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コラム

徳永修一『第2回 アイランドブラザーズの話』

2020/12/16 tag: 徳永修一

こんにちは。
前回からコラムを担当させていただいている徳永です。
第2回目は自社ブランドであるアイランドブラザーズの事について書かせて頂きます。

前回、自社の仕事内容に触れたわけですが、デザイン事務所は受注産業で、常に仕事を得るために営業活動もしなければなりません。その様な環境で、「受注産業以外に何か別な事を仕掛けなければ、先は苦しいかもしれない。」と、先代社長と亡くなる前に話をしていました。その頃、今の沖縄美ら海水族館の前身である、海洋博覧会記念公園水族館のオリジナルTシャツや東京の企業から依頼されたTシャツのデザインがかなり好評だったので、「クライアントの意向の無い、独自の感性のデザインをエンドユーザーにぶつけてみよう!」という事になり、それに向けての準備を進めました。

丁度その頃、ハワイに5万人近くいる、沖縄の血を引くハワイの方々で作る、ハワイ沖縄県人会との交流が活発で、新しいブランドもハワイの沖縄県系3世、4世のデザイナー達と「オキナワン同士、NEWジェネレーションでコラボレーションしよう!」という話で、事が盛り上がりました。
ホノルルで彼らと食事をしながら、「ブランド名どうする?」と話している時に自分がパッとひらめき、「ISLAND BROTHERS!」と行った瞬間、テーブルにいた全員が「BINGO!」と、この名前が生まれた瞬間の事は鮮明に覚えています。
そして、沖縄には「イチャリバチョーデー:一度出会えば皆兄弟のようなもの」という教えがあり、「出逢いを大切にしなさい。」と言った先人の教えにも通ずるこのネーミングは、自分達のアイデンティティーを表現するのにピッタリだったのです。
彼らとのコラボは実現しませんでしたが、島とオキナワンのアイデンティティーをデザインする事に変わりはなく、それぞれの島でそれぞれの道を歩む事になりました。
次のジェネレーションの人たちの間で「何かが生まれるといいな」と思っています。

それから程なくして、1995年に国際通りで「お土産屋が閉店するのでそこに入らないか?」というお話をいただき、いよいよ出店のチャンスが訪れたのです。
早速、スタッフと「自社ブランドだけで勝負できるのか?」、「どういった系統の店なのか?」など色々と意見をぶつけ、アンケート調査などしてかなり真剣にやったのですが、「俺たちサーファーだから、サーフショップで横乗り系の店にしましょう!」と、割と単純な感じで意外にすんなりと決まりました。これも何となく、島らしくて良いのかな?と今となってはそう思えます。

そして、店舗の契約。その時の条件が「建直しを考えているから2年間だけですよ!」でした。とりあえずのキックオフは出来るので、その条件でお借りしたのですが、諸々の事情で建て替えが長引き、結局は25年も借りたという、何ともアイランドスタイルな感じなのです。

最初に借りた、この店舗はもうありませんが、築50年近い木造トタン葺きの建物で、真ん中に壁が立てられていて、建物の半分は、おばあちゃんが一人でやっている漆器屋さんで、自分達はその半分の9坪のスペースでした。
内装も予算がないので自分達で出来るだけやる事とし、天井を落としてみると、トタンの屋根がもろに見えていて、さらに、星空のように光が漏れているところが多数あり、そこからの雨漏りは間違いないことを証明するように、天井裏からは洗面器や鍋がたくさん出て来たり、建物の構造となるはずの柱が天井裏で切られていたりなど、ビックリすることだらけでした。そして、このトタン屋根、夏は暑くなるだろうし、雨が降るとバラバラとうるさくなると予測できたので、建築資材のスタイロフォームを買って来て天井に貼り、卵を運ぶときに使う紙製の卵パックを食堂から貰って来て、その上に貼り、断熱と防音の役割とし、しかも、なかなか味のある内装になったのです。
そんな作業も多くの仲間のサーファーが仕事帰りに手伝いに来てくれ、デザインの通常業務も行いながら、毎晩、現場に通って少しずつ店を作って行きました。
それがとても楽しかったことも良い思い出ですし、今でもそのメンバーに感謝しています。
まさにアイランドブラザーズです。

その頃の国際通りは、自分が子供の頃に比べると観光客向けの通りと変化していましたが、まだ、ファッションビルがあったり、映画館やローカル向けのショップもたくさんあり、隣のおばあちゃんの店の力仕事は自分達若者がやったり、いわゆる商店街のご近所づきあいのある通りでした。そういったローカル色の残る国際通りに、1995年12月1日アイランドブラザーズを開店させる事が出来たのです。
大晦日は店前でカウントダウンし、「あと1分で年が明ける」そんなシュチュエーションの中、通りを一人で歩いている人を手当たり次第捕まえて、予定が無い人にはビールを渡し、「HAPPY NEW YEAR!」と新年を一緒に迎え、正月は振る舞い酒を用意して、朝から近所のお店に振る舞って歩いたりできる通りでした。

一方ビジネス面では、店をスタートする際、経験もない自分達が自社ブランドだけで勝負することは時期尚早と考え、その頃、沖縄ではあまり買う場所が少なかった、メジャーなサーフブランド半分とアイランドブラザーズを半分といった感じでスタート。その流れで、いろいろなブランドの展示会に行ったり、アメリカのトレードショーに行ったり、今も続いているハワイのカール・シャーパーとの付き合いも含め、国内外の多くの業界関係の方々と知り合うようになりました。

先代から取り組んでいた環境問題へも、サーフライダーファウンデーション・ジャパンが出来たことで、個人的にそこに関わるようになり、そして、サーフライダーファウンデーション・ジャパンの副代表として6年間ボランティアの仕事をさせてもらった事で、更に多くの業界の人や全国のサーファーの方々と知り合える事になったのです。
そして、そこでもアイランドブラザーズで培った経験を発揮する事が出来たのです。

Tokunaga Syuichi Photo

そうこうするうちに、アイランドブラザーズを立ち上げ25年。そのタイミングでコロナによって社会がひっくり返り、最初の店舗も契約期限の半年前に閉店しました。
しかし、これがある意味、背中を押してくれた様な形になり、来春には50数年営んだ那覇市を離れ、もう少し北の宜野湾市という所に会社も含め移転する事になったのです。
アイランドブラザーズの立ち上げを唯一知る部長と「俺ら、めちゃめちゃラッキーだよな!」と、何でもポジティブに考える様にしている自分達らしく、「コロナ様様!」と言いながら、25周年を迎え、今はワクワクしています。
記念のプロダクトも作りましたが、25th Anniversaryというワードは、ほんのわずかに入れ、25年=4半世紀という所で、最初の1/4が終わり、次の1/4の始まり=第2クォーターの始まりという事で、2ND QUARTER BEGINSと称し、新しいアイランドブラザーズを始めます。

デザイン事務所としてやっていた会社が、自分の代でアイランドブラザーズというブランドを持ちましたが、根っこの部分は先代の頃から何も変わらず、常にクリエイティブな事に取り組む事と、沖縄を意識する事です。それが、アイランドブラザーズらしさだと思っています。
サーフ業界で色々な文章を書いている先輩に、一度、「出たー、島国根性!」と冗談で言われた時に、「そうなのです。島国の民は根性があるのです!」と冗談で返した事があります。
資本が無い中で「ジンブン=知恵」で大国とも渡り合い、独自の文化を造って来た沖縄の先人達を見習い、「根性あるのみかなぁ。」と思う今、アイランドブラザーズの立ち上がりから新しい始まりまでの話を掻い摘んでみました。
本当はもっとたくさんの事件やエピソードがあるのですが、内緒にしておきます。

 

徳永修一プロフィール
1963年9月4日 沖縄県那覇市生まれ
中・高の6年間を大分県佐伯市で過ごし、その後、東京でグラフィックデザインを学び、現在、株式会社アドプロの2代目代表取締役。
1995年自社ブランド『アイランドブラザーズ』を設立。
サーフライダーファウンデーションジャパンに副代表として6年間従事。

 

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