片親の環境からきていたのか子供の頃からひねくれ者で、自分の意見を言うのが苦手だった。その代わり行動で自己表現する事が多かった。それが一種のプライドになったが中学生になった頃。
周りがBOOWYにハマって髪をムースでツンツンに立てている頃、私は姉の影響でブルーハーツ派だった。何を言ってるのかよく分からない英語混じりの歌詞よりも、きちんと理解出来る日本語でのストレートな歌詞が大好きだったから。
とにかくカッコつけないでカッコつける事を何となく感じていたのか、カッコつけない事をカッコいいと認識していたのかは解らないけれど、とにかく目に見えてカッコつけてるものに全く興味が湧かなかった。いやむしろカッコ悪く思えたのだ。それは今もほぼ同じで、「カッコつけてるんだからカッコ良くて当たり前だろ?」という基準になっている。
姉の影響からスケートを始めてからはただただひたすらスケートボードというものを吸収する行為に没頭した。そんな初心者だったのは30年ちょっと前。手探り見様見真似で技を覚えるのが当たり前の時代は、情報が少ない為凄く時間も手間も掛かる。それでもひたすら形から練習し、やり方を人に聞いたり想像からイメージして失敗して怪我して1日経ったら忘れてやり直して、オーリーを知ってから出来る様になるまで気付けば1年近くかかってた。今の時代ならもっと短時間で出来る様になっていただろうし、もっと他の技を覚えるという道もあったかもしれない。
小さな子供は大人から観ると一見無駄な事しかしない気がする。でもその無駄から沢山の事を学んでいるのだそうだ。それと一緒でその一見無駄と感じるものが実は一番大切なものを作っていてくれたのだろう。
初心者という時期は、もの凄く特別な状況だと思う。
何も知らないが故に全てが新鮮で、先入観がなく枠も色もその時の自分次第。一番自由で真っ白な時代じゃないだろうか。この時期をどれだけ長引かせる事が出来るのかというのは、物事を広く大きく視るという能力には意外と重要なのかもしれない。私でいうなら上手く出来ない事を楽しめる余裕も、出来るまでやる負けず嫌いの気持ちもここで作られたと思う。
結論が検索ですぐ出てきてしまう昨今では、上達へのスタートダッシュが効いてしまうので満足の閾値も低くなってしまう。答えの解ったナゾナゾを何度も繰り返す人なんていないだろう。
とにかく初心者のうちはとても楽しい。あらゆるものが新鮮で、損得勘定無しに楽しいと思う。楽しいという事は、その時間中全てが自分の身になっているといっても大袈裟じゃない。そんな大切な時間を、結論を知る事で短くする理由も必要もない。最小限のヒントで読み解いて欲しい。
そして私の考えるスケートボードというのは、ずっと進化し続けてきているものだ。
当時は遅れて入って来るビデオを元に、その時の最新の服装を真似し技を真似し、やっと形になってきた頃に次のビデオが入ってくる。観たらそれまでやってた技が影を潜め、観た事ないトリックを見せつけられる。そしてまた真似して追いついたと思ったらまた突き放される。つまりいつでも初心者状態という訳だ。今の様に完成に近いスケートボードとは違い、進化の過程も突発的だった。そんな変化を最前線現役で感じていられた。こんなに楽しい時代を過ごせたのは幸せ以外なにものでもない。
亀岡祐一プロフィール
1973年生まれの横須賀出身在住うみかぜ公園率80%のスケートボードインストラクター。
ダブルフェイス代表。夢は大きく歩みは遅く。学ぶ事教える事が楽しくて仕方ない年配スケーター。