美谷島 豪君からバトンを託されて書くことになった齊藤 哲です。
コラムの話をもらって本当に自分に書けるのか?と思いつつも、なんでも経験と思い二つ返事で引き受けさせてもらいました。暖かく見守ってやってください。よろしくお願いします。
まず自分のヒストリーから書かせてもらいます。
生まれも育ちも長野の菅平高原で、家が菅平高原の中でも標高が高い所にあって花百名山、根子岳、百名山の四阿山の間の山腹で牧場を営んでます。
育ったところが本当に絵にかいたようなワイルドライフでThe北の国から(あんまみたことないけど)。小さい時からトラクターのハンドルを膝の上に乗せてもらって握らせてもらって、低学年の頃には車の運転も父親に教わって高学年に上がる頃には自分達で乗り回してました。その時の愛車がフォルクスワーゲンのゴルフ。本当に初期のディーゼルのFFのやつで、シートを全開に前に出して背伸びして、かろうじてハンドルの隙間から前が見える仕様、本当に敷地が広大で電気も水も道路も自分たちの管理下で自治区みたいな外の世界とはかけ離れたルールで、そうゆう環境でそだったのもあって乗り物という乗り物が好きで積極的に色々乗りました。自転車、車、バイク、トラクター、トラック、ダンプ、バックフォー、ホイルローダー、ブルドーザー、ピステン
スキー、クロスカントリー、スキージャンプ、Skateboard、Snowboard乗ると本気で乗りこなせるようになるように何でもやってました。最近はモトクロスバイクで地形でジャンプしたりウィリーしたり家の周りで遊んでます。
コックピットに乗り込んだ時、跨ったとき、立った時に自分自身の身体じゃない隅々に生命を吹き込む感覚、突き詰めればどこまでも突き詰められるどこまでも行けるような感覚がすきですね。
横乗りの本当の最初は保育園の雪遊びで、ソリに横乗りで立って滑ったのが最初だったと思います。その時は丘の上から中々最後まで乗り切れなくて途中で危ないからストップがかかったっけど、あと一回、もう一回と得意の終わらせないやつで、MAKEした記憶があります。skateboardを買ってもらったのが小学生の低学年ぐらいで、グラフィックが鷲で形がオールドスクールのクルーザーのトラックがプラスチックのやつでスグにトラックが壊れっちゃって、それでももぎれるまで乗ったのを覚えてます。
snowboardを最初に履いたのが小学4年生で、友達のレンタルショップのボード一式借りて友達に教えてもらいながら、本当に転びまっくってそれが新鮮で楽しくて、どうにか友達みたいに滑れるようになりたい一心で一日中滑って、ヒール、トゥーの横滑りは出来るぐらいになって人生の初滑りの一日目が終了。最初の頃は自分のボードがなかったから友達のお母さんが履いていた板を借りて、借りてた板がオールドスクールのノーズとんがりのテールがストレートに切れてて、グニャッグニャのソフトブーツに前振りのバインでナイターを滑ってました。小学5年か6年の時に自分のsnowboardを親に与えてもらって、休みの日は家からスキー場まで2Kmぐらい牧場の中を滑って行って滑りまわってました。雪がある地元の生活の中の雪遊びから、自然と横に乗る遊びにハマって、また中学に上がると色々な出会いとsessionから横乗り熱がグンと上がっていきます。
1回目最後までお付き合いありがとうございます。2回目に続きます。
齊藤 哲(Satoshi Saitou)プロフィール
1986年12月25日生まれ
125haの広大な牧場で生まれ育ち自然の雪遊びから横乗りに目覚め、フリースタイルな滑りのスタイルをDIY生活の中からsnowboardingにoutputして日々を楽しむフリーマン。最近は30年で朽ちた牧場の施設をDIYで修繕をしながら来る冬に抜けて思いを馳せている。
THE FIGHTING FARMERSでベース担当、バンド活動もしています。
スポンサー:Greeen.Lab Snowboard / 241clothing / ダボス牧場
出演作品
Key Station(KMP FILM)
Road To Cordova(241clothing and Green.Lab)
D.I.Y(GREEN.LAB)