interstyle magazine
 COLUMN
surf columnSURF COLUMN 2009/1/7  
Dread Rocks
Leki Nagahara
age=26
DOB= Feb/04/1982
Home town =徳島県 海部
Flow surfer!
1回目 2009/1/7 『波乗り+αな生き方-波乗りとの出会い-』
2回目 2009/1/21 『波乗り+αな生き方-音楽との出会い-』
3回目 2009/2/4 『波乗り+αな生き方-ARTとの出会い-』
4回目 2009/2/12 『波乗り+αな生き方-波乗り+αを求めて-』

『波乗り+αな生き方-波乗りとの出会い-』
元プロサーファーで典型的な不良体質の父とその仲間の影響で、
小さい頃はサーファーとサーフィンが大嫌いだった。
その父親も僕が5歳になる前には家を出ていったが、
すでに僕は酒乱の性質の悪さもタバコ以外の煙の臭いも知っていた。
とにかく波乗りしている全ての大人を憎んでいて、海にもほとんど近寄らず、
サーフィンなど一生しないと頑なに拒んでいた記憶がある。

しかし14歳のある夏の日、僕はふと自然に波乗りに出会ってしまった。

四国というサーフィンメッカの土地柄ゆえか、
はたまた体内のDNAがそうさせたのか?理由はわからないが、
とにかくその夏を境に僕はサーファーと呼ばれる人になった。
その後、高校も大学もサーフィンを優先して海に近いところを選んで通い、
高校の終わりからはJPSAにも参戦し、コンペティターとしてサーフィン一辺倒で突っ走ってきた。
また、冬時期になると毎年恩師でもある千葉公平さんのサポートの下ハワイノースショアにも滞在し、
ビッグウェーバーと呼ばれるものとは無縁ながらも、それなりに海での洗礼も受けてきた。
大学卒業後、結局プロ資格を取得することが出来ず、
波乗りで生活していくという道を早々に諦めたが、
その後も定職には就かず1年の半分は街に出稼ぎに出て、
夏から秋の台風シーズンは地元四国の河口で1日中グリーンルームに引きこもり、
残りの時間は海仲間を頼って日本中色々な場所を旅してきた。
つまるところ、僕はこれまでの26年間の約半分は波乗りをベースに過ごして来た、
出会った人も訪れた場所もいつも必ず海に縁していた。
ありきたりな言葉だがNoSurfNoLifeという言葉が当てはまる人間の一人だと思う。
サーフィンに出会い、今はある部分で父の事も尊敬している、
良かったか悪かったかはわからないが、
波乗りを通して人間的にも成長できたように思う。

ただ、今の自分はプロサーファーでもなくシェーパーでもファクトリーマンでもなく、
サーフィンに関する仕事で生活しているわけでもないので、
胸を張ってサーファーを名乗れる立場ではないかもしれない。
それにここ数年は以前に比べて明らかに海に入る時間が減ってしまっている、
街で働いている間はよくて週一回、東京にいた時は月に一回なんてのもざらにあり、
これまでのペースから比べるとその期間はNoSurfに等しい。
もし本当に海が好きでずっと波乗りしていたければ、
地元やどこかの海沿いで仕事を見つけて365日海に入れる環境を作る事も可能だと思う。
実際地元四国には波を求めて移り住み、
完璧に波乗りを生活の軸にしているコアなサーファーがたくさんいる。
そんな彼らと比べると今の僕の立ち位置は、
本当の意味でのサーファーというものからは少し離れてしまっているかもしれない。
ただ、自分がそういう道を選んできたのには理由がある、
それが音楽、ART、自然、人など世の中に存在するサーフィン以外の世界との出会いだった。
確かに海に入る時間は減ったかもしれないが、
他の世界を知ることで今まで以上に波乗りが好きになり、その存在価値が更に大きくなった。
そして、これら波乗り+αの世界との出会いが今の僕の価値観や方向性に大きく影響を与えている。
人生日々パドル。



surf columnLeki Nagahara
1回目 2009/1/7 『波乗り+αな生き方-波乗りとの出会い-』
2回目 2009/1/21 『波乗り+αな生き方-音楽との出会い-』
3回目 2009/2/4 『波乗り+αな生き方-ARTとの出会い-』
4回目 2009/2/12 『波乗り+αな生き方-波乗り+αを求めて-』
 
 
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