前回に引き続き、世界のYuto Horigomeの父、Ryota Horigome(堀米亮太・お話好き)氏に伺ったお話を。
かなり東側の東京ローカル話が多くなりますがそのあたりはご了承下さい。
若かりし頃の 堀米氏(左) 瀬尾氏(中)
今回の話題の中心人物 日沖哲也氏(右)
【ゴメさんに影響を与えた人物は?】
高校1年生の時は全くスケボーをしないでヤンチャやってるのが楽しかったんだけど、
2年生になってから小西(船橋ランドラージ出身のスケーター)に会うんだよね。
それで、小西がスケボーやってるってのを聞いたからさ、
「俺もスケボーやってたんだよ!」って言ったんだけど、その時はスゲー冷たくあしらわれるのよ。
まぁ、あとで聞いた話しなんだけど、どうせすぐ飽きてスケボーやらなくなるパターンのヤツなんだろって
その時は小西に思われたらしいんだよね。
で、たまたま小西が貸してくれたスケートのビデオを見て、感想を言ったらね、
ちゃんとしたスケートボーダーの感想だって受け取ってもらえたみたいで、
小西も、お!こいつちゃんとスケボーやるヤツなんじゃねーの?ってなって
そこから受け入れてもらえるようになったんだよね。
ちなみにね、その時見たビデオがH-streetのプロモーションの凄い短いやつね、
オープニングでフルパイプ滑ってるやつだったから
THIS IS NOT THE NEW H-STREET VIDEOのプロモ版かな?
まともなスケートボーダー目線の会話ができるようになってからさ、龍野君(今回の雑談仲間)とか
テツヤ君(日沖哲也:当時HASCOのサポートライダー、アキバ裏マスター)を小西に紹介してもらって、
そこから堅川(江東区亀戸近辺)クルーとの付き合いが始まるんだよね。
(龍野氏・日沖氏ともに現在も東大島の現役スケーター)
その頃も家は埼玉だったんだけど、学校が東京の千駄木だったから
堅川にちょこちょこ通うようになったんだよね。
でね、堅川で初めてテツヤ君の滑りを見て完全に驚愕だったよね。
次元の違う滑りでなんだこりゃ~!ってなってね(笑)
しかもその頃は近寄りがたいくらい怖かったし…
とにかく全力でスケートに情熱を注いでるのが分かるしさ、
考え方から何から何まで一歩先を行ってたんだよね。
テツヤ君が調子悪い時なんてイライラしててみんな本当に声もかけれらなくてね、
その辺ウロついてるヤンキーなんかよりもよっぽど怖かったよ(笑)
龍野君くらいじゃなかな?テツヤ君よりも年上だったからそんなタイミングでも話ができたのは。
あとの同世代や後輩連中は機嫌が直るまで話しかけずにただ待つのみだったね(笑)
堅川に通いはじめた頃もさ、まだまだ運動神経と気合いだけで滑ってる部分があってね。
フォークリフト用のパレットあるでしょ、あれにアングルをつけてカーブ使いしてて、
龍野君がF/Sのノーズブラントスライドをするわけよ。
俺もやりたくなって龍野君にやり方聞いてね、よし!やるぞって感じでパレットに向かってたらさ
バコーンってただ単に飛び越えちゃって…。
とにかく何も考えないで無茶苦茶な感じで滑ってたなぁ(笑)
※龍野氏からの補足情報:当時堅川は小石が多く、新人だった堀米氏がグラウンド整備の野球少年の様に
小石拾いに精を出していたら、カチカチに乾燥した犬のう〇ちを拾い集めていたという逸話もあったとか。
でもね、そんな無茶苦茶なスケートに関する考え方を変えてくれたのは、やっぱりテツヤ君なんだよね。
色々なアドバイスをもらったり、ちゃんと考えながら滑ることを教えてもらったりね。
埼玉の八潮から亀戸って本当に電車のアクセスが悪いんだけど、
あそこに行けば必ず上手くなるって分かってたから、そこまで頻繁には行けなかったけど、
できる限りは滑りに行ってたね。
そんなこんなしてたら前まで水元公園(前回参照)で一緒に滑っててスケボーやめちゃったヤツと、
同じ中学出身で同じようにスケボーやめちゃったヤツの2人がスケボー復活しててさ、
堅川にも通いつつ、その3人で一緒に水元公園で動くことが多くなったんだよね。
でね、南砂にエームスってパークができたって話を聞いてさ、行ってみたら居たのが川村諭史君とハッチャキ君。
この2人もマジで上手すぎて一緒に滑ることなんてできなくて、ただ見てるだけしかできなかったもんね。
川村君はバーチウォールのスゲー上の方でターンしてるしさ、ハッチャキ君なんかは全くの異次元。
動きが最先端過ぎて意味が分からなかったもんね、完全に理解不能(笑)
話が行ったり来たりで申し訳ないけどね、いろんな上手い人の滑りも見てきたけど、
なんだかんだでスケボーに関して一番影響を受けたのはやっぱりテツヤ君だよね。
俺らの世代のプロで、テツヤ君をリスペクトしている人は結構多いと思うんだよね。
アキバで滑ってた連中とかね。
最近さ、早川君(HIBRIDskateboards)と飲んだ時もテツヤ君の話になってね、
初めてテツヤ君を見たときにこの人は何か違うって感じたって言ってたしね。
アメリカっぽいって感じたとか。。まぁ、何がアメリカなのかよくわからないけど(笑)
でね、テツヤ君の裏話って感じでもないんだけど、中学生の時さ、四六時中スケートのことを考えていて、
学生カバンをデッキに見立ててハンドプラントの練習してたらしいよ。(笑)
とにかくこの時代はジャンランから色々とトリックも増えてきて
本当にスケボーするのが楽しかったよね。
今回はここまでになります。
また次回のゴメス語録をお楽しみに。
堀米亮太(ゴメス・ゴメさん)プロフィール
世界のYuto Horigome(堀米雄斗)の父
お話好き(特に都市伝説系)