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COLUMN |
SURF COLUMN 2015/3/4 |
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『サーフボードと共に』
私はサーフボードを販売する仕事を始めて34年になります
高校一年生の夏に近所のサーフショップにアルバイトで雇って頂き
ボードの修理から接客まで様々な仕事をさせて頂き
数か月が過ぎた頃 仲の良いお客様に一本のサーフボードを買って頂きました
16歳の私の浅はかな知識を総動員して一生懸命説明をして納得して買って頂いたのだが
多分購入は決めてご来店されたと思う
でも私にとっては興奮と感動と充足感が一気に上りつめた瞬間だった
そうです 初めてサーフボードを販売したのです
それがきっかけで
もっとサーフボードに詳しくなろう
誰よりも知識を得よう
サーフィン博士になろう!と思いました
高校卒業後 大学に通いながらCHPサーフショップで働き新境地を開きました
ハワイからT&Cサーフボードを輸入して カリフォルニアからライダーが来日して
日本中に販売展開しているブランドは
今までと違いよりグローバルなサーフィンインダストリーで 全てに興奮した
当時の中村一己社長から常々
「世界を視野に入れたビジネスを考えるように そして英語だけはマスターするように」と教わりました
今でもその姿勢は貫いています
20歳の私に素晴らしい経験をさせて頂き それ以上の貢献ができるよう
基本的なフォーム・レジン・クロス・ラミネート・サンディング・フィニッシュまでの知識を
ファクトリーワークも勉強しました
もっと本質を学ぶ為
23歳でオーストラリアに渡りNEVサーフボードで世界トップのサーフボードビジネスを体験しました
世界チャンピオンが居る国 生活にサーフィンがある国 ビーチフロントに都市がある国は
あまりにもカルチャーショックであまりにも好き過ぎて その後20年間この土地を訪れる事になりました
英語とオーストラリアとのパイプを学んで帰国後 サーフショップを開業したかったけど所持金0円だった
RADIXサーフの南沢社長にビジネスプランを聞いて頂き
直ぐに合意して頂き 25歳で地元にサーフショップをOPENする夢が叶った
翌年市川で ジャスティスサーフボードがスタートした
私はハワイに飛び 世界ランキング9位のマーティー・トーマスと契約した
今では当たり前だが 外人プロサーファーをサポートすることが珍しく
最初の広告ではハワイのブランドだと思われたが
作戦は成功して幸先の良いスタートとなった
私はSHOPで一人のサーファーに接客して
地方に出向き営業先のサーフショップのオーナーに自社のサーフボードを勧めて販売して頂き
充実した毎日を送ることで少しだけ自信が付いた
時代は好景気と重なり日本中のサーフショップが潤っていくのが実感できた
私はアメリカに渡り人気のプロサーファー ベンジー・ウェザリーと契約し
オーストラリアでは新しいシェイパーとのパートナーシップを確約した
全てが順調に進んだ
しかし なにか歯車が狂い始めた
バブル崩壊後色々な問題が重なり私はジャスティスサーフボードを離れることになった
31歳で再び渡豪し シドニーのアパレル会社のオフィスで働き帰国後
代官山でMAMBOのSHOPをオープンさせ華やかな東京生活の中に身を置いた
サーフボードの仕事から離れ外資系の会社と契約して都会のど真ん中で空を見上げて気が付いた
「ダメだ、サーフィンから離れられない」
契約した外資系会社が撤退したのをきっかけに私は地元に戻り
新たにサーフショップをスタートする為の準備をした
多くの仲間が手伝ってくれて人間関係の尊さをより実感した
平成10年10月10日サーフショップ「タイロンデザイン」がOPEN
次の展開は次号へ続く・・・
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