みなさん、はじめまして。
松井英子といいます!
嬉しいことに原田知美さんからパスをいただき、こちらのコラムを書くことに。
短い間ですがぜひお付き合いください!
ライダーとして迎えた8回目のシーズンも終わり、オフシーズンに突入。
何を書こうかと考え、まずは私という人間を知ってもらおうと思いました。
私の初めてのスノーボードは高校卒業旅行の時。
同級生の経験者に滑り方を教えてもらったのが始まりです。
大阪生まれ、大阪育ちの私。
もちろんゲレンデは近くにはなく、信州へのバスツアーに友達と年2回ぐらい行く程度でした。
でも、毎回行くたびにスノーボードが上手くなっていくことを感じ、スノーボードが楽しい!とどんどん好きになりました。
就職先も決まり、看護学校を卒業する年に家の近所にスノーボードプロショップのiS OLLiESがオープン。たまたま来店したことで、「雪山にこもる」人や「大会に出る」人、そして「ライダー」と出会うこととなり、私の人生が大きく変化していくきっかけになりました。
社会人1年目。オフシーズンもiS OLLiESに通い、オフトレにスケートボードを始めたり、スノーボードが大好きな友達がたくさん増えたりと、これまでとは違うコアな人とも多く知り合うようになりました。
すっかりスノーボードにはまり、一緒にスノーボードする人が自分よりはるかに上手い人と滑流機会が増え、上達のスピードが加速しました。
当時、休みは全てスノーボードの予定を入れ、もっと上達したい、雪山にこもりたい!と思いは募り、翌年の冬には仕事を辞め、24歳の冬、奥美濃エリアでこもり生活をスタートさせました。
それからは自分を試すために大会に出たり、スノーボードのイベントがあったら参加したり、オフシーズンも神戸キングスに通ったり、室内ゲレンデに行ったり、スケートボードしたりと1年通してヨコノリする率が上昇していました。
夏は大阪で看護師をして、冬は雪山でスノーボードする生活を続け、大会のリザルトをきっかけに27歳の時にRIDEからギア提供を受けることとなり、ライダーとして活動するスタートラインに立ちました。
ライダーになり、私の人生のスノーボードの比率がさらに大きくなりました。
もっと上達したくて海外にも行きました。
カナダのウィスラーに滑りに行って山の規模の大きさやフリーランの楽しさを体感することでスノーボード観が変わったり、夏のアメリカMt.HoodのハイカスケードパークでDig to Rideし、2セッションのディガー経験や世界のライダーと滑ったことは、今の自分を形成する上で大きな出来事やったと今でも思います。
夏は大阪、冬は雪山という生活を10年繰り返しました。
濃いスノーボードライフを送り、すっかりスノーボードが私のライフスタイルの一部になっていました。
そんな節目にこれからどう生きていくかを考えて、たどり着いた答えは
「歳を重ねても、ずっとずっとスノーボードしていたい!」という気持ちでした。
無理なくスノーボードが続けられる環境にするために、家からゲレンデに通えるところに生活のベースを置こう、という結論に至りました。
結果、群馬県沼田に移住し、今年2年目の夏を迎えます。
この1月には長く付き合った彼と結婚し、また環境が少し変わりました。
こうやって振り返ると、スノーボードが私の人生を変えたことは間違いないです。
スノーボードに出会わなければ、近所にプロショップができなかったら、今群馬に住んでいなかったやろなー、としみじみ思います。
これが私のスノーボードライフ。
スノーボードがライフスタイルの一部になりました。
今現在はこうあるけど、5年後はまた変わっているかもしれない。
でもきっと5年後もスノーボードは生活に深く関わっていると思います。
懐かしい写真を1枚。
初めてZIZOくんと撮影した2012年の写真。今でもお気に入りの1枚です!
では残り3回もお付き合いくださいませ。
松井 英子(EIKO MATSUI)プロフィール
1983年5月24日 大阪生まれ大阪育ち
23歳でスノーボードにはまり、脱公務員。24歳から10年、雪山篭りする。
「一生スノーボードしてたい」と34歳で大阪から群馬の沼田に移住、結婚。
夏は看護師、冬はスノーボーダー。フットワークは軽めで各地に出没。27歳でライダーとなる遅咲きライダー。
スポンサー/AIRBLASTER,RIDE SNOWBOARS,DORCUS TOP BREEDING SYSTEM,CG Habitats,KM4K,湯沢沙羅,ARCADE BELTS.SANDBOX,39Factory,ポキポキ堂,Bluer,iS OLLiES
スノーボードライフ fun-snowboard.com
Instagram:@eiko5eiko
Twitter:@active5eiko