皆さん初めまして。
地元の先輩友達である隊長(龍野”RAD”亨)からバトンを受けて今回モノを書かせていただくことになりました大柴という者です。
さて、、、せっかく僕が任されたのでありきたりなスケート論とかは無しにして至極勝手な自論とスケートボードを通して自分自身が活かされたり繋がってきた物事、題して「スケートボードと~」みたいな感じでお届けしようと思います。共感できる方は読んでくれたら嬉しいですし、そうでない方はこの冒頭のみで読むのをやめてもらって構わないです~。
ということで第一回目のテーマは「スケートボードと表現」です。
さっそく自論から始まりますが(笑)、13歳でスケートボードに毒されて以来、基本的に宇宙で一番アンテナが高い、つまりイケてる人種はスケートボーダーだと思っています。そんな僕がスケートボードから受けた影響はたくさんあります。そもそも絵を描くようになったのもスケートデッキという黄金比サイズに描かれたヤバいグラフィックやスケートビデオの独特な流れに触発されたり、何より、今思うと国は問わず尊敬するスケートボーダーに絵描きやグラフィティライターや彫り師が多いです。
そして、僕はかれこれ20数年ハードコアパンクバンドで唄っています。「ハードコアパンク」という思想論はまたの機会にするとして、、、音楽活動をしたいと思ったきっかけもスケートボードである他ならないのです。当時ビデオから矢継ぎ早に流れる、音色も思想も様々な音楽達はそれはそれは僕を高揚させたし震えさせたし感動させたし、、、と例えをあげるポジティブな言葉が尽きません。じゃあスケートボードを滑っているならいつかは自分のフッテージを撮ってもらいたいとかワントリックでも良いから作品に出たい(厳密にはワントリックでの登場は光栄なことに経験済みっす)等の憧れと欲がある中で僕の場合はそれ以外に「いつか自分の音楽がスケートビデオに流れたら嬉しいなぁ」という欲求が生まれそのまま人生上の自分の周りに転がっていたタイミングでバンド活動を始めたのです。
スケートボードという自由な乗り物は滑る場所も滑り方も正解は無限(むしろ不正解は無い)なように他の表現に対しても「やれる人、もしくは、やりたいと思った人は自由にやれば良いじゃん」という感覚を与えてくれるのです。少なくとも僕はそう感じるままに現在も進行してそういった表現をしています。
と、まぁ、やりたいことをやるのもスケートボードを滑るのも全ては自由だしやりたい人がやれば良いし僕もそうするのですが、物事というのは始めるのは簡単なことでして、、、「昔は俺もスケートしてたんだよねぇ~。オーリー出来なくてやめちゃったんだけど(笑)」みたいな何の笑いにもならないダセェ奴とか、「バンド組んだんだけど客が増えないからやめちゃった」みたいな論外な小僧、はたまた続けてもいないのに「絵を描いてたんだけど有名にならなきゃ金にならない」みたいな夢も希望も向上心も無い糞とかじゃ駄目なワケで。
一番難しいことは「継続」と「向上」。そういった一見すると自由とは対極にあることではありますが、それさえも教えてくれたのはスケートボードなのです。
ってことで一回目からだいぶ迷子気味な流れになっちゃいましたが(笑)、これ以上書くと脱線しかねないのでこれで終わりにさせていたきます。以降全4回よろしくお願いします。
大柴裕介プロフィール
1975年東京生まれ
スケートボード愛好者
現在の活動:Crocodile Cox & The Disaster、点描画、debolbe Studio & Warehouse運営
Instagram:@tillssdd