このコラムはバックカントリースノーボードガイド・登山ガイドの松本省二君から、軽い気持ちで引き継いだけど、何を書いたら良いのか・・・4回も書くらしい。
まぁ色々悩んでも大したことは書けないけど、読みたい人だけ読んでもらえばOKかと。
1回目のコラムは自己紹介やら諸々
故郷の北海道雨竜郡雨竜町は暑寒別岳の麓で、自然豊と言うか自然しか無いところで、冬の唯一の遊び道具であるスキーでは、小学校の頃から裏山でバックカントリーをしていた。と言うのも、近くにリフトのあるスキー場が無く、自分で登るしか無かっただけのことでもある。北海道の田舎と言うのは隣の家まで1km近く離れてるので、遊ぶのも一人が多く裏山に登るのもソロ、まぁそんなに斜度も無いので雪崩れる心配もなかったのだろう。
両親は農業をしていたので、夏は手伝いが多く遊ぶ時間は少ない、夏に1年分働き、冬に1年分遊ぶ、そんな家庭環境で育った。そんな育ち方をしたからか、仕事も遊びも中途半端は嫌いな性格で、自分の限界までとことんやってしまうのだけど、とっても疲れて辛い時もあって、そろそろ程々にしようかと思うときもある。でも、たぶんこの中途半端が嫌いな性格とは、一生付き合うような気もする。
そんな自分がスノーボードに手を出したきっかけはとても単純で、たまたまスキー場でスノーボーダーを見た時に、とても楽しそうに見えたから。
当時、感じたことはスキーはスポーツ要素が強くて滑り方とか色々言う人もいて、スノーボードは自由で遊び全開な感じに見えた。スキーが上手に滑れなかったと言うのも事実だけど、遊び大好き人間は、そのままスノーボードショップへ行って一式購入、次の日はスキー場でスノーボーダーになっていたのが25年前(1992年)30代最後の年。
初めはゲレンデだけで満足していたけど、慣れてくるとスキーより深雪が楽に滑れるので、端パウで遊ぶようになり、圧雪してないスキー場へ行くようになり、滑禁もするようになり、スノーシューを持って春の乗鞍や立山へ行くようになった。そんな遊び方をしている時にBurtonのレイトモデルスプリットボードに出会い、今に繋がる。
ちなみにスノーボードショップを始めたのは22年前(1995年)で、当時はバイクショップの責任者をしていて、冬場の閑散期対策と考え、自分が熱中していたスノーボードの店を始めた。
1995年頃のスノーボード業界は、今では考えられない売り手市場で、仕入れたくてもメーカーが取引を断ってくる、そして広告を出したくても、雑誌社が枠が無いと断ってくる。
今では考えられない、笑い話のような業界だった。そんな業界に手を出して、人気のある商品を調達するには、アメリカ西海岸で買い付けをする以外に方法は無く、毎年8月末から1ヶ月ぐらいは、PCHを走り回る海外旅行をさせてもらっていた。いわゆるグレーマーケット?平行輸入って奴?、そんな状態が3~4年続いたであろうか、少しずつ国内メーカー代理店とも取引させてもらえるようになり、残念ながら海外旅行は出来なくなった。
初めてのスプリットボードとの出合いは、やっと取引の出来るようになったBurtonから2000年秋にレイトモデルとしてSPL166(だったっけ?) がリリースされた時。
当時は何も分からず、普通のスノーボードだと思ってボードだけ注文した。注文用紙の中にはCramponとかSkinと書いてあったが、それは何?・・・って言う感じでオーダーはしなかった。ボードが納品され、現物を見てから普通のスノーボードで無いことに気づいた。当時パソコン関係ではWindows98のリリース後で、インターネットも普及した時だったので、ネットで色々調べまくったけど、それでも今ほど情報も無く、よく解らないままディスプレイされていた。
そのシーズンにディブダウニングが来日してレクチャーを受け、やっと理解しデビューとなったが、フィールドでは変なボードを持ってるこの人はなに?状態であった。それでもあれこれ試しながら白馬、立山、富士山、乗鞍とスプリットボードを使い続けた。
翌シーズン今度はクレイグケリーが来日し、八甲田でレクチャーを受けた、憧れのクレイグとのセッションで舞い上がり、登り返しでシールを貼ってるとき、クレイグから一言『リバース』と言われたのを鮮明に覚えている。
スプリットボードとの出合いはこんな感じだった。
小林敏邦プロフィール
1953年3月11日 北海道雨竜郡雨竜町と言う雪国の片田舎で生まれる。
現在は 長野県上田市にあるスノーボードショップ サンライズヒルの店長。
2000年から スプリットボードに興味を持ち、17年間かたくなにスプリットボードを使い続けてる。たまたま6~7年前から スプリットボードを使う人が増え始め、少しだけスプリットボードのこと知っている関係で、ちょっとチヤホヤされ、調子に乗ってる64才のおじさん。
一緒に山で遊んで貰える友達を常に募集中。『来る物拒まず去る者追わず』
バックカントリーではピーカンパウダーを当ててると自惚れている。『山は行ってみないとわからない』と、いつも言ってる。
こんな感じのおじさんですが、もう少しみんなと一緒に山遊びをしようと思ってる。
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