボードにも通じるスタイルやカルチャーを教えてもらい、それが今に生きてるのでとても感謝しています。
忘れられない時間を過ごすことができました。何よりスノーボードが今でも大好きです。
写真に写っているのが現在の夫と実の兄です。
教員という仕事につき、被災した町や子どもたちと真正面で向き合う日々でした。
勤めながらもスノーボードのライダーとして活躍し、その姿勢を受け持つ子どもたちに見せようと山に通いましたが、両立することへの難しさを感じていました。
そんな時、石巻市の「onepark」というパークの存在を知ります。
oneparkは東日本大震災で被災した地元の水産加工会社が被災した自社の冷凍庫を解放。
滑る場所を無くしていた地元のスケーターたちが自ら泥を掻き出し整備したパークです。
石巻市の「onepark」(@onepark18)
様々な事情から現在は公にオープンしていませんが、oneparkの代表である勝又秀樹くんは、ずっとずっと10年間活動を続け令和5年度中に東松島市に公共のパークができるという動きに広がっています(予定)。
自分の地元にパークができるなんて夢のような話です。ヒデちゃんやそのお仲間の活躍には頭があがりません!
銅像立てたいくらい。ありがと〜!!!!
スノーボードで思ったように活動できなくなった頃に、スケートボードで新しい出会いやたくさんの刺激を与えてくれた場所、それがoneparkでした。
わたしに希望や生きがいをくれました。
oneparkに通ううちAJSAの東北サーキットにも出るようになりました。
その頃は男子も女子も分かれてなくて女子は60人中4人くらいだったなぁ。
自分のことをスケボーも大好きなスノーボーダーぐらいに思っていましたが、このあたりからスケーターと言えるようになった気がします。
スケートボードへの想いを強くしてくれたスケーターとの出会いがとても大きかったですね。
私を含めbloodtypeと呼んでいたgirlsskaterたち、東北を代表するクルーstumpboysとの出会いでした。
まさに衝撃的でした。
次回は、そんな彼らについて書きたいと思います…つづく。
菊地利佳 プロフィール
2児の母を務めながら、秋田の冬を楽しくするべくbungalowというカフェを経営。
夏場には角館人力社にて人力車も引いている。
何足ものワラジを履きつつ、スケートシューズも履くママさんスケーター。
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Instagram:個人(@califorika) bungalow(@cafe_bungalow) 角館人力社(@kakunodatejinriki)