前回の海岸浸食の話で、ひとつ言い忘れたことがあるのでまずは補足させてください。サーファーは波のブレイクの微妙な違いを見るだけで、どこにどのように砂が溜まっているのか、無くなっているのかを広いエリアにわたって達観できます。これ、当たり前に思われるかもしれませんが、実はスゴイ自然観察能力なのです。もし、こういった海岸地形調査を民間会社に委託するならば、特別な計測機器を搭載した船をチャーターして時間もお金もとてもかかってしまいます。だから、沿岸開発に携わる方はまずサーファーの声をきいてください!と言いたいわけです。さて、このように自然観察能力に優れたサーファーの祖先をたどると、さらにその能力に卓越した民族にたどり着きます・・・・というのが今回のお話です。
サーフィン誕生の地、ハワイ。そこに住む海の民、ハワイアン。彼らがいつ、どのようにハワイ諸島にたどり着いたかについては諸説ありますが、最近の研究では5世紀頃とも言われており、15世紀からポルトガル、スペインを主軸に始まる大航海時代のはるか昔となる10世紀頃には既にハワイ・イースター・ニュージーランドを結ぶポリネシアントライアングル(これはヨーロッパの面積の3倍もあるんですよ!)を自由に航海していました。ジェームズ・クックが1778年にサンドイッチ諸島、つまり今のハワイを発見したときにこんな驚嘆の文を残しています・・・・南はニュージーランドから、北はこの島々まで、そしてイースター島からヘブリディーズ諸島まで、どこにでもポリネシア人がいた!!・・・・そりゃそうですよね、クック船長、あなた700年も遅れていますから(笑)。
大航海時代のはるか昔からポリネシアンは太平洋を北へ南へと自由に行き来していた。この三角形の大きさを見てください。これはもう驚嘆するしかないですね。
(Gringer, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons 出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Polynesian_triangle.svg)
ポリネシアントライアングルの航海が成功に導かれた要因としては長期航海に耐えるカヌー(アウトリガーからカタマランに進化して安定性を得るとともに家畜・食料・水をたくさん積めた)を造ることができた造船技術も挙げられますが、長距離先の目標(ハワイとニュージーランドの距離は8,000kmもあります)にきちんとたどり着くための航海術を持っていたことがやはり決め手であったと思います。海の民と言われる所以はその優れた能力にあると言えるでしょう。特に、外洋の航海では大陸伝いや島影を灯台代わりにもできないし、曇天が続けば星も見えません。太平洋のど真ん中にいて、いったい彼らはどのようにして自分たちの進むべき方向を知ったのでしょうか。それはハワイ語で「プクロー」という技、日本語にすると「波合わせ」となるのでしょうか、つまり、ハワイアンは季節によって卓越したうねりがどの方向から来るのかをよく知っており、それを羅針盤としていたのです。
ハワイ先住民の伝統的航海を再現するために建造されたホクレア号。
写真は、2007年、ハワイ・ミクロネシア・日本航海プロジェクトで横浜港へ着岸する直前のホクレア号。
(ワカモアナ, Public domain, via Wikimedia Commons 出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hokulea2.jpg)
日本の冬型の気圧配置で発生した低気圧がアリューシャン辺りで台風並みに発達し、そのうねりがノースショアに届くことはサーファーならば誰でも知っている常識ですね(特に今年は過去最大級と言われる大波がYouTubeでたくさんアップされています)。そして、夏には南極海からのうねりがサウスショアのアラモアナで炸裂し、夏の終わりから秋にかけては貿易風で西のうねりがウェストマカハに届くことも。ハワイアンはこの季節によって繰り返す自然の営みを1000年も前から熟知していて、真っ暗な大海原の中で、たとえ星も島影も見えなくても、このグランドスウェルを肌で感じながら自分たちの行く方向を知ることができたのです。もちろん周りには小さな低気圧があちらこちらにあるはずで、波長・波高・波向の異なる様々のうねりが重なる中、このグランドスウェルを抽出することができ、夜、寝ている間でも船の揺れ方でうねりの方向を把握していたそうです。これだけ波を知り尽くしている民族だからこそサーフィンという発想も自然のことだったのでしょう。
2014年、ホクレアはハワイを出発し、タヒチへ南下し、そのまま西回りで世界一周航海を行い、2017年にハワイへ戻ってきた。
(Yoshi Canopus, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hokulea's_worldwide_voyage_map_2014-2017.jpg)
ハワイアンが自然観察に長けていた能力として、もうひとつ「ペレ」のお話をご紹介したいと思います。太平洋のど真ん中にはホットスポットと呼ばれる地球科学的にとてもユニークな場所があります。ここでは地球深部のマントルが局所的に上昇して海底を押し上げ、さらに突き破り火山島を造り出しています。一方、海底はプレートテクトニクスによって常に北西側へ移動しているので、誕生した火山島はベルトコンベアのように運ばれ、また、新たな海底火山がホットスポット直上で誕生し、火山島へと成長して運ばれ、これを繰り返して火山島列ができる構図となります。ハワイ諸島は北西側からカウアイ、オアフ、モロカイ、マウイ、ハワイと並びますが、まさにこの順番で島が誕生してきたわけです。一番古いカウアイ島は600万年前に誕生し、北西に移動しながら、300万年前にはオアフ島が、一番新しいハワイ島は100万年前に誕生し、そして、今、その南東側の海底には次なる新しい島となる海底火山(ロイヒと命名)がムクムクと成長している最中なのです。
ハワイ島では石のひとつひとつもペレの体の一部であるから決して汚すことも持ち去ることもできない。
この地球史における壮大なイベントは近代科学技術の躍進によって初めて明らかにされた偉大なる科学的成果なわけですが、ハワイアンはそれぞれの島の形、風化していく姿、生息する動植物、そして、現在、アクティブに噴火している火山活動といった様々な自然の変化を詳しく観察することで、これら島々の誕生と歴史を太古から知っていたのです。神話の中でペレはカヒキ(タヒチとも言われる)からカウアイにたどり着き、その後、オアフ、モロカイと南東へ下り、今はハワイのキラウエアを棲家にしていると語られているわけですが、、、、そう、ホットスポットとは「ペレ」の住む場所を指していて、ペレ神話とはまさしくホットスポット学説そのものと言えるのです。そして、文字を持たないハワイアンはこの島々の自然、歴史、知識、文化すべてをフラやチャントで言い伝え、これが現代にも引き継がれているのですから、われわれサーファーの祖先に対して敬意の念を感じずにはいられません。そして、デジタル社会において様々なものが不要物として消え行く中で、残していかなければいけないとても大切な何かを感じるのは私だけでしょうか。
ハワイ島の街なかで見かけた民家。ペレが宿るハワイ島の住民は生活の中にその魂を常に感じている。米国地質調査所の研究者から聞いた話だが、以前、防災の観点から火山噴火の兆候を知らせるためにキラウエア噴火口を掘削してセンサを設置しようとしたところ、住民はこれに猛反対したそうだ。なぜならば、そこにはペレが住んでいて、その場所をいじることは許されず、ペレが怒るならば(噴火するならば)我々はそれを受け入れなければならないし、もし、それが嫌ならばここに住まなければいい、という言い分だったそうだ。こういう自然観が今もなお残されるていることはもはや奇跡といえるかもしれない。
さて、私のコラムはこれで最終話となります。第一話では、私が海洋研究の道へ進むきっかけとなったサーフィンの魅力として、海岸に繰り広げられる複雑な自然現象への好奇心を引き起こしてくれたことを、そして、第二話と第三話では、海岸にまつわる最近の関心事として、「白潮」と「海岸浸食」の話題をお届けしました。第四話も含め、何れも、サーファーにとって海を観ることが大切であること、そして、そこにはサーファーでないと気付かないことがあるというメッセージを伝えたかったのですが、言葉足らずのところはどうぞご容赦ください。次回からは、サーフライダーファウンデーションジャパン元代表として一緒に活動をしていきた(楽しんできた!)守山倫明さんにバトンタッチをします。久々の「守山節」全開を楽しみにしてください!
許正憲プロフィール
台湾出身。鎌倉・稲村ケ崎在住。
数千メートルの深海底をフィールドとする海洋研究者。工学博士。
80年代後半より15年間、Surfing World誌、Surf1st誌で自然を話題にコラム執筆。
サーフライダーファウンデーションジャパンの立上げから理事として関わり、その後、副代表として6年間従事。