そういうわけで、昔話の続きをもう少々。
当時スノーボードは世界でも生まれたばかりの新生児みたいな最先端の遊び。
まだ海のものか山のものかもわからない(山のもの!)スキーヤーやスキー場経営者達にどちらかと言うと煙たがられていた時代にハマっていたのは、やっぱり尖ってたり変わったものが好きな人種で、街のおもしろ不良人物達と出会うきっかけにもなりました。
なんせスノーボードをやってる人は知り合いかその知り合い、くらいの人口だったのです。
時代はまさにハーフパイプ前夜。
当初旭川での大会といえばレースしかなく、サホロのスポーツランド(?)でハーフパイプの大会があると聞きつけエントリーしたのは始めた翌年。
ビビりながら行ってみると、札幌や帯広から来ていたちょっと怖そうだけど優しい、スタイル入ったライダー達がたくさんいました。スケーターが多くて、引き付けてからグラブするの!?なんてそんな初歩的なスタイルというものを学んだのも彼らからでした。
サークルメンバーでお揃いのMA-1着て行ったのは、恥ずかしながらも今でも笑いのネタになるオハナシ。
旭川で最高に楽しかったプロショップ「kona surf」にたむろしながら海外からやってきたVHSのビデオテープを擦り切れるくらい巻き戻し、その技をやりたくて仲間達と毎日滑ってたこの頃は貴重な、どっぷりタイムでした。
当時のビデオスターといえば、強烈な個性を持っていてアホでカッコよく、誰もが一目で誰のライディングは分かったもので、憧れたりもしました。
やがて旭川のカムイスキーリンクスにハーフパイプができ、全国からライダー達が籠りに来るようになり、新たな刺激を受けたり、旅することもなく全国に友達ができたりで、今考えるといい環境でした。
そしてニュースクールという大波が押し寄せ、さらにスケート要素が色濃くなった時代。ビデオを見てガッツリ影響され、-20℃にもなる旭川で、キャップにネルシャツ、サングラス。
流行り通りにジャンプやジビングしながら滑ってた自分達のことを考えると、今の若いやつらは、、、
なんてセリフあんまり言えたもんじゃないですね…。
いくら春とは言え旭岳でもペラペラのヤッケ、キャップとサングラス。ニュースクール!調子こいてますね。
時代はまだまだバブルの匂いを漂わせる好景気ムード。スノーボード人口はウゴタケで増えていきました。大会も多く、ちょっとした成績でスポンサーも付き、ラッキーみたいな優勝でプロスノーボーダーに。
初のスポンサー、KEMPER。そしてポークすると曲がる口…。
そんなこんなで卒業し札幌に里帰りした頃、本州まで大会回りに行ったり、サマーキャンプに行ったり、雑誌に出てみたりで、調子こいてました。
そういや夏もMt.hoodで滑ってました。ゴロー、ナオちゃん、そしてシゲト!!
いろいろ行った中でもハイシーズンのウィスラーはデカくて早くてセクションだらけで、カルチャーショックを受け、フリーライディングとは、、、を投げかけられた場所でした。
全国、海外まで行くと、怖いという意味じゃなく、さらに尖った感覚の日本人達ともたくさん出会いました。みんな最高で今でも大体変わらず。
全国各地にパイプやパークができ、ジャンプ台もどんどんデカくなり、滑る環境も目まぐるしく変わる中、大会やイベント・ビデオで活躍する「第一線でやっていくプロスノーボーダー」というものを目の当たりにして、とてもじゃないけどおれにゃ無理だなと、そんなライダー業から距離を置くようになった、と同時に今の生業となるデザイン業も本腰を入れ始めた時期。「chaos」のジャケットデザインが初の大きな仕事でした。
そうそう、一人滑走中、立ち入り禁止の森の中でひっそりと背骨と足数箇所を折りながらも、携帯もないのになんとか救出されるなんてアンビリーバボーな経験もありました。
そして「山」っていうものを考えるようになったのはこの頃、ニセコに行くようになってから。最初がどこだったのかもわからないくらいの感じで登ったりもするようになり、シリアスな一面を考えるようになったのは当然と言えば当然でしょうか。
どうせならとアラスカなんて行ったりして、今まで景色としてしか見てなかったそこら中の斜面が気になるようになってきたら、それはもう病気の一種じゃないかとも思うわけです。
そんなこんなで、そもそも子供の頃遊んでた雪山遊び、その延長に戻ってくるまで、あっちへ流され、こっちへ行ってみたり、自分の意思なのか、なにかに操られてるのか、生かされてるのか…
でも結局なるようにしかなってないのは否めないのですが、やっとこさ辿り着きました。ですが、まだまだやりたい事は尽きないスノーボード人生、まだ半ばということにしておきましょう。
昔話も長くなると退屈なのでこの辺で!ありがとうございました。
吉田尚弘 DKC プロフィール
グラフィックデザイナー&プロスノーボーダー。
滑走活動のほか、イベント・スノーパークをプロデュースの経験も活かし、数々のスノーボードギアのグラフィックやスノーイベント・TV番組等のビジュアルを手掛け、雑誌「king garage magazine」の編集長。
自身のブランド「horizon」も20年継続中。UNITmfgライダー兼アートディレクター。
INSTAGRAM:個人(@dkc71) Horizon The Art Get Into(@horizon_the_art_get_into) King Garage Magazine(@King Garage Magazine)