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COLUMN |
SNOW COLUMN 2016/1/6 |
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『様々な出会いに感謝』
謹賀新年
本年も後3回、小生コラムにお付き合い宜しくね。
サッカーに熱中していた中学高校時代から変わって大学では、
軟派なテニスサークルに入り冬はスキーにでも行くかとギアを買った後、
スノーボードを知り、タイミング良く幼馴染みの吉藤君からBurtonのAir6.1を買わないかと。
迷わずに一式で譲ってもらい、大学の同級生、タカチョコ(佐藤 孝勅)達と
白馬の爺が岳スキー場でスノーボードデビュー。
どっぷりとハマり、その夏にタカチョコ(2年でプロに、大阪Tricky→RIDE→FORUM)の
バイト先の先輩、加藤新作大先生が(フォトグラファー)、
ニュージーランドにスノーボードを中心にした旅に出るという話しを聞きつけ、ご一緒させてもらう事に。
泊まる所も決っていない初の海外トリップ。
不安だらけだったが、成田空港でスノーボーダーらしい女の子(ともちゃん)を見つけ声をかけると、
NZに友達が居て、スノーボードをしに行くという。
コチラ男4人だったが、強引に仲良くなり、現地のバックパッカー情報までゲット。
その後3ヶ月間、一緒に住むことに。
クイーンズタウンでの宿は、ダウンタウンバックパッカー。
当時、日本人は殆どいなかった。ましてやスノーボーダーは、、。
そんな中、出会ったのが、田中大河マン。
人生で初めての関東圏の友達。一生の付き合いだ。
今は野沢温泉で老舗宿の女将、金田由貴子ちゃんともNZで知り合ってからの付き合い。
茅ヶ崎でタイ料理プエンを経営する、マナ君 島田学マンとも、その年のNZで出会ったな~。
茅ヶ崎の海で15年ぶりに再会した時も変わらないマナ君のテンションだった。
初の海外生活&共同生活にも慣れてきた、とある朝、
バックパッカーのフロントにオーラが半端ない日本人が。
高橋信吾マンだ。当時から全てがカッコ良く永遠のヒーローShingo420。
出会った翌日には、真冬のNZから真夏の日本へJOY RIDEの予約電話をしたよな~
今でもシンゴマンに会うと世界的なライダーに会うよりアガルわ~。
A Snowboardのライダーとして異彩を放っていた役者ヒロシまん(佐久間洋)ともこの年に出会い、
様々な良い影響を受けた。また湯沢で呑みたい。
NZ帰りで少しイチビっていた頃、兵庫県の山で、板捌きがやたら上手いライダーが!
声をかけるとカナダ帰りで近くの山を探し電車とバスで滑りに来たと。
意気投合し一緒に帰ったのが大熨君(西宮の老舗ショップJamming→プロ→Gray→BC-Stream)ノシ君、
お元気ですか?
北志賀ハイツのパイプに入りに行った時、
ボロ車で滑り倒していたのを助けてくれたのがキャバ君やったな。
初めてパイプ入るねんと言いながら、フロントサイドインディをさくっと決めてたのがandy安藤健次。
2人ともトップスケーターとは知らずに、後からそのスケートスキルにもパンチを喰らった。
白馬乗鞍スキー場に籠った2シーズン目。
スノースタイルカップで入賞した時に女子で優勝したのが上田ユキエちゃんだった。
皆で大会後に寿司を食べに行ったよな~。
ペパーミントに籠っていた石川由紀ちゃん、坂本須美ちゃんともこの頃に出会った。
ユキちゃんは、プロ→主婦→議会議員を目指すという人生を送っている。尊敬します。
京都のスケーター達にも刺激を受け、
シーズンが終わるとスケートに熱中し、伝説のパーク、大阪南港アスコットへ。
そこで、アゴロー君や、その後に人生に大きな影響を与えてくれた塩谷慎吾さんに出会う。
その夏、慎吾さんが現地で世話役をしていたMt Hood Tim windellsのキャンプに参加。
黒やん先輩や、野ノ村肇ちゃんとの出会いもあったが、
何より衝撃的だったのが、クリスチャン ホソイだ。
そして、日本の3シーズン目に籠った先は東北、岩手、夏油高原。
多くの素晴らしき出会いについては次回に。
暖冬の影響はMCを担当させて頂く予定の大会にも色濃く出ていて、中止や延期を余儀なくされている。
自然の恩恵で楽しめるスノーボードであることを再認識し、少しでも環境に優しい生活を心がけたいと思う。
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