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コラム

小林敏邦『第2回 スプリットボードを使い続けた』

2017/04/19 tag: 小林敏邦

スプリットボードを使い続けた理由は、単純に楽だから・・・
2000年にBurtonのレイトモデルを使ってから17年間、スノーシューは使ってない。
ボードを背負うと重いし、肩が痛いし、風で煽られる、疲れる。
山友の中には行く場所でスプリットボードとスノーシューを使い分けている人もいるけど、それはそれで良い事だと思う、スプリットボードだけの人も当然OKで、型にはめる必要はなく、それぞれの考え方で楽しめればいい。
そんな感じでスプリットボードだけを使い続けている私ですが、富士山の富士宮登山口から日本最高地点まで、アイゼンを装着してスプリットボードを担ぎ上げたこともあり、それはそれで忘れられない思い出になっている。それでも富士山へは迷うことなく毎回スプリットボードで行く(山は行ってみないとわからない)。

山では撮影も好きで、ミラーレスやビデオカメラがザックに入っている。
ここでも中途半端は嫌いで、画質に拘り、カメラもどんどん大きくなり、カメラ関係の機材も重く、それと一緒に板を担ぐことはまったく考えなかった。
映像関係では、まだDVDの無い時代からChild’s mindと言う、身内の仲間映像作品を約10年間つくっていた。最近は写真がメインになり、二つのレンズにそれぞれボディを付けて持って行ったり、ドローンにも興味を持ち始め、OMDとMavicの2台持ちの時もあったりで、ザックは相変わらず重くバックカントリーからスプリットボードは外せない。

2000年にBurtonがレイトモデルでスプリットボードを出した事で、多くの人がその存在を知った。ただBurton 意外にもVoileなどでスプリットボードはあり、一部のコアな人たちは使っていたみたいでしたが、今ほどスプリットボードに人気も無く、あまりBurton意外については気にしていなかった。
翌2001年には、Burtonから複数のモデルがリリースされた。確か女性用のFaceと言うスプリットボードも出て、長さが157cmで男性でも使っている人がいた。
メンズではCustomやCascadeのスプリットボードが出て、名称はCustom-S 165とか、Cascade-S 170で、特にCascade-Sの170cmと言う長さはお気に入りの1本だった。
2003-2004シーズンには、ネーミングがCustomやCascadeからS-Seriesになり、165cmと170cmの2モデル展開となり、157cmのFaceは姿を消した。
Face 157は、男前な女性向き(笑)の板だったので、unisexで継続してもいいのではと思い、とても残念だった。

当時はバックカントリーが今ほど加熱して無く、更にスプリットボード自体も知られてなかったので、年間の販売本数は 3~5本程度で、本当にコアな人だけが買っていた。
そんな販売本数だったからか、2004年春に、Burtonから今シーズンを最後にスプリットボードの販売を終了するという情報が先行で入った。
私自身スプリットボードを4年間使い続け、スプリットボードの良さも理解していたので、なんとか私を含め、既にスプリットボードを買ったユーザーが、この先も使い続けられるようBurtonにある製品在庫とパーツ在庫の確認をし、ほとんどの商品を仕入れ、現在もパーツ在庫は少しだけ残っている。

話は前後するけど、2002年にクレイグケリーが来日し、八甲田で2日間スプリットボードのレクチャーがあった。クレイグと一緒に登り一緒に滑る2日間、クレイグとすごしたその2日間でバックカントリーはスプリットボードで、と言う考えになってしまった。

kobayashi photo

そしてその年の12月に、八甲田でレクチャーを受けた仲間と、クレイグがガイドをしているBaldfaceへ行こうと言う話で、企画が進められたが業界の忙しい時期でもあり、翌年の再企画になった。
しかし年が明け2003年1月20日クレイグはカナダの雪崩事故で帰らぬ人となってしまった。この情報を信じられない気持ちと、時間がたつにつれ増える情報から事実だと受け止め、なんで12月にBaldfaceへ行かなかったのかと、多くの人たちが後悔し悲しんだ。
その翌シーズンからしばらくは、クレイグが開発し、八甲田でクレイグが乗っていたS-Series 170が私の相棒になった。そのスプリットボードは今でも持っている。

kobayashi photo

僅か2日間のレクチャーとセッションでしたが、『スノーボード界の神』クレイグが私達に対して伝えたスプリットボードの素晴らしさは、私のスプリットボードに対する気持ちに大きな影響を与えた事は間違いない。

kobayashi photo

話はスプリットボードの話題に戻りますが
Burtonがスプリットボードをやめてからは、年々スプリットボードユーザーも少なくなり、私の周りもほとんどの人がスノーシューになった。
私はその後もスプリットボードを使い続けましたが、Burtonがスプリットボードに力を入れた2000~2004年にスプリットボードを買った人が、なぜスプリットボードを使い続けなかったのか、さらにはこの4年間で、なぜもっと多くのスプリットボードユーザーが増えなかったのかを考えた時、色々な事が見えて来た。

それは当時感じた事もあれば、今になって思うこともある。
その多くの問題はメーカーや販売店の部分が大きいと感じた
・メーカーや販売店がスプリットボードユーザーとしての経験を持っていなかった。
・スプリットボードの知識が無いので、スプリットボードの良さを伝えられなかった。
・取り扱う販売店は無いに等しいぐらい少なかった。
・スプリットボード関係商品を扱うメーカーも少なかった。
・インターフェースなど周辺パーツの完成度も低かった。
・コアなスプリットボードユーザーはいたが、その絶対数が少なかった。

こんな環境の中で、スノーシューに戻る人が多いのも、それは仕方ないことであった。
ただ私はスプリットボードのメリットを十分に感じていたので、その後もスプリットボードを使い続け 2007年まではBurton S-Series 170を使い続け、春先などは レイトモデルの SPL 166 も使っていた。


一方スノーボード業界全体を見ると、ソリットボードでは新しい動きがあり、2007-2008シーズンにK2から GYRATORと言う、フルロッカーのボードが出て、そのポップな動きに感動した。パウダーでの浮力や荒れた雪面での安定性や操作性はバツグンだった。
この板も個性が強すぎたのか4~5年で姿を消したが、私を含めこの板のファンは多く、今でも12月八方のゲレパウセッションでは大活躍している。
そんなお気に入りの板なので、この板で登って滑りたい欲望に負け、リリースされた翌年の2008年にはGYRATORを割って自作スプリットボードを作成していた。 

次回は自作スプリット時代の話をさせて頂きます。 



小林敏邦プロフィール
1953年3月11日 北海道雨竜郡雨竜町と言う雪国の片田舎で生まれる。
現在は 長野県上田市にあるスノーボードショップ サンライズヒルの店長。
2000年から スプリットボードに興味を持ち、17年間かたくなにスプリットボードを使い続けてる。たまたま6~7年前から スプリットボードを使う人が増え始め、少しだけスプリットボードのこと知っている関係で、ちょっとチヤホヤされ、調子に乗ってる64才のおじさん。
一緒に山で遊んで貰える友達を常に募集中。『来る物拒まず去る者追わず』
バックカントリーではピーカンパウダーを当ててると自惚れている。『山は行ってみないとわからない』と、いつも言ってる。
こんな感じのおじさんですが、もう少しみんなと一緒に山遊びをしようと思ってる。
HP:http://www.sunrisehill.co.jp/
Facebook:https://www.facebook.com/toshikunik
Twitter:https://twitter.com/cha1ma1

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