|
|
COLUMN |
SURF COLUMN 2007/9/18 |
|
『サーフトリップ』
旅は、目的地へ急ぐことより、そのプロセスを楽しみたい。はじめたばかりのサーファーでも、いつか旅へ行って新しい場所で新しい波を乗りたくなる。僕も昔はよくサーフトリップへ行った。波のためにサーフトリップへ行くのは大間違いだ。波はなくてもサーフトリップは楽しいものだ。僕は今まで数えきれないほどサーフトリップへ行ったけど、本当にいい波、素晴らしい波に巡り合ったのは1回だけだったと思う。それはバリだった。でもそんなことはどうでもいい。時間が経つにつれ、いい波のことは頭から離れていく。覚えているのは、友達が飛行場に迎えにきてくれたことや、泊まったホテルのこと、過ごした中身の濃い時間だ。友人達と楽しい時間を過ごしながら飲んだビールの味、バリニーズのメロウな生き方、そこに住んでいるオーストラリア人のハイパーな生き方のほうが鮮明に頭に残っている。彼らは同じバリにいながら対照的で、でも何かがそこでバランスされているよう印象があったし、それが僕にとってはおもしろかった。最終的には、旅での経験が濾過されて僕達の身体に染み込んでいくんだと思う。
コスタリカへ行ったことがある。そのときは波探しからはじまった。車で何キロも走り回っても、なかなか波を見つけられなかった。どこにあるかもわからないほど、下準備さえしていなかったし。そして何時間も探しまわったあと、胸ぐらいだけど、すごくいい波を見つけて、みんなで海に入った。いい大人がヤッホーって感じで子供のように海に入って、気付けば何時間もサーフィンをしてたよ。でも今になって思い出すのは、波を探し回って移動してた時間や、波を見つけたときの感激だ。実際に海にはいったときのことは、心の中でなぜか薄れている。
最近、僕は種子島に行くチャンスがあった。友達のホームグラウンドのような種子島。そこへ僕は初めて行った。でもうねりも入ってなくて、波はないと思って出掛けた。ふたりとも飛行機から見て、波がないのもわかった。若い頃だったら文句タラタラだったと思うけど、僕達ふたりは波の話しにならなかった。実際に着いたら少しはあったんだけど、それよりも向こうに住んでいたサーファー達との時間や、はじめて訪れた種子島で過ごした時間のほうが僕にとって豊かに思えた。メロウな島暮らしを少しでも味わえたことがうれしかった。
サーフィンがユニークなのは、知らない土地へ行ってもサーファー同士、仲良くなれるってことだ。正確にいえば、チャンスがあるってこと。サーファーは海の上で会うと牽制し合って仲良くなれないけど、陸で会えば話しが合う。サーファーってバカだよね。
山登りだって、きっとそうだと思う。頂上に到達することより、その途中の旅を味わうほうがいいんじゃないかな。僕は若いときにヒマラヤへ行ったことがある。そのときは何も考えないでゾウリで行ってしまった。何しろ世界を放浪してたときだから、ヒマラヤへも、途中下車という感じで寄ったんだ。4日ぐらい歩いて引き返しただけだけど、その途中で村の知らない家に泊まったり、そこに住んでるネパールの人達と話した時間は今でも覚えている。
話しは旅に戻るけど、サーフトリップは波があったら、それがオマケ。山登りも、頂上へ行けるのがオマケ。そのジャーニーがおもしろいんだ。人生も同じだ。旅の途中の今を楽しもう。死ぬ目的で生きるんじゃない。生きる目的で生きるっていうのが、旅なんじゃないかな。
|
|
|
|
|
Copy right © INTERSTYLE Co.,Ltd All Rights Reserved. |
|