さて、前回に引き続き今回もつらつらとキーボードを叩いていこうと思います。
大学2年生から3年生になる時期の頃にやってくる「就活」といういやーなムードがあります。
まだ人生でやりたいことなんも決まってないのに、今から仕事なんか決めてどーすんだよ!
就活なんかやってられっか!スケボーしてーよ!アホ!
ってことで、勢いで決めました。渡米!
実は僕の母は大学の英語の教授を長年やっており、高校受験の時もアメリカの高校行けば?という感じでアメリカへ行け押しがすごかったので、
アメリカ行きたいんだけど。って言ったら即OK、休学して行ってきなと。
ただ、日本の大学はちゃんと卒業してほしいから絶対帰ってこいとのことで、1年オープン往復チケット(帰る日を一年の間で自由に決められる)を購入して、アメリカへ飛び立つことになりました。行くと決めたのは2010年の夏頃。
日本を出たのは2011年の3月のことで、当時20歳。東日本大震災が起きてすぐでした。
こうしてビデオカメラ一台を片手に僕のサンフランシスコ激情編が始まりました。
大好きなANTIHEROやKROOKEDまた当時コンソリだったMARUさんなど、僕の好きな人たちはみんなサンフランシスコをベースに活躍しているというなんとも単純な理由からサンフランシスコ行きを決めたわけなのですが、いかんせん知り合いも頼れるスケーターも誰一人として知っている人がいなかったため、超一人ぼっちでスタートしました。
NIKOという友達の友達と、ヒロさんという母の知り合いの教え子の日本人(スケーターではない)を紹介してもらっておいたのですが、そのほかは本当に皆無。
到着してすぐに近所で銃声を聞きビビりまくっていたところ、ヒロさんにとりあえず宿から連れ出して貰い(カッコよく言っただけで車で乗せてってくれただけ)第一目的地、POTRERO DEL SOLへ!
僕はこのパークにめちゃくちゃ憧れてまして、今のサンフランのパークといえば橋の下にあるパークですが、そのパークができたのは僕が日本に帰国してからで、サンフランシスコのパークはポトレロでした。
到着してまず目についたのが、デカいタトゥーまみれで坊主頭、そしてタンクトップ姿!ま、ま、まさか!!
ということでBRIAN ANDERSONとELLISA STEAMERがパークの外で仲良くチルいセッションをしていました。
俺も遂にきてしまったサンフランシスコへ!感が非常に強く今でも鮮明に覚えています。
そしてさらに、ボールコーナーでは見覚えのある顔の三人が!!
そこで仙台出身の画家のSADAMさん、BRIDGEライダーの菊池ショータくん、さらにDON NGYUENまでいました。
が、実はNUGEではなくフォトグラファーのリョージさんでした笑
と、僕のサンフランシスコパークデビューはとてつもない出来事となり、1年間通い続けることになるのでした。
さてこれが僕とポトレロの馴れ初め。
次は後に親友、そしてルームメイトになるNIKOとのお話を。
ニコは昔語学学校に勤めており、そこで僕の地元の友人でありルームメイトでもあったAKIOの兄と出会っています。
アメリカに行ってから一ヶ月くらい経ったのちにニコと連絡がとれ、滑りに行こうと。
そしてまた例の如く、お迎えに来て貰いました笑
そして連れて行ってもらったのがこちらのパーク
初めてレインボーレールというものに挑戦したのもこのパークでした。
ここはオークランドにあって、確か僕が住んでまもなくぶっ壊れて滑れなくなってしまったのですが、かなりのゲトー地域。
日本がどれだけ安全かということを何度もアメリカ生活で学びましたね。ほんと。
どれくらいゲトーかというとそこらへんに注射器がごそっと落ちてる感じです。
そんなこんなでニコとはスケートを通じて速攻意気投合、運よくニコも住んでいた家が契約が切れるとのことで、一緒に部屋を借りることに。
そこから僕の英語スキルも爆あがり、スケートのスキルはそこそこあがり、って感じでございました。
スケボー、酒、スケボー、パーティーという流れをひたすら繰り返していました。
ここを掘り下げると、パーティーの話だけで4回くらいコラムを書かないといかないので、割愛させていただきますが、少しパーティーについては触れておきたいので一個。
アメリカはIDについてものすごく厳しいんです。イメージで言うとID(年齢と身分を証明できる写真付きの運転免許証やパスポートなど)を持っていないとおじいさんでもバーやクラブに入れないレベル。
僕はアメリカついてすぐは20歳で、アメリカの成人は21歳。3月末に飛び立ったので、誕生日の5月末までお酒はお預け…
本当にきつかったです。人と仲良くなる上で、お酒はチート的な存在。急速で仲良くなるためのいいスパイスです。
やはり21歳になってからは友達がいっぱい増えました笑
さて、話を戻しますが、ニコにはエードリアンという弟がいて、かなりいいスケーターでよく撮影をしていたのですが、そうこうしてるうちにカメラマンになったら仲良い友達が有名になるんじゃないかな。なんて思い始めたきっかけの一人です。
※その当時作ったエードリアンの映像
だんだんとスケボー、撮影、パーティーみたいな流れが増えて行って、もうすぐアメリカ生活が一年ごろになろうとした時に、日本からきなこ棒選手が遊びにきました。そこでも撮影三昧。
※その時に撮った映像が1本目に作ったフルレングスSKETCHY LIFEに入っています。
さらに元DOJOの師範、高橋一慶も日本からサンフランシスコに遊びにきていて、宿なしだと噂を聞いたのでウチに泊まっていいよーってことで、三日位ウチに泊まって撮影しました。
※DOJO師範の頃の一慶
※サンフランシスコでの一慶
当時の一慶のブログはコチラ
てな感じで僕のサンフランシスコ生活後半は撮影三昧になりました。
撮影しまくってるうちにこれ、本気でやってみたいかも!!
というので日本に帰っても撮影してみよう!!!
と思いたち日本へ帰り「ビデオカメラマンに俺はなる!」編へと続きます。
※PHOTO BY IKKEI
※サンフランシスコで半年以上一緒に住んだルームメイトたちと
今回も長くなってしまいましたが、また次回お会いしましょう!
<追記>
1年間で一度も日本に帰りたい。という気持ちにならず、最後帰りたくなさすぎて号泣しました。
というとこから「サンフランシスコ激情編」というタイトルです。
号泣はしたものの母に渡された往復チケットのおかげでしぶしぶ日本へ帰る事にしました。
日本に帰って来なかったら今の生活はなかったと思うので、母に感謝です。
TK プロフィール
池袋のHIGHSOX SKATEBOARDSの店長を勤めながらスケートボード映像制作を活動の軸に日々奮闘中
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