皆様はじめまして。
同郷の先輩サーファーである永原レキさんから受け継ぎ、今回コラムを担当させていただきます、武知実波と申します。
私は現在JPSA公認プロサーファーとしてツアーを転戦する傍ら、徳島大学大学院にて学生として生活をしています。
担当させていただきますのが3月〜4月ということで、3月卒業予定の私にとっては思い入れのある2ヶ月になりそうです。そのようなタイミングでコラムを書かせていただくという巡り合わせを幸せに思います。
徳島大学では英語教育、大学院ではスポーツ社会学を研究していました。
学生最後の執筆ということで、今回のコラムはこれまで学生として得た学びと、学校の外、私にとってはその大部分を占めている海で得た学び、これらをテーマにしたいと考えています。
初回の今回は、「私とサーフィン」をテーマに書かせていただきます。
2回目はサーフィンを教育に導入することの意義と可能性に関する「教育とサーフィン」、3回目は修士論文のテーマとしても採用したサーフィンを用いた地域活性化に関する「地域とサーフィン」、そして最終回である4回目では、学生時代の総論として「海から学んだ私の生き方」をテーマに、読者の皆様にもサーフィン、海とご自身との関係性について再度考えていただく機会となれば本望です。
私が海と出会ったのは、記憶もないほど遠い幼少期。
サーフショップを営む父と母のもとに生まれた私は、いつからか週末と言えば家族で海に向かう生活スタイルが日常でした。
徳島県はビーチ、リーフ共に豊富な波の宝庫であり、この地でサーフィンを始めることができ、本当にラッキーだったと思います。
「サーフィンやりたい」と父に直談判したのが8歳頃。それから自然と一体となれるこのスポーツにのめり込みました。
恵まれていたことに、中高生のときには世界ジュニアサーフィン選手権に日本代表として出場し、高校3年生のときにJPSA公認プロサーファーとなり、徳島大学に入学した年から海外のWQSツアーへの挑戦を始めました。
挫折もありました。怪我もあったし、諦めようとしたときもあった。
そんな私を叱咤激励してくれたのは両親でもあり、友人でもありました。
しかし何よりも私を奮い立たせた存在、それは自身に課した信念でした。
ご意見は多々あると思いますが、自身の経験としてサーファーの社会的地位の確立には課題があると中学生頃から考えており、自分の大好きなサーフィンを広く理解してもらうための手段として、学業とサーフィンの両立、すなわち「文武両道」を子ども心ながら意識してきました。
これこそが、まだまだ未熟な学生である私の信念でありました。変えられることはあると信じて努めてきました。
そんな私にとって、サーフィンは私の全てにおけるモチベーションであり、生き甲斐でもあります。
サーフィンは私に、自然の前では私たち人間はあまりにも無力であることを教え、自然の意思をくんだ共存の必要性を教えてくれます。
自然の美しさ、楽しさ、怖さ、その全てを教えてくれたサーフィンに、今度は私が恩返しする番です。
今よりもっとサーフィンが広く愛される文化でありスポーツとして今後も存続していくために、より具体的に、より積極的にサーフィンの在り方について考えることが、オリンピック種目となった今、求められていると思います。
そこで次回以降は、学生とサーファーの両視点から見たサーフィンの在るべき姿に関してより具体的に考え、共有していければと思います。
「教育」、「地域」とサーフィンを掛け合わせた施策とは?
次回まで皆様も是非検討してみて下さい。
武知実波プロフィール
1993年徳島県阿南市生まれ 徳島大学大学院総合科学教育部 卒業
JPSA公認プロサーファー/パタゴニアサーフィンアンバサダー/サーフライダーファウンデーションアンバサダー/初代阿南ふるさと大使
2014年に国立大学で稀な大学公認の「徳島大学サーフィン部」を設立。地元阿南市では初代「阿南ふるさと大使」として阿南市のイメージアップ活動に努める。講演活動や学校でのサーフィンスクールなど、教育現場を含む様々な場面でのサーフィンの普及に積極的に努めている。
Blog:http://minamitakechi.blogspot.jp/?m=1