interstyle magazine
 COLUMN

skate columnSNOW COLUMN 2014/8/27

COLUMN INDEX

Photo by Tsutomu Endo
丸山 隼人(bubbles)
1971年新潟生まれ、91年からプロとして活動。
3D地形のスロープデザインを多数手がけ「THE WALL」「GENTEM BOWL SESSION」
などのBOWLイベントを通じて、日本のライディングカルチャーを伝えている。
現在は白馬「HAPPO BANKS」の監修に従事。
夏場は長野県野尻湖、日本海を中心にSUPのツアー、
スクール「LAKE SUP NOJIRIKO」http://slopeplanning.com/sup を開催。
スポンサー:GENTEMSTICK, patagonia, Sal Protection, DOVE WETSUITS,
HESTRA, ZEN NUTRITION, SNOW SHAPAR
1回目 2014/8/27 『自己紹介』
2回目 2014/9/2 『オフ』
3回目 2014/9/17 『とあるBANKSの日』
4回目 2014/10/1 『その先』

『自己紹介』

丸山隼人といいます。
新潟県長岡市のサーフショップ「mellow’s」で横に乗るカルチャーの絶対的な衝撃を受けてから27年、今に至ります。
当時のそのショップは、パンク、学生、サラリーマン、博士、ややヤンキー、様々な人が波乗りやスケート、そしてスノーボードをしながら集まっていました。
そのコミュニティを纏める、ややヒッピーでVENICEな趣のある店主は、当時30前後にして波乗りのスタイルは「燻し銀」と呼ばれ、当時始めたばかりのスケイツやその後のサーフィン、スノーボードと、その好み・情報はほぼこのmellow’s 店主、海津氏という強烈なフィルターを通して自分に入って来ていました。スタイルと言うものがある事をここで教わりました。
スノーボーダーがその腕を磨き、自分達のコミュニティだけで無く行く先々で名が通って行く過程で、呼び易く覚え易いのは良い事だと思います。
ショップに出入りする何人かはニックネームで呼ばれていました。そうしてその名に育てられ個性が育っていく様な、そういう気風がありました。中には一生忘れ得ない強烈なものや、称号としても良いくらいの憧れのスケーター名前だったりしてました。自分もその中の一人で、最初は今とは違うニックネームと呼んで良いかも分からない名で呼ばれていたのですが、暫くして親に知れた時にあまりに酷いとクレームが入り、当時たまたまTVで賑わってた猿がいたので今の渾名に変更になりました。もちろんこの歳になり思うところもありますが、それでもやっぱりニックネームはあって良かったと思えます。名前が引き寄せ育ててくれた部分がある事を知っているのでからです。が、ただホント、爺になってもこの渾名で呼ばれるのか興味津々です。

様々な出会いと導きがあって20歳の頃プロになりました。
この年、ハーフパイプの初タイトルを取った頃を含め数年コンテストに出場していましたが、間もなくビデオ・写真撮影をしながらBCエリアを滑る様になっていきます。
まぁもちろん、BCなんて言っても今の様にライディングと呼べる滑りをしてた訳じゃ無く、残念ながらそういうエリアを滑る知識も装備もまだ持っていない頃でしたから、当時はほぼジャンプ。飛びたければどこでも飛び、多少柔らかければ着地がフラットでも良いくらいの節操無い感じ。雪庇からのドロップにハマった頃はそれこそ雪庇踏み落としてスラフと一緒に転がり落ちるとか。そんな事もたまにあり、だいぶ危険なのでその後は少し学習して雪庇では(あまり)踏み切らない様にするなど、成長はするもののゆっくりでした。そんな事だから我ながら生きていて良かった思える場面は幾つかありました。

90年代半ば頃から、ボーダークロスなどのコース監修といった活動も始めます。元々レースに出る事自体好きだったのですが、同時に作る事の面白さも知ってしまった為、いつの間にか選手としてでは無く制作する方に回っていました。
ボーダークロスに対し、理想のレース展開と言うか内容に求めるものがあって、例えばアプローチ面とランディング面で向きが変わるジャンプセクションを設置し、立体的なラインで合わせられる上手さで差がつくとか、テーブル、ウェーブなどでのギャップで裏面をしっかり合わせて踏めたら速いとか、そういった要素が勝敗に影響するコース作りをしたくなっていました。
特にバンクでは出来る事なら全てにバーチカル部分を作って、リップ付近ギリギリに張り付いて最速で走るラインを設定し、その展開をしたヤツが勝つというレースが見たい。そんな想いで夜中までオペレータースタッフを巻き込んで作業をしたものの、毎回その手間隙は続かずやり切れなかった心残りはあるのですが、その想いは今は別な地形制作の場に向けています。THE WALLやGENTEM BOWL SESSIONを始めとするSNOW BOWL という地形であり、イベント、SESSIONですが、その事については多分また別の回で。
そして2000年頃、自分のスノーボードにおいて結構色々な事にモチベーションが下がっていた、いよいよ無理かなっていうそんなピンチを迎えてた頃があったんですが、GENTEMSTICKというブランドに移籍し、その運命的な板に出会った事。このターニングポイント的な話もまた別の回でさせてもらいます。
話が予告編みたいになってきましたが、自己紹介という要素も多分全4回を通して完結という事になるでしょう。先ほど予告した様な内容を話して行こうと思っています。変わるかもしれませんが。
という事で次回、またその後と、興味があれば是非。

snow column丸山 隼人(bubbles)
1回目 2014/8/27 『自己紹介』
2回目 2014/9/2 『オフ』
3回目 2014/9/17 『とあるBANKSの日』
4回目 2014/10/1 『その先』
 
 
Copy right © INTERSTYLE Co.,Ltd All Rights Reserved.