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COLUMN |
SURF COLUMN 2011/8/31 |
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渡辺 広樹
スポンサー:ベンサーフ、S-SHAPESサーフボード、RLM、オーシャン&アース(セキノレーシングスポーツ)、GOSLOW、BVG |
1回目 |
2011/7/20 |
『福島3.11』 |
2回目 |
2011/8/3 |
『絆』 |
3回目 |
2011/8/17 |
『現状』 |
4回目 |
2011/8/31 |
『全日本宮崎大会』 |
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『全日本宮崎大会』
今年の全日本支部予選は、福島では行えず、
昨年のランキングやポイントの基準による書類選考で決めました。
正直、全日本に出る人がいないんじゃないかと思っていましたが、
10人の選手がエントリーしてくれました。
支部長の僕にとってはうれしい限り。
代表選手は、ボーイズクラスの斉藤竜司。
中学3年の彼は、年々レベルアップしてきたが、
今回の震災・原発事故で地元の海で練習できなく、
竜司の母親も放射能を心配し、青森まで連れて行き2泊3日の練習も3回ほど。
竜司は練習不足のまま本線へエントリーしたが、
やはりバキバキ練習している同世代の選手と差が広がり負けてしまいました。
しかし自ら行動していた姿は、今後の成長に期待してしてやまない。
メンクラスは、5人がエントリー。
岩沢をホームとする吉田一平。
彼の住んでいるところは、原発のある場所から21キロあり、
今後の生活を考え、奥さんと2人の子供を連れ、全日本が行われる宮崎に移住。
ベンサーフの多田幸人君は、いわき在住の熱きサーファー。
元々は、新潟出身だが、仕事の関係でいわきへ。
宍戸兄弟の弟、和道もメンクラス。
3.11当日は地元の海で普通に練習していた。
友達の家で自分のライディングチェックしようとした直後に地震に遭遇し、
地元では海に入れない日々を過ごしていた。
郡山在住の舟橋君。一緒に行動を共にした一人。
彼も地元の海にストレスを抱えながら今回の宮崎で多くのサーファーの刺激受けた。
元々教師をやっていたので、勉強も熱いが、サーフィンに対する気持ちも熱い。
海の近くの永埼海岸で津波の被害にあった遠藤恵大。
彼は福島いわきから宮崎まで一人で運転してやってきた。
シニアクラスの和道の兄、穴戸健太は原発から8キロのところに住んでおり、
故郷を離れることとなった。
唯一、福島県で一人シニアクラスのファイナリスト。
はじめは胸サイズだったが台風のうねりで段々サイズアップし、
オーバーのハードコンディションにも負けず得意のバックサイドでリップをたたき
次々とラウンドアップを果たす。
セミファイナルで見せたバックサイドリップはかなりせめていてポイントにつながった。
福島県にとって勇気と感動を与えた一人。
昨年のラウンド2敗退から今年の4位入賞で来年のシード権も得た。
同じくシニアの鯨岡さん・田山さんも力強いライディングを見せたが、結果に結びつかず敗退。
きっといろいろ学ぶこともあったし、課題も見つかったに違いない。
ボディボードウィメンの坂本明子さんも実家が流されたが両親とも助かった。
パワフルなエルロロを決め、あと一本必要としていて、
残り30秒というところで最後のライディング。
みごと逆転し、人生初のラウンド1突破できた。
常にみんなを気遣う優しい女性だ。
ロングボードウィメンの叶田和子さんは、地元福島ではなく宮城・茨城にも足を運び、大会が大好きな一人。
今回は惜しくもセミファイナルで負けてしまいました。
今回の全日本ではいろいろなサーファーのライディングを見てレベルの高さにびっくりしました。
みんな各クラスうまかった。
原発から近いサーファーとも会え、みんな元気だったのが何よりうれしかった。
選手の皆様、応援して下さった各ショップの皆様、ありがとうございました。
今後とも皆で福島を盛り上げていきましょう。
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