さてと前回ついにノーズのある今と変わらないスケートボードを手に入れた中学生の林少年。
そこからは、ほぼ毎日狂ったようにオーリー練習したなぁと。
高校に通い出してもそれは変わらず制服の無い学校だったのでチャリ通にスケボー持って上野公園やら当時の聖地だった秋葉原駅前広場通称アキバに初めて行き出したのもこの頃だと思う。
レベルの違いに真ん中の路面の良い所で滑るのが気まずくて外側のアスファルトでコソコソ上手い人見て真似してやってた。
それこそ、そこに今では一緒に滑る赤熊君とか岡田晋君とか米坂淳之介君とかアレックスリー君とか当時のそうそうたるプロスケーターのメンツが揃っててピークの時間はこっちは体育座りでデモ見てるみたいでした。
必然的に近所のムラサキスポーツ上野店に通い出し当時のそこのライダーのドウメン君に色んなトリック教わったりパクったり。
当時は回しトリック全盛期だったからスイッチトレとか乗ると神扱い。笑
色々近場でチャリで行けるスポットも連れてってもらってビデオ撮ったりライダーの真似事みたいな事もちょいちょいしだしたのもこの頃。
それでなんとなくライダーってモノにも興味が出てきた17~18歳くらいかな、上野店のスクールがいつもアキバで日曜の午前中とかにやってていつも通ってたら当時の上野店スケート担当の関口アキ君にコンテストとかどうだ?
上野店ライダーへの推薦条件的な目安でまずはアマチュアコンテストで表彰台の結果は出して欲しいかなと言われた。
なるほど!ってなって初めて出たのが千葉パルコ屋上にあったムラサキのスケートパーク、千葉mapsで行われてたティーンズカップってやつかな。
電車で1時間かけて初めて行った時はまずたどり着けるか電車から緊張してたな。
結果は覚えてないけど予選落ちだったと思う。
フラットのカーブボックスをひたすら攻めてフラットバンクでやっと回して位のレベルではバンクトゥーバンクで回してる方にはかないません。
コンテスト合間のデモはジャッジをしてた当時のムラサキスポーツライダーで早川 大輔君、木川田 直敏君、斉藤 孝吉君の最強トリオで各々見せ場がある滑りで沸かしてた。
ラストトリックは2つ並んだ間の空いたクォーターでの早川君のフロントフリップ。
早川君は下町スケーターで僕の滑ってた浅草のスポットにもたまに来てて怖くて会話は無かったけど遠目にみてました。笑
ストリートのイメージが強かった早川君のクォーターでのフロントフリップ。
実際結構惜しい所で乗りゴケしまくってて、見てるこっちも熱くなった。
ラストはパーフェクトメイクで見てるみんなが雄叫び上げてた。
強烈なインパクトで魅せてた。
あれがプロライダーなんだって初めて目の当たりにして純粋に憧れた。
そこまではパークってものがあんまり滑ったことも無く数回チャリで行った竹の塚にあったムラサキスポーツのMAPSくらいのものだった。
そして近所だったのに全然行ってなかった、今のムラパーの場所にあったアメージングスクエア内のほぼBMXとインラインスケートの為のパークにも通い出した。
アメージングは路面ガタガタで鉄板セクションでアール系のコーピングはめっちゃ出ててなのにバーチカルは3つもあったりクセモノパークだったが当時はそれが普通だと思って通ってたら他のパークの滑りやすさに驚いた。。
アメージングの灼熱の鉄板ミニランプは転ぶと火傷だし路面が粗めのアスファルトのストリートセクションは転ぶと血まみれだしで転ばないスケートはそこで身に付いたのかなと思う。
ありがたやありがたや。
だんだんフラット以外も楽しくなりパークも滑れるようになるとコンテストも楽しくなってきて横須賀の海風公園のワイルドボーイズの大会とか所沢の航空公園のムラサキの大会とか色々行き出した。
千葉パルコの屋上にも何度も通った。
当時15才くらいの三枝博貴もプロだったんでデモしてた。とんでもないスタイルのキックフリップと360フリップを誰よりも高さ出してメイクして見せつけた。
千葉のチームMILDイケてたなあ。みんなオシャレで上手くて当時大分影響されてた。
早川君と三枝博貴
そんな19歳、千葉パルコで2位で表彰台に上がってムラサキスポーツ上野店のライダーとしてお世話になりだしました。
優勝はMILDの佐藤圭吾君。強かった。何回出てもいつも勝てなかった。。
今日はここまで。
林秀晃プロフィール
生まれも育ちも下町浅草。
ムラサキスポーツ 本社契約プロライダーを経て現在はムラサキスポーツ渋谷スペイン坂店スタッフをしながら38:44JOYNTプロデュースしてます。もうすぐ42歳になりますがスケートボードはずーっと難しいけど、楽しい、新しい発見があるからやめられない。そんなおじさん。