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コラム

松川 BOSS 聖彦『第3回 90年代、CREAM GRAPHICS誕生&どさ回り』

2018/07/04 tag: 松川 BOSS 聖彦

3回目のコラムは、セクションやオリジナルブランドを作っては壊し・・・を経て、いよいよ90年代中頃に始めたオリジナルブランドCREAM GRAPHICS創成期のお話。
そして前回に引き続き20年以上も前、昔々のことなので所々ファンタジーだと思って読んでね。

 

◆本業のプリント業は
前回までの通り、シルクスクリーンプリント業をやりながら90年代に入っても、ヒマを見つけてはSKATEをして、地元・石巻で92年から始まった(ミニランプ5~6個使ったかな)イベント・サマーフェスタをやったり、またあるときは辺鄙な山の峠にもミニランプを作ったりしたんだけど、田舎なんで夏は虫が多くて滑れたもんじゃ無かったなぁ。

それでも本業のプリント業はボチボチ依頼が来るようになって、仙台のアパレルメーカーや古着卸のメーカーから古着のリプリントとか、大手企業にプリントデザインの企画を持って行ったり、ミニランプ製作で培ったDIY精神と持ち前のノリで、印刷する日々。

また、o3から無茶振り依頼で初期のT-19の6色や8色のTシャツプリントをさせてもらったり、色々刺激になったなぁ~。インクジェットのない時代、全て手刷り(今でも私は手刷りだけど)。
間で当時ブランドを始めたばかりのJESSIE(現ESOW氏)を東京から呼んで、岩手・青森をワンボックスカーで営業したり。

 

◆ひょんなきっかけでブランドを.../浦本譲(URA3)現る!
そして1994年4月ぐらいにAJSAの仙台大会が開催されると言うことで、(株)トランパックから依頼され、1ヶ月前から大会用のセクションをすべて作ることに!

石巻で作り、前日に2時間かけて仙台の市街地近くにある台原森林公園まで運びセッティング。
東京や他県からプロスケーター・アマチュアスケーターが大集結。その夜は、o3と国分町(東北一の歓楽街)のクラブで合流。プロスケーターやスケートボード関係者も沢山居て、お酒も入るし話も弾む。女の子の話や音楽、スケート哲学・・・。
そのとき私とo3で、当時のスケートブランド「Stereo」がジャズのイメージを効果的に使っていて、ブランドコンセプトや表現がオシャレ過ぎる!と言う話で盛り上がっているところへ、松田優作ばりにひょろっとした体型で「もみあげ」をはやした男が
「ジャズ好きなんですか?」
「俺も大好きなんですよ」的な感じでいきなりカットイン!
「初めて会うよね、名前は?」
「駒沢の浦本です」。

そこからは、URA3とDESIGN、音楽、スケートの話から互いに何か新しことを表現したいね~、みたいな感じでまた盛り上がり、私がCREAMって名前でオリジナルブランドをやろうと考えていること。
よかったら一緒にやらない?と会ってから15分ぐらいで誘ったのになんと彼もほぼ即答でいいですねやりましょう!と。笑 

当時URA3は、デザイン専門学校を卒業してデザイン会社に就職した頃(だったかな)。
スタイルもストレートのワークパンツにジャストサイズのTシャツをチョイスして、他のスケーターとは違ったファッションだった。

翌日の大会本番はあいにくの雨。急遽会場をトランパックの倉庫に移し、午後から内容も省略してスタート。
事前に自分で用意していた「CREAM」とロゴのみをプリントしたTシャツを会場でURA3や何人かのプロライダーに配り、(私にとっては)まるでCREAM GRAPHICSが誕生する前夜祭のような、AJSA仙台大会が終わったのでした。

 

◆CREAM GRAPHICS誕生!
それから1週間後ぐらいにURA3から連絡が入り、お互いグラフィックデザインに関わる仕事をしてるから、ブランド名はCREAM GRAPHICSにしましょう!とブランド名決定、ロゴマークはURA3がコーヒーをマイルドに中和させるクリームの発想から、Cとgの組み合わせでCupロゴを完成させ、ブランドタグなどの織りネーム類、グラフィック、ポンポン色んな物が決まっていったんだから不思議だよ、これは今までの失敗も活かされたんだと思いたい!

ま~ポンポンと言っても、当時は容量の大きいデータのやりとりはMOに落として佐川急便で送るんだから1日かかるし、メールはISDN、何するにも時間とお金がかかったよ。

ところでCREAMのライダーはどうしよう?と言うことになり全権限をURA3に預け、駒沢を中心としたメンツが集まり、赤地正光(現ST Line)、Alexander Lee Chang(現(有)チャング代表)、飯島修志、森峰夫、BMXでは真野弘武、土井、これがCREAM GRAPHICSスタートのオリジナルメンバーだったかな?

一方石巻在住の私は、CREAMをオシャレなイメージにするべく、高級ブランドのラッピングリボンをストリートファッションに取り入れることを思いつき、試行錯誤を繰り返し通称オビTシャツやスウェットシャツを完成させ、他にも(縫製工場やらパターンなんかの手配をしてくれる)振り屋さんにお願いしてシャツやニット物、パンツなど自分たちのイメージを型にしてもらい一通りの製品が完成したのでした!

ちなみに1996年ぐらいから2004年ぐらいまでお世話になった振り屋さん、真っ赤が大好きドレッドヘアーの大津社長には、今でも東京に出向くたびに泊めてもらい、センベロツアーと称して赤地くんやLeeと一緒に呑む仲、今も変わらず続いています。
話を戻して1番最初に宣伝(プレス)を入れたのは、当時Warpの編集をしていたURA3のおかげで、Tシャツとライダーのモデルカットを数ページ掲載してもらい、単に雑誌に商品が載ることなんだけど、私にとってはこの日をどんなに待ち望んだことか?

いままで田舎でチマチマブランドをやっていたのを、いろんな人の協力でパズルのピースが揃い、カチッとはまった瞬間だったのかな。
大げさに言えばメジャーデビュー、これでブランド名を覚えてもらえるんだなぁ!

Warpの他、当時掲載してもらった雑誌(Ollie、Fine、Smartなどなど)のメーカーやショップ問い合わせリストがほぼ渋谷や原宿の東京中心の中、唯一住所が「宮城県石巻市」で、0225で始まる電話番号。問い合わせる読者のみなさんは石巻ってどこだよ!と思ったに違いない。
今だったらストビューでトタン屋根のおんぼろ会社がばれるとこだったよ。

写真は1998年頃と思われるRIDER集合写真
 matsukawa photo

 

◆東北のどさ回り(デモンストレーション)
その年の6月ぐらいからは宣伝と営業を兼ねてデモツアーを開始!もちろんすべてが手探り。
ここから数え切れないほどの営業デモ(と称した先生不在の修学旅行)をこなしたんだけど、まずは地元石巻のサンファン祭!サンファンバウティスタ号(木造船)のイベントで、デモをやったんだけど、なぜかその後、地元のイベントでは二度とお声はかかりませんでした。笑

当日は、当時私が所有していたワンボックスカー・コーヒー牛乳色のホーミーで後ろにソファーやパイプ椅子を載せて、石巻を夜7時をぐらいに出発。
ひとり駒沢公園を目指し、現地集合の総勢6~7人でツアー開始。
連絡はPHSとか、モトローラー携帯電話(通話のみ)だったかな~。

 

◆アポなしでゴリ押し
そこからは宛のない東北ツアーです。
宮城、岩手、青森、秋田、山形、アポイントなんて当然取っているわけもなく、当時のスノーボードやサーフ雑誌のショップ紹介で、住所と電話番号を調べて直撃!突然6~7人の集団がお店にやって来るわけです。

そんなのお店のオーナーさんは引きますよね。
前述の雑誌Warpを見せて「このブランドですよ!このブランド!」
何とか説明をしてもスケートブランド?聞いたことない?!
あるときはオーナーさんの無茶振りで、「じゃ店前の駐車場で何か技見せてくれる?!」。
またあるときは、事前にアポを入れてお店に伺うと、小中学生の子供2~3人がテレビゲームをしているところへむさ苦しい集団が登場、そっと逃げられる始末。笑

そしてやっぱり、これまでのコラムで触れた通り、ミニランプもボトムが短い、コーピングが出過ぎ・・・などなど何でもありの手作りセクション。

極めつけは滑る場所がないのでこちらで・・・と案内されたのが、市場がある港の広いスペース、ちっちゃなキッカーが1個、他に4~5人の小中学生スケーター。デモでもなんでもない、マンツーマンで滑る感じだよね!

そうかと思えば青森のむつまで行ったときは、これ以上ないと言うぐらいの接待を受け、応援してもらったり。
とにかく自分たちが思い描く理想と現実は、まったく違っていて、だけどなぜか楽しかった。

 matsukawa photo
1999年頃の私

 

◆デモこぼれ話。赤地くんて人①
移動車の中では、みんな若かったからほとんど寝ないでスケート事情、映像、ファッション、女の子の話。
1995~98年ぐらいまで、東北を中心に数え切れないほどの営業デモをやった分、初めは手探りでも徐々に何とかなって、大きなイベントで声もかかるようになった。
道中数々の武勇伝があるけど、最後に厳選したエピソードを2つほど書いて終わります。

当時、2ヶ月に1回ぐらいのペースでデモをやって、3~4回目になると慣れが出てきちゃって、何とかなるかぁ~と、あんまり現金を持たないで営業に出た事があったんだよね。

デモって言ってもほぼその日暮らしで、お店に営業、CREAMの商品を即納品して、その日の食費と宿泊代を稼ぐ綱渡り。
宿泊は、まだスケーターの家に泊めてもらえることが少なかったし大人数な事もあり、ビジホか旅館・民宿、フロントで人数をさば読んで1人部屋を借りてスネークしたり。
ところがこれがたまにうまくいかないときもあるわけで・・・。

そんな時、私が運転していて助手席にLee、後ろではみんな「今日は何食べます?何処に泊まりますか?」ってピュアに言ってるわけですよ。
で私も思い出して、隣のLeeにこっそり「そう言えば今回は現金があまりないなぁ」的なことを言うと、「え~っ!?」でも機転の利くLeeが、「赤地くんが、●百万円の貯金をしているから借りられるかも?」で早速事情を説明して全員でお願い!何とか30万円ぐらい借りて、その回の営業デモ乗り切ったのでした。

実は当時、大学生の赤地くんにはベンツのステーションワゴンを買うと言う目標があり、アルバイトの給料他とにかく地道に貯金していたらしいが、それをいとも簡単に30万貸してくれ~!でよく貸してくれたな~。
でも貯金の額は、例え親友であっても他人には教えない方がいいかも知れない!

 

◆デモこぼれ話。赤地くんて人②
次は1997年頃、初めて大阪に(いつも通りアポなし)何とかなるツアーで行った時のこと。
当時は1年遅れで横須賀のカメちゃん(亀岡祐一、dOUBLE fAITH)がCREAMに参加してくれる事になり、集合場所を駒沢から渋谷駅に変更したんだっけかな?

いつものメンバー+横須賀からカメちゃんを乗せて2時間遅れで出発!
当時知人からダッチラムのデカイ車を借り、王様カーと称して快適に東名高速を走行、初めての大阪に会話も盛り上がり、お昼近く浜松ぐらいにさしかかった頃、Leeの携帯電話に着信が!
おもむろにポケットから取り出しケータイを見ると「赤地くんだ!」

みんなそこで初めて「あっ!居ない!」「赤地くん忘れた!」となったわけです。
みんな焦りだして誰が出るのか、1分ぐらいケータイと責任を時限爆弾のように回し、結局1番年下だったLeeが最初に電話に出ると開口一番

赤地くん:Lee今どこに居るの?!(低いトーンで)
Lee:今松川さんの車に・・・(若干うわずりながら)

これ以上は会話が成立しません。で私が恐る恐る電話を替わって

私:もしもし赤地くん
赤地くん:松川さん今何してるんですか?!
私:大阪に行く途中です。

前回お金を貸してくれた、大切な赤地くんをデモツアーに忘れて置いて行くという大変なお返しをしてしまったのでした。
まさかの”物”じゃなくメンバーを忘れる。大失態!あり得ない!笑

その後、5分ぐらいひたすら謝り倒し、仏のなんちゃらで電話を切った後は、そんな大失態もすぐに忘れてウキウキのピクニック気分で大阪へ向かうのでした。

大阪のくだりも数々の武勇伝があり、初めてVenice(野上竜也、DORCUS TOP BREEDING SYSTEM)やEXPRESSIONの連中に会って、初回の微妙な空気感(互いに負けへんで的な)。
その後長い付き合いになったエイトスポーツをやっていた中川さん、その数年後にはSAY HELLO山本SAND直樹もまだ大阪にいた頃出会いました。
また何時か機会があればコラムにしたいけど、もの凄い長さになってしまう。

 

◆昔はプロショップと言ってた
そんなデモの甲斐あってか、CREAM GRAPHICSはスケートボードプロショップの取り扱いが全国に広まり、のちにドメスティックブランドの先駆けと言われるほどになったんだから、何でもやってみるもんだ!

 1997年頃には2ndラインaqua a branch、2004年にTHE ANSWER、いくつかやったけど、今は服を売るのが難しい時代だね。
CREAMはタイミングがよかった。でもやりたい事があったら自分の心に正直に、直感を信じてやってみたら良いかもしれないよ。

 

◆オマケ
ついこの前BEAMS JAPANで開催された「LOVE SKATEBOARD JAPAN展」のレセプション後に、赤地くん、Lee、大津さん、私で新宿で呑みながら夜中の2時ぐらいにその頃話になって、Lee曰く17~8歳ぐらいの自分に、赤地くんが預金通帳を見せて自慢していたらしい。
そりゃあの金額を見ればびびるよね、と。
大阪ツアーで置き去りをくらった赤地くん、当時かなりイラッとしたらしい。笑 

 

今回のコラムに登場した3人 右から2番目のこの屈託のない笑顔に昔から欺される。笑

matsukawa photo

3回目もお付き合いいただきありがとうございました。
次回は最終回。まとめられるのか?!乞うご期待!

 

松川 BOSS 聖彦 プロフィール
宮城県石巻市在住
有限会社CREAM UNITED 代表
スクリーンプリント業

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