|
|
COLUMN |
SURF COLUMN 2010/11/4 |
|
『Country』
1996年全日本サーフィン選手権新島大会
僕自身、初めての全日本へ出場だった。
鹿児島の田舎から当時10万円近い旅費をかけ
バス、飛行機、電車、フェリー、レンタカーを使い
ようやく、到着!
おそらく、関東からだとBALIやHAWAIIに余裕で行ける金額でしょう。
そして約1週間の長ーいコンテストの旅が始まる。
知らない選手に知らない関係者の中、大会は始まった。
波が小さく羽伏浦はショアブレイクでシークレットへ移動
来る日も、来る日も長い道のりをひたすら歩いた。
その後、台風の接近でヒートを重ねるごとに波はサイズアップ
Final Dayは頭半~ダブル位のコンディションだったのを覚えてる。
結果は地味に勝ち上がり、初出場にしてファイナリスト!涙が出るほど嬉しかった。
いよいよファイナルのヒートが始まりMCのアナウンスが響く。
各選手とも有名な常連選手ばかり....。
戦歴等をずらりと読み上げ選手を鼓舞する。
いよいよ僕の順番が回って来た、緊張していたはずだが何故か良く聞こえた。
「ゼッケンイエローの選手は~ カ ゴ シ マ.....。の選手ですね~
な か た選手です。九州からですね!」
5秒ほどだったか
まっ、何のデータもない僕の紹介なんて、どんな名DJでも話す事など何も無い。
そんな事は分かっていた。
でも、とても寂しくて悔しかったのを覚えてます。
結果は一本しか乗れず4位でした。
しかし初めての全日本で4位入賞の結果は正直嬉しかった!
地元に帰ると皆が祝ってくれた、
鹿児島初の全日本サーフィン選手権のファイナリスト誕生を!
それからというもの毎年毎年、
全日本出場に向け高い旅費を貯め仕事の日程を調整し大会に出場し続けました。
今や森哲太をはじめ碇山勇生と言ったプロも輩出して少しは知名度も上がり
全国の大会に名を連ねる選手も少しずつ出て来てMCの方も鹿児島の事、選手の情報を
たくさん話してくれるようにもなりました。
最初の頃は選手兼、支部長代理と言った状況でたった一人でプラカードを持ち行進していた事もありました。
あれから約20年、最近では多い時で20数名で鹿児島の選手を引率して行く時もあり頼もしい限りです。
諸先輩方がコツコツと活動して来た事が今に繋がってるんですね。
カントリーと題したように
田舎から中央の大会に行く事は金銭面も仕事的にも大変です。
勿論、同じ様な環境、もしくはもっと大変な環境の方もいるはずです。
今後、若いサーファーが大きな舞台で活躍出来るように
より良い環境をつくってあげる事が僕らの課題かもしれません。
またこの鹿児島から有名なプロサーファーが誕生する事を願って!
|
|
|
|
|
Copy right © INTERSTYLE Co.,Ltd All Rights Reserved. |
|