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COLUMN |
SURF COLUMN 2009/1/21 |
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『波乗り+αな生き方-音楽との出会い-』
小さい頃は特に音楽に囲まれて育ったという環境ではなかった。
母が昔BobMarleyのLiveに行った事があるらしく、
その影響でレゲエやBeatlesには触れていたが、
メロディーを知っている程度のものだった。
父はブルースハープや打楽器が得意で、
自らアフリカン太鼓を作ってしまうような音好きだが、
先に言ったとおり物心つく頃にはいなかったのでほとんど影響は受けていない。
学生時代はサーフィン一本で、
音楽といえばオリコンで流れているHiphopなどを聞いてカラオケで唄う程度、
音楽というものについて深く考えたこともなかった。
そんな僕が本当の意味で音楽に出会ったのが約6年前のハワイノースショアだった。
日本ではまだあまり知られていなかったが、
当時アメリカではJackJohnsonがブレイクし始めていた頃で、
ノースでもサーフショップ、レストランなど至る所でJackの曲が流れていて
僕もワイキキのタワレコでCDを買って毎日聞いていた。
さらに海の中でJack本人を見かけることもあったが、
6-8ftのパイプで臆することなくピークからバレルインし、巨大なチューブをいとも簡単にメイクしていた。
パイプのバレルにタワレコのCD、、、まさに度肝を抜かれてしまった。
偶然その時のステイ先にギターがあり、
Jackの影響もあって滞在中はひたすらギターの基本コードを練習していたのを覚えている。
帰国後家に眠っていたYAMAHAのガットギターを発見し、それ以降常にギターを持ち歩くようになった。
そして、その年の夏僕をさらに音楽の世界に引き込む出来事が起きた。
サーフィンワールドの企画旅、音と波と風の旅との出会いだった。
これは湘南サーファーが音と波を求めて日本を旅して周るという企画で、
四国を訪れる際にメンバーの相原吾郎君と吉田タダスケが波乗り仲間である僕を訪ねてきてくれた。
彼らはすでに北海道から九州を旅してきており、
リーダーの610Changを中心に各地の仲間と録り溜めた音源には、
伊久良たけしプロ、佐藤正一郎プロ、ミーボーさん(山田祥充プロ叔父)らの完成された曲が含まれていた。
この時日本にもサーフィンと音楽がうまい人たちがたくさんいる事を知って大きな刺激を受け、
さらには自身もセッションに参加し、生まれて始めて自分の唄とギターがCDに録音された。
どうしようもない散々な出来だったが、とにかくその時間が最高に楽しかった、
この出来事を機に僕は音楽の持つ本当の魅力に気付き始めた。
その後まもなく田中宗豊プロらと四国発のサーフバンドを結成し、
関西を中心にLive活動をするまでになり、時にはサーフブレーンを通じて
KeisonやBoeuYoungなど大物アーティストの前座など、実力に伴わない舞台に立つこともあった。
また同時に地元生見ビーチで音楽イベント活動を始め、
これには全国の波音仲間に加え、大学サーフィン連盟つながりのDeftechMicro君や、
神戸サーファー繋がりのSakuraさんといった大物アーティストたちまで参加してくれるようになった。
また、イベントの準備進行に伴い、それまであまり接点のなかった地元の自治体や
公共団体とのやりとりも増え、地域活性化への意欲も芽生え始めた。
音楽との出会いで徐々に自分が好きな事、出来ること、自分にとって大事なものが見え始めた。
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