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COLUMN |
SURF COLUMN 2012/10/17 |
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小山内 隆(※写真、左から3人目)
東京都生まれ。編集者。サーフィンライフ誌編集長を経てフリーランスへ。
ザ・サーファーズ・ジャーナル日本語版の創刊に携わる。
創刊時より寄稿するブルー(ネコパブリッシング刊)ではJAPANESE SURF SIDE STORYを
オーシャンズ(ライトハウスメディア刊)ではSEAWARD TRIPを連載中。
昨年は東日本大震災復興支援を目的としたチャリティー・オークションのグリコーゲンを
オーガナイズ。他、ブルータス、ポパイ、ターザン、スペクテイター、ヴィヴァ・コン・
アグアなど業界の内外問わず海やサーフ関連の記事を執筆する。海側の価値観を都会へ。
都会的な視点を海側へ。執筆する媒体によって立ち位置のバランスをはかりつつ、
今後は両者がクロスしていくこと展開が面白いのではないかと企み中。 |
1回目 |
2012/10/17 |
『ハミだすことのススメ』 |
2回目 |
2012/11/7 |
『新しい時代のサーフィンについて』 |
3回目 |
2012/11/21 |
『中東サーファーズ』 |
4回目 |
2012/12/5 |
『これからが面白い雑誌の話』 |
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『ハミだすことのススメ』
昨秋はシアトルを起点にサンディエゴまでアメリカ西海岸を縦走し、今秋はドイツをベースにマンチェスター、パリ、プラハへ総じて3週間近くのトリップをしてきました。旅をする理由はとても単純なもので、もうだいぶ前に岡崎友子さん(現パタゴニアアンバサダー)が言っていた言葉を借りれば「行った事のない場所へ1年に1カ所訪れても、到底すべての国・地域を訪れることはできないし、だからできる限り旅はしていたい」ためです。岡崎さん自身、今も拠点にしているマウイ島と生まれ育った日本を往復する生活を続けていて、90年代は海と雪山を目的地に世界をかけめぐり、彼女の行動力そのものと現地に行ったからこそ得られた経験やお土産話に憧れを抱きました。
もともと僕が就職先にサーフィン誌を目指したのは、当時プロとして活躍していたジュン・ジョーの文章がきっかけです。「サーファーは波を追い求めて1年を過ごす」という内容のテキストが南太平洋トリップの特集記事にあって、それまで僕が抱いていた社会的な価値観とはまったく異なる世界観に興味がわいたのでした。
異国で波に乗る経験は、波に乗るという共通の行為を通じて、現地で出会ったサーファーの暮らしや、街の歴史や文化という生活背景を知る事にもつながります。異文化への興味は自分にも跳ね返り、世界のなかの日本という視点を持てることになります。海外の出来事と自分の暮らしとが同一線上にあるのだと知るのです。そうして他者と自分との間に何らかの関係性を見いだすことができると、敬意とやさしさが育まれます。
たとえば10年ほど前に訪れたパリの空港では、アクセスを聞こうと英語で質問したのに、当然のことのような顔を向けられつつフランス語で返答をもらったことがありますが(最近はないのかもしれませんが、この時はしばらく英語と仏語で会話をするという不思議な瞬間を過ごしました)、大西洋岸沿いの街ビアリッツのサーファーたちは日本の波に関心を抱き、ホームの波を案内してくれ、すべてフレンチなまりの英語で対応してくれました。彼らも旅をしているから、フランス語の通じない場所を訪れた経験をしているから、こちらを思っての対応をしてくれたのだと思います。
さらに海外では、時間を越える場所と出会うこともできます。僕の場合は、アンコールワットでの夕暮れ時に、「100年前もこの場所で同じ光景を見ていた誰かがいたんだな」と素直に思うことができました。
今にしか意識が向かないと、かたくなになった自分をほぐすことは難しく、しかし生まれる前の世界、亡くなった後の世界に思いをめぐらせることができれば、自分の中で何かが変わります。
日本のなかでは意識が時空を越える場所に出会うことは難しいのかもしれません。
ただ、ヒットラー台頭を促した演説が行われたミュンヘンの広場も、プラハのヴァーツラフ広場もベルリンの壁も、今まだその痕が残っています。まさに歴史のなかに存在する場所でしたが、変わるきっかけを与えてくれるこうした場所は、まだまだ海外には存在します。
そして、そのような海外でがんばる日本人は少なくありません。
今回のドイツでも現地のコーディネーター(日本人女性)さんにお世話になりましたが、しっかりビザを取って仕事をし、税金を払い、生活を営んでいます。生活者の視点で見れば、どこの国もその国なりの問題を抱えています。少子高齢化や財政的な問題を抱えているのは日本だけではありません。徴兵制がいまだある国も多々存在します。平穏に生活していくことが簡単でないのは、どこの国でも同じように思えますが、でも、もしそうなのだとすれば、「それならば日本に住む」という考え方が成立するように、「同じであるなら海外に住む」という考えも等しく成立します。
その決断をするためには、まずは自分の欲求(=したいコト)を明確にすることが大切なのでしょう。この点、あふれる情報にまみれた自分をシンプルにしてくれるのも、旅だったりするのです。
海に入りたい。
フットボールの本場で活躍する日本人を見たい。
日本語を聞くことも話すこともなく、欲しい情報は自分から取りにいかないとならない環境にしばらく身を置くと、このような自分の核なる欲求が浮かび上がってきます。
もし、気持ちや思考が内向きになっているのなら、思い切って海の外へ飛び出すことをおすすめします。自分がどうしたいのか分からない状況にある場合も、あえて海外に身を投じる事は一計です。同じ価値観(=僕らの場合はサーフィン)を共有することで広がっていく横軸と、時間の流れという縦軸の両方を得ることができれば(その獲得には少なくない経験が必要ですが)、曇っている視界は必ず開けます。大らかな考え方の獲得が、自分を自然に、身軽に、自由にしてくれます。
今回の旅において、日本からの渡航者を一番多く見かけた場所は、ヨーロッパの後で訪れたカリフォルニアではなく、マンチェスターでした。オールドトラフォードのピッチに立つ香川選手を見たいという一心で彼らは海を渡ったのでしょう。
そして、そのシンプルなパッションこそが、暮らしに真の充実感をもらたすのです。
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