COLUMN
SURF COLUMN
2011/7/20
渡辺 広樹
スポンサー:ベンサーフ、S-SHAPESサーフボード、RLM、オーシャン&アース(セキノレーシングスポーツ)、GOSLOW、BVG
1回目
2011/7/20
『福島3.11』
2回目
2011/8/3
『絆』
3回目
2011/8/17
『現状』
4回目
2011/8/31
『全日本宮崎大会』
『福島3.11』
3月11日、当日僕は、地元福島の二見というポイントでお客さんと3人でサーフィンをしていた。
午前10時過ぎに入り、天気も良く、波は腰・腹くらいで小さかったんですが、
4月から始まる大会に向けて少し気持ちが入ってました。
練習していると少し背中に痛みを感じてきたので少し早めに、お昼頃には海から上がりました。
実家がサーフショップを経営しているので、
海から上がった後は、いつも通りショップでランチ。
昼食後はゆっくりし、デスクワークにとりかかろうとした午後2時46分。
自分の携帯が「ビービー!!」と鳴り、
始めは携帯が壊れたのかと思った次の瞬間、
物凄い地震が襲ってきた。
今まで感じたことのない強い揺れで、
ショップの中にいても外に出ても5分くらい尋常じゃない大地震でした。
ショップの中の商品はぐじゃぐじゃで
揺れが少しおさまって外に出てみると
近所の人や海の目の前の学校の先生方が
「今から津波が来る」と教えてくれました。
僕は母と二人でいたので、
ショップの目の前に高台の高校に避難した。
嫁と息子と娘が無事でいるのか・・・
TELしてもなかなか繋がらない。
何回もTELしたが繋がらないまま、しばらく余震も続いた。
30分経ったころ、辺りが暗くなり雪が吹雪いてきて異常な天気になり怖くなった。
潮も引きいっぱいになった後、一気に津波が押し寄せ、
高校・保育園・海近くの家屋が壊れていく様を目の当たりにした。
実際に今まで暮らしてきて、
台風が来ても大きな被害にあわない地域だったから信じられなかった。
まさに映画のような世界だった。
津波は第2波、3波まで来て、おさまりましたが、
ショップの前の小屋は流され、ショップは床上浸水。
津波がいった後、豊間に住む祖母と叔父の安否がわからないままでした。
しばらくは停電・断水が続き、水くみや買い物に行列する日々。
ガソリンまでもがなくなってきた。
しかも原発での水素爆発のニュースが流れ、緊急事態と陥ったのです。
それでも祖母と叔父を探しに行った。
そこは、津波でぐじゃぐじゃになった家がいくつもあり、悲惨な状態でした。
津波の凄まじさを物語っていました。
3月14日朝、友人からTELがあり、彼は泣きながらこういった。
「前日の水素爆発でこの地域も被曝してしまうから僕も娘がいるので逃げます・・・。」と。
全く放射能の怖さを知らずにいた。
調べてみたらとんでもないことになっていて、
家族と話し合い、15日には水戸に避難しました。
16日には、神奈川・茅ヶ崎に避難し、
スポンサーさんの会社に2週間お世話になりました。
震災から2週間後、
祖母が見つかったと叔父から連絡が来ましたが、
叔父の兄は見つからないままでした。
今も祖母と叔父の死は信じられません。
生き残った僕たちは、子供を守って生きていかないといけません。
天災の後の原発事故は、言うまでもなく人災です。
お金でおかしくなった国を
一人ひとりの力で変えていかないと
日本は駄目になってしまいます。
この福島の原発事故によって安全でないことを決定付けました。
お金よりも命を守ろう。
子供たちを守ろう。
渡辺 広樹
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