カマヘレ号に乗りパールハーバーまで寄港なしのノンストップ航海。
これから経験した事のない想像を絶する船旅になるとは全く考えもせず
人生2度目の航海に出られるとワクワク清々しい気持ちになった。
出発までの1週間、僕は出航のために身の回りの準備を整えていた。
一方ベイサイドマリーナではカマヘレ号の修理メンテナンスも進行中だ!
ホクレア号のクルーたちもホクレアの活動をより知ってもらうために学校など表敬訪問をしながら陸の活動を行っていた。
ホクレア号の船本体は無論双胴船エンジンなしの分解式で船はロープが解かれ分解されコンテナに積まれ船便でハワイに帰る準備も完了していた。
このホクレア号世界航海の完全完了ピリオドはカマヘレ号が無事にハワイに届けられれば完全コンプリートする。
そのことがその時、強く認識したのを覚えている…。
出航3日前カマヘレ号クルーが招集された。
ドイツ人キャプテン マイクをはじめ日本人6名。
うちアメンボビーチクラブから3名。
我々以外は精鋭ぞろい(笑)
この日現実的な感覚と海にでられる子供みたいな、はしゃぐ感覚が混同していた。
食料・備品などの航海ならではの大量の買い物を楽しんだ。
そして1日前から心臓の鼓動が時計の針のように強く確実に刻み、あっという間に航海当日をむかえた。
ベイサイドマリーナに着くと、すでにたくさんの人たちが見送りに来ていた。
更に胸は高鳴り最終出航準備に入る。
ついにこの時が来た!!いよいよだ!!!
そして我々クルーにたくさんのお守り・お土産。
ハーフムーンの琢磨仁さんケイコさんと湘南の先輩たちから
ハワイ到着後すぐにお金がいるだろうから…とドルを用意してくれていた。
なんと母心ジーンと感じた。みなさんの思いに熱くなる。
そろそろ航海用の水も積み終わり、辺りではフラダンス・音楽・笑顔で喜びのエネルギーが満ちあふれていた。
さあ!いよいよだ!行くぞ!!船が語りかけて来た。
今回このとんでもない悪条件の航海は同乗するベテラン航海経験しているクルーも無論はじめてだという。
僕も想像つかない…。
カマヘレ号に乗ることを決めた時から覚悟していたことは少なくとも1度や2度は必ず極限状態がおとずれる。
自分が生かされるのか?そこで終わってしまうのか?覚悟を決められるのか?
必ず試される。
自分の人生の反省・感謝の旅にしよう!
そしてこの大きなプロジェクトのピリオドを僕たち日本人がやってみせると生意気ながら強く思っていた。
楽しい特別な時間の流れは早いもので出航準備が整いクルー全員がカマヘレ号に乗りこんだ。
名残惜しい時間もここまで。
すーーーーっと神聖な気持ちになりクルー全員と円陣を組み航海安全を祈った。
ホクレアクルーのお祈りのハカ(踊り)はいつになく力強いものであった。
船がゆっくり動きだし手を振る仲間たちベイサイドマリーナのみんなの声が響きわたった。
ここから30日間の過酷で最高の航海がスタートした。
航海航路は横浜からストレートにパールハーバーをまっすぐ目指すのみ!
あとは海とクルー・カマヘレ号に命を預け僕らは荒波を切り・虹を何回も潜り・嵐・船酔い・体調不良・精神的な不安などなどをそれぞれの苦難を乗り越えてやり切った。
過酷ではあったが無事にパールハーバーまでの航海にピリオドを打った。
今思えば出航して最後の最後まで手を振って追っかけて見送ってくれた我がクラブの仲間ヨシ!日本人唯一1人パールハーバーで日本の国旗をもって出迎えてくれたMrタイセイ!に感謝しこれからの我がビーチクラブ活動にこの航海経験を活かして大切なことを伝えていきたいと思います。
海の後輩たち・若者たちにはぜひ我々の失敗を教科書がわりにしてほしい。
陸では謙虚に海で自分と向き合ってみんなで楽しい時を過ごせ!!
海の先輩たち これからもご指導よろしくお願いいたします。
強く!若きウオーターマンに幸多きあることを願う!! 以上
鯨井保年プロフィール
愛知県生まれ 東海大学出身
学生時代トライアスロン・ライフセーヴィング部に所属
経歴
1994年 ビーチフラッグス世界大会(イギリス ニューキィ) 優勝
1996年 ビーチフラッグス世界大会(南アフリカ ダーバン) 優勝
2000年 大西洋横断(ポルトガル リスボン~マデーラ島~カナリア諸島~カーボベルデ諸島~カリブ海アンティグア島)
2007年 太平洋横断 ホクレア号サポート船カマヘレ号(横浜~パールハーバー)
2016年 ライフセーヴィング世界選手権(オランダ ノールドウェイク)
ビーチフラッグスマスターズ部門 3位