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INTERSTYLE 2025
開催:2025年2月12日(水) 〜 2月13日(木) 会場:パシフィコ横浜詳細 »
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コラム

小島優斗@yutokojima『第1回 自分がアメリカに行くまでの大雑把なストーリー』

愛知県一宮市出身。みんなに名古屋出身だよね?と聞かれるんだけど、名古屋駅より岐阜駅の方が近い、愛知県の県境のど田舎出身。名古屋まで車で1時間くらい。
暗くなれば家周辺のお店はほぼ全部しまるし、コンビニも気持ち距離がある感じ。
夜は街灯少なめで暴走族のバイクの音が響いてる感じ。
学校行って仲間とサッカーしてポケモンしてみたいな平凡な生活送ってたな。
小学校の時とか生徒会長じゃないけど、土曜にあった集会でみんなの前に立って5人でやるやつの一人とかやってたし(笑)

スケート始めるまでスケートのこと全くもしらなかったしショップも地元になかった。
滑ってる人を見たこともないのに、とある中学校の冬休み、よく一緒に遊んでた仲間にスケボー買いに名古屋行こうって誘われて、多分その時はスケートより名古屋に行く憧れでついて行った気がする。
たまたま謎にお金があっていつも一緒にいる仲間がやるなら自分もやってみようと始めた14歳の12月頃。
地元にある倉庫にめちゃくちゃ良い路面があって荷物を運ぶ台?みたいなの2つの間に洗濯棒おいて、いきなりオーリーの練習したのを覚えてる。
何日間あとにがっつりまくられて頭強打したの覚えてるけど、そのときはもう危ないからやめるとかより悔しくてやめれなかった。
周りの友達がオーリーはもうできててってのもあったんだろうね。そっからスケート人生が始まった感じ。

そこからみんなでフリップとか練習し始めてせっかくならいろんなとこで滑りたいよねって言ってた時に、仲間が隣町江南市にスケーターいた!っていう情報があってすぐさまそこに行ってスケータープラス滑れる公園発見。
見えるのは見た目とっても怖そうな明らかに年上のスケーター数人。
気まずいながらも隅っこの方で滑りながらその人達の滑り見ながらかっこいいーと思いながら暗くなって、帰ろうとした時にそのお兄さんの一人が寄ってきてやばいからまれる、、と思いきやまた滑ろう的な感じで声をかけてもらった。
田舎の何もまだ世間を知らず見た目だけで偏見をしてしまっていたときの自分に何か考えさせられたなと今思う。
あれは確かひとしくんだったかな、、覚えててくれるといいけどな。本当に感謝しています!

そこからその公園に通うようになりその先輩達とも滑るようになり、公園にボックス、バンクつくって滑り倒しては撤去されて、先輩が夜でも滑れる場所に連れてってくれるようになって犬山行ったり小牧の方まで 行くようになった。
夜中くらいまで滑って帰って寝て学校に行くって生活だった。
それまではゆずにはまりまくっててギターとかやってた時期もあったけど、その頃位から海外の音楽聴く機会が増えてた。
元々父親が海外のジャズとかのレコード持ってて英語にも興味あったかな。

それはさておき中学3年のときはそんな感じで先輩がいろんなとこに連れて行ってくれたおかげでいろんなスポットに滑りに行くことも出来たし繋がりもできてスケート三昧だった。
高校に入学してから自分は受験が面倒だったから、自分の成績で推薦で行ける学校を探してみんなが勉強頑張ってる間、バリスケしてた。
でも一緒に滑ってた仲間が違う学校(自分は地元で仲間は名古屋)に行ってしまい、徐々に先輩ともばらばらになりかけてしまっていた時に、仲間が名古屋から同じ高校でライダーやってるタメの友達今度地元連れて行くよ!って話。
そこからひろまんとかしんごとかに出会ってじゃ今度は俺らが名古屋行くよって感じで、名古屋で滑ることが増えることになった。

その頃から名古屋のパーク”若宮スケートパーク”で滑る生活の始まり。
パークで滑って閉まったら四つ角ってラウンドの大理石があるスポットにみんなで移動してとことん滑ってた。
そこまで行くにも時間もお金もかかるけどどうにかして通ってた日々。
地元の先輩達とはそのころくらいから時間も合わなくなったりで滑ることが減ってしまったけど、名古屋の仲間が増えて名古屋でよく滑ってたかな。
その頃にVHSビデオとか雑誌しか情報源もなく、かっこいいなー出てみたいなって意思すごかった。
昔DECAの2nd to noneとかaestheticsのryde or dieめっちゃ観てた。
しんくん、三枝くん、赤熊さん、竜人さんの映像とか海外の人たちと滑ってるの観ててやっぱり憧れはあったな。
aestheticsが名古屋ツアー来たときとかまじ感動。
axionの時だっけkareem cambell来てたのって あの時も感動で仕方なかったの覚えてる。
好奇心の旺盛の田舎のキッズには刺激が強すぎたぐらい(笑)
何か常に本当にスケートことばっかり考えてた10代。
交通費節約の為に名古屋出たら朝まで滑るか遊んでパークで寝てまたそこから滑ってって、ほぼホームレスみたいなこともしてた(笑)
名古屋スケーターのみんなのバイブスも常に好きだったしみんな仲良しで最高だった。
その頃から雑誌でよくchattychattyの記事を見たり話を聞いたりするようになった頃の話。
mixiがはやってた頃だった気がするけど(笑)、確か最初にchattyが名古屋ツアーで来たんだっけ、、?で一緒に撮影回ったりしてみんなと繋がり 名古屋クルーでじゃあ神奈川に撮影しに行こうって感じで行動範囲がさらに広がった感じだね。
電車で行ったり先輩の運転で行ったりして、その頃から撮影にも火がついて、地元ではてっちゃんに撮ってもらったり、神奈川に出てきた時はひでくん、まことさんと撮影に行くようになったのが18とか19のころだっけか? 大学に通いながら車で移動することも増えて自分で運転してみんなで神奈川まで行ったりもしてた。
朝まで撮影したりとかもしてたけど、もう今は無理だなー。

ちなみに大学は外国語学部通ってて、なんでかって言うとカナダに留学できるっていうのがあったからそこに行ってたんだけど、2年生になった時にカナダに留学することになって半年行ってたんだよね。
カナダって言ってもcalgaryって内陸の方の田舎に半年、vancouverに1ヶ月なんだけど、calgaryで撮影してた映像のほぼ全部がハードドライブがバグってしまい消えてしまったって言う、、、 go skateboarding dayのときの映像思い出したから貼っておこ
 


カナダでもいろんなライダーとも繋がりができて最高だったなー
音楽も英語ばっかりスケボーのビデオ観ても英語ばっかり、親も海外好きで、せっかく半年語学留学行ったならそれを無駄にしない為にもってことでカナダから帰ってきてすぐに大学やめてアメリカ行くことにした。
大学だと自分の興味もないこと勉強させられて時間の無駄って思ったしね。
それで半年働きながらもちろんスケートして撮影して
で学生ビザとってアメリカに旅立ったって感じかな。

ざっくりと書いてみたけど、とりあえず言えることは、一緒に滑ってもらえた今までの仲間に本当に感謝。
もちろんまだ続けてる人はこれからも一緒に滑りたいね!
スケボー馬鹿を探し、追い続けてきた人生がこんな感じで今の自分を作ってくれてる感じ。
文章まとめるの苦手だからほんと大雑把だけど、暇な時に読んでいただけたらありがたいです。
そろそろ頭がパンクしそうなので今回のコラムはこんな感じで終わらせておきます。
次は何について書こうか、、、考えておきます。
次回の搭載は11/15の予定。



小島優斗 プロフィール
グリーンラベルを日本で1番飲んでる自身のある小さな熊さん
スポンサー:ムラサキスポーツ,Sk8mafia,Es skateboarding,Grizzlygriptape,Diamond supply co,JHF,Andale bearing,Crupie wheel,Skate sauce,Ashbury eyewear,Howl supply,Rastaclat
Instagram:@yutokojima
Facebook:Yuto Kojima

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