『Last man surfing』
この度4回に渡りコラムを書かせていただきました。
一回目は、「サーファーってなんだろう?」について、
二回目は、「全てのサーファーは尊敬に値する」という点について。
三回目は、旅に出たくなるようなコラムにしました。
そして最終回の第四回目は、「サーファー人生」というテーマについて書いていこうと思います。
京都の舞鶴で生まれ、
その後、静岡の御前崎、ハワイのマウイ島、オアフ島と生活の拠点を移し、
現在は四国の右下、徳島県で海と共に生活をしています。
今まで移り住んできたエリアには必ず海があり、
その土地で海と共に暮らす素敵な人達と知り合うことができています。
どこの土地にも、「波乗りが好きだから」という理由だけで移り住んだ人が必ず居て、
彼らは今まで育ってきた地元を離れ 「ド」が付くほどの田舎に、
サーフィンがしたいが為に移り住んでしまうのです。
独り身ならまだしも、家族を引き連れて引っ越して来てしまう人たちもいるのです。
「サーフィンに出会えただけで人生半分成功している」
「最後まで波乗り続けるヤツが一番すごい」
「サーフィンっていうのは一種の宗教や」
「サーファーっていう人種なんや」
「サーフィンは人生そのものや」
サーフィンをしない人達には理解できない、
それぞれのサーフィン哲学をよく耳にしますね。
私はもちろんその類の人間なのでとっても共感できますが、
狂ってる!アホちゃうんか!と感じる人もいるはず。
でも、それこそがサーフィンなのでしょう。
無理矢理言葉にするからそうなってしまうけれど、
サーフィンに対するスタンスは違いますが、
基本的にはサーファーの感じていることはみんな同じ。
ある人はサーフィンに人生を捧げ、
ある人はサーフィンと仕事の両立に励み、
ある人は週末のサーフィンに勤しみ、
サーフィンを続けている人達は、
自分の中のどこかに、
軸がぶれないようにそれを置いているのだと思います。
波が豊富な海辺のとある村にあるサーファーがいます。
若かりし頃は世界でも有名なビッグウェイブスポット、
オアフ島にあるワイメアベイも滑っていたのは今は昔。
今ではもうすっかりおじいちゃんと呼べる年齢になりました。
今でも季節労働をして、軽自動車に乗り、
波があろうがなかろうが毎朝必ず同じ時間に波チェックに行きます。
海に入る時は、
その時の気分でボードをチェンジしながら、サーフィンをしています。
私はそのおじいちゃんの哲学が気になってしょうがないのですが、
私たちが気にするのは勝手なお節介であって、
おじいちゃんの中では、
「特別な意識」なんてものは全く無いのかもしれない。
肉体的にピークを過ぎたいまでもサーフィンに情熱を注ぎ、
心からサーフィンを愛している結果でそれなのでしょうね。
すべてをサーフィンに捧げ続けているのだろうと思う。
この数年でキッズサーファーが沢山増えてきました。
親から無理矢理やらされている子もいれば、
仲間の誰よりも上手くなりたいと毎日練習に励む子供。
サーフィンに取り組む目的や意識はバラバラだけど、
サーフィンという素晴らしいスポーツを通じて、
偉大な自然を感じ、年代を超えたサーフィンが好きな人たちと出会い、
そこから色々と学び、考え、それによって成長していくのだと思います。
そんなこと考えている余裕などないのでしょうが、
今は気付かないのかもしれないけれど、
サーフィンには波に乗った時の感動や興奮だけではなく、
人生にとって必ずプラスになる、
そんな素晴らしいバックグラウンドが隠れているのです。
きっと大人になった時にサーフィンをしていて良かった、
サーフィンの本当の素晴らしさを実感する時がくると思います。
これは大人サーファーでも同じですね。
仕事でどれほどミスをして上司に怒られようが、
どれほどインターネットが普及し、情報が溢れたとしても、
サーフィンから学ぶ自然の厳しさと優しさほど偉大なものはないと、
サーフィンを始めて15年ほど経過した今私は感じています。
自然のバイオリズムとリンクしながら行うサーフィン。
波が大きすぎてアウトに出られない時や波に乗れない時、
波が小さくても心が躍るほど素敵なグライド。
もちろん透き通るようなクリアな波に包まれた瞬間。
自分自身も一喜一憂しながら自然とともに日々成長し、
心豊かな毎日を過ごすことができているのだと思います。
その時その時の状況で、
サーフィンとの向き合い方はさまざまですが、
いつまでもサーフィンを続けていきたいなと強く感じる今日この頃です。
Last man standing.
ではなく、
Last man Surfing♪
日本列島は2014年の夏も暑くなりそうですね。
これからも皆様のサーフィンライフが素晴らしいものとなりますように。
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