interstyle magazine
 COLUMN
surf columnSURF COLUMN 2012/11/21  
小山内 隆(※写真、左から3人目)
東京都生まれ。編集者。サーフィンライフ誌編集長を経てフリーランスへ。
ザ・サーファーズ・ジャーナル日本語版の創刊に携わる。
創刊時より寄稿するブルー(ネコパブリッシング刊)ではJAPANESE SURF SIDE STORYを
オーシャンズ(ライトハウスメディア刊)ではSEAWARD TRIPを連載中。
昨年は東日本大震災復興支援を目的としたチャリティー・オークションのグリコーゲンを
オーガナイズ。他、ブルータス、ポパイ、ターザン、スペクテイター、ヴィヴァ・コン・
アグアなど業界の内外問わず海やサーフ関連の記事を執筆する。海側の価値観を都会へ。
都会的な視点を海側へ。執筆する媒体によって立ち位置のバランスをはかりつつ、
今後は両者がクロスしていくこと展開が面白いのではないかと企み中。
1回目 2012/10/17 『ハミだすことのススメ』
2回目 2012/11/7 『新しい時代のサーフィンについて』
3回目 2012/11/21 『中東サーファーズ』
4回目 2012/12/5 『これからが面白い雑誌の話』

『中東サーファーズ』

このあいだ時間ができたのでタイトルが気になっていた映画『ものすごくうるさくて ありえないほど近い』を観た。何の予備知識もなく、単純にジャケ買いならぬタイトル買いで観たからか、想像もしていなかったその内容に「そういう映画だったんかい」と、かなりの満足度を得ることができた。
簡単にストーリーに触れると、2001年9月11日の大惨事で父親を亡くした少年が、自分を取り戻し、未来に希望を抱くまでを描いたもの。あのような惨事でなくても、両親や兄弟、友達という身近な人を亡くした経験のある人には少年と似たような感情を覚えると思うし、実際に頷ける点は多々あった。同時に、アメリカ同時多発テロ事件を前に、“主人公の少年のような立場の人が実際にいる”、ということへの想像力を持ち合わせていなかったことにも気づかされた。
いつものことながら嫌らしい政治のごたごたや陰謀説、機内にいた人が抱いた恐怖、遺族の悲しみ、そうした直接的、瞬間的な事柄に対して感情が揺らいだことは何度もある。その一方で、あの日を境に変わってしまった人生と向き合っていかなければいけない人たちに対して、心の傷や自己の再生への葛藤という、長い時間を要する事柄に思いを寄せたことはなかった。
だから観賞後には「気づかなかったけれど、それはそうだよね」という共感を強く覚えた。もちろん、完全に彼らの心象を理解することなどできないけれど。
ここ数日、イスラエルがパレスチナのガザ地区に空爆を続けているというニュースが流れている。地上戦に備えて75,000人の予備役兵が招集されているともいう。イスラエルもパレスチナも、ともに日本からは非常に遠い位置関係にあることを一因に、いつもの事ながら遠い世界の話に思えてしまう。
しかし地中海には波がある。イスラエルにもガザ地区にもサーファーはいて、サーフコミュニティーさえある。そう思うと、遥か遠くの土地ではあるけれど、想像力が働き始める。
イスラエルには二度行ったことがある。なかでも二度目はテルアビブ出身在住で、全欧チャンピオンにも輝いたアディ・グルースカくんがアテンドしてくれた。彼のおかげでイスラエルのサーフコミュニティーの人々と会え、波にも乗れ、何より常に戦時下にあるような街で安心して過ごすことができた。
商業都市テルアビブの地中海沿いにはサーフショップがあり、ローカルなサーフボードブランドのショールームもあった。インターサーフというショップを経営する長老風の人物によれば、イスラエルサーフィンが始まったきっかけは、カリフォルニアでパスコウィッツサーフキャンプを主宰するアメリカ系ユダヤ人、ドリアン・パスコウィッツがサーフボードを持ち込んだことにあるという。しかもなんと1956年のこと。日本とそう変わらないサーフィンの歴史がイスラエルにはあることになる。
そして数年前、ドリアン・パスコウィッツは友好の印としたサーフボードをガザ地区のサーファーへ手渡しに行った。SURFING FOR PEACEというプロジェクトの一環で、パスコウィッツの招きでケリー・スレーターもイスラエル入りをした。中東の火薬庫と呼ばれるまさにその中心地で、パレスチナの人に対してサーフスクールをしたり、コンサートを催したりと、彼らはイスラエルのローカル達とともに和平的な試みをおこなったのである。
もちろん、サーフィンがこの地に平和をもたらす、ということを言いたいのではない。サーファーというグローバルなマインドを持ちながらもアディくんは予備役兵であり、もしかすれば今回招集礼状が届いているかもしれない、というのが現実なのである。
一番最初に会った時に「ようこそ。ね、言った通りにピースでしょ?」と言いながら見せた屈託のない笑みも思い出深いが、戦時下では徹底的に相手を痛めつけるやり方について話が及ぶと、「僕らのはディフェンスフォースなんだ。君らと同じ自衛隊なんだよ」と激しく声を荒げたことも印象に強い。
対極にある価値観の狭間でアイデンティティー確立を迫られるのが、イスラエルという国に生まれたサーファーが背負う宿命なのかもしれない。そして、もしかしたらガザ地区のサーファーも同じ思いを抱いているのかもしれない。
何にせよ、今は交戦が落ち着き、お互いがそれぞれのホームで、安心して波に癒されることを願ってやまない。

surf column小山内 隆
1回目 2012/10/17 『ハミだすことのススメ』
2回目 2012/11/7 『新しい時代のサーフィンについて』
3回目 2012/11/21 『中東サーファーズ』
4回目 2012/12/5 『これからが面白い雑誌の話』
 
 
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