乾いた空気、刺す様な陽射し、クラクションと多言語、LAXに降り立ったあの瞬間は今でも忘れない。
実家の稼業を継ぐ為、理容学校を卒業しインターン先も決めていた。もうこれで一生床屋として生きて行くんだ、スケボーで手を怪我する事は許されないんだ。そう覚悟をし、最初で最後、アメリカで思いっきり滑って来ようと決めた。
13歳で始めてから間も無く、スケートボードはアメリカの物でロサンゼルスが熱いらしい、それもVenice Beachがメッカだと知る。それからずーっと憧れを抱き続けたのだ。そんな想いが19歳初渡米と言う形で爆発する。バイトに精を出し、無駄に金を使う事なく必死で50万円貯めた。
ロサンゼルスに一週間滑りに行くのに50万円。一体幾ら掛かるのかもわからずとにかく貯めたもんだ。
一足先にVenice beachに滞在していた友人と何とか電話でやり取りをして宿を確保、車も借りれるらしく、空港まで迎えもお願い出来た。
ネットの無い時代。
本屋さんでロサンゼルスの旅行についての本を買い、パスポートを取得、カードは持てなかったからATMでキャッシュを出せる銀行のカードを作る。HISの窓口で相談しチケットを購入。とにかく想像出来る会話に必要な英文を沢山メモした。
準備は出来た。
いつものスポットに行くかの様にバックパック背負ってスケートボードを抱えて家を出た。
スケートボード以外は余計な荷物。
もちろん空港も飛行機も入国審査も初めて。
全くの一人で気合い入りまくりだ。
10時間近いフライトの後、アメリカの国旗が迎えてくれた。ついに来た。スケートボードの国についに来たのだ。
VHSテープがジャミジャミになるほど観ていた景色が目の前に広がり、想像とは違う匂いや音の中滑りまくった。
誰も知る奴はいない、恥ずかしくも誇らしくもない、ただ滑る。
憧れた場所で思う存分スケートボードが出来ている事にだけ集中していた。
一週間が長い一日の様にあっと言う間に過ぎた。
帰国した自分は以前とははっきり違う、何かはわからないがはっきり違う。
オーナー、すみません。
プロスケーターになりたいです。
そう言ってインターンに入った理容店を辞めた頃、空は高く蝉の声はしなくなっていた。
一生を覚悟するつもりで行ったアメリカでちっぽけな価値観をぶち壊し、自分の人生を選択した。
良いか悪いか、正しいか間違っているか、そんな事は考えても答えはない。見つからなかった。
だから自分の気持ちに嘘をつかず、正直に向き合う事にしたのだ。
24年が経ち今も変わらず夢中で滑っている。
英語を勉強してアメリカに住みたいと言った娘が一週間のロサンゼルス旅行から帰国する。
迎えに行くとスケートボードを抱えた娘が笑顔で現れた。
彼女もまた、以前とははっきり何かが違っていた。
人生の選択は自分で出来るんだ
正解にも間違いにもなり得るが
正解にする努力は必ず出来る
スケートボードがそれを教えてくれたんだ
早川大輔プロフィール
東京下町生まれ スケートボーダー
スケートボードから学んだことを人生の哲学とし、次世代の育成と称しながらも自らのスケートボーディングを進化させようと日々プッシュしている。