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skate columnSKATE COLUMN 2016/11/15  

Kyoko Sugimoto Hicks
LA在住。プロスケーター杉本瑛生の母。
現在LAにてCAのパーク紹介ブログを随時更新中。またスケート留学生も受付中。
LAにスケートボードをしに来たい方、またお子さんのカナダ高校留学、ご自身のアメリカ留学等もご相談にのります。ぜひご連絡ください。
Blog:http://ameblo.jp/caskatepark/ 連絡先:gnewramp@yahoo.co.jp
1回目 2016/10/19 『LAから発信します』
2回目 2016/11/2 『日本からアメリカへの道のり』
3回目 2016/11/15 『アメリカでの大会そしてアメリカのスポンサーゲットまで』
4回目 2016/12/7 『I’m skate mom. It’s my life.』

『アメリカでの大会そしてアメリカのスポンサーゲットまで』

みなさんこんにちは。今回3回目はフロリダにあるタンパからお送ります。
11月11、12、13日に行われるTampa Amの為、6日からタンパにきています。
今年のTampa Amに日本から9人のスケーターが参加します。
HIBRIDの早川さんより連絡があり、Kyokoさんも今回LAから手伝いにきてほしいとのこと。
今年の夏のDamn Am そしてStreet leagueの手助けを評価していただいた結果でうれしい限りです。
チーム日本のお手伝いができてとても光栄です。
もう日本勢、ものすごい大活躍です。
公開予選組は全員敗退してしまいましたが、翌日の本予選、これがものすごいことになってます。
堀米ユウト君がなんと予選1位通過で決勝進出。ゴールデンチケットゲットです。
そして池田ダイスケ君と池ケヤキ君が準決勝に進出。
夜行われたコンクリートジャムでは西川マコト君が9位入賞。
昨夜のオヤジボウルジャムでは西川スラさんと早川ダイスケさんが大活躍して
2人とも特別賞のトロフィーをいただきました。
結果はhttp://streetleague.comで確認ください。

そしてこちらに滞在中にアメリカ大統領選が行われ、次期大統領がドナルドトランプ氏に決定しました。

さて前回の続き、アメリカの大会に出るにはどうしたらいいの?のお話しをしましょう。
まだ当時はインターネットが今のように盛んでなく特にオタクでもないので
コンピューターのことがよくわからない私。
大会情報はかろうじて繋がるインターネットでなんとなく検索かけてそれに出る、
もしアメリカに行って大会やってなくてもアメリカのスケートパークで滑って帰ってこよう。
こんないい加減な感じで向かっていました。
その時に季刊でスケートの雑誌が出版されていて
そこにスケートパークの写真と情報が何件か載っていました。
雑誌名はストーミー??ちょっとはっきり覚えていません。
それだけが頼りでそこに載っている住所をインターネットで検索し、プリントアウトして持っていきました。
行く、行かないに関わらず全部プリントして持って行きました。
幸い私は子供服買い付け時代からアメリカでの運転は苦にならなかったので
住所さえ正確ならどこにでも行くことができました。
最初の大会はCASLの大会でした。2006年ですね。
瑛生が初めてスケートボードを目にした例のVans Parkで行なわれました。
結果、初出場で年齢別で優勝、そしてベストトリック賞もいただけました。
日本人でアメリカの大会に出場していたキッズはいなかったので
瑛生の実力がアメリカで通用するのかよくわかりませんでしたが
この大会が基準となって彼のアメリカでの実力がはっきりとわかりました。
一度アメリカに行くとこういう情報は次々と入ってきまして、
この時から年に何回も渡米するということがはじまりました。
ところが次に困ったのはお金です。
我が家は子供が2歳と4歳の時に離婚してからずっと母子家庭です。
お金の工面が大変でした。
2007年はフロリダのGrind for Lifeというリーグに参加していましたが、
フロリダはLAより遠いので飛行機代がもっとかかりました。
大会も2回行ったらもうそれ以上は行くお金ないです。
そしたら大会の関係者が「瑛生は2回優勝しているから
あと2回きたら年間のチャンピオンになれるからぜひ連れてこい」と言われました。
お金のことを話したら「そんなこと心配するな。俺らが面倒みるから瑛生だけよこせ!」と
こんな風に言ってもらったので13歳の瑛生、
一人でフロリダに行って結果年間チャンピオンのでっかいトロフィーを持って帰ってきました。
この当時は本当にお金が大変でしたね。
もし私が連れて行くとなると仕事を休まないといけなくなりますし、そうすると次月の収入が減るし、
行けば行ったでアメリカは車がないとまったく動けないのでレンタカーは必要。
レンタカーが安いといってもそれなりにかかります。
モーテルも何泊もするわけですからお金が必要。
それと食べ物ですね。
自炊ができればいくらか安くなりますが、
私たちが泊まるような安モーテルにそんな設備もないしそうなると外食ですよね。
一度小さい炊飯器をもっていってご飯を炊いて、
炊飯器でお湯わかしてレトルトカレー温めたりしていました。
電子レンジもついてない安いモーテルに泊まっていましたからね。
一回の旅毎に30万円単位ですっとびます。
こんなことを年間に何度もやっていたわけです。
子供がやりたい、挑戦したいっていうのだから親としてはやらせてやりたいです。
お金で解決できるならいくらでも挑戦させてやりたかったです。
日本にいるときは一生懸命働きましたよ。

日本人でしたが大会の成績がよかったので南カリフォルニアの代表に選ばれて、
カリフォルニア大会に出場したことがありました。
スケートボードだけでなく、野球やサッカー、陸上競技等
色々なスポーツの南カリフォルニア、北カリフォルニア代表選手が大きなスタジアムに集まりました。
開会式から参加しましたが、まるで本物のオリンピックのような雰囲気でした。
そしてサンフランシスコの大会に行った時ですが、
ロサンゼルスから車で6時間かけて行ったのに誰もいなくて。
大会という雰囲気のパークでもなくて。
たまたま近くにスケートショップがあったので聞いてみたら
なんと、住所が間違えていて、結局そこからさらに30分いったところで大会が行われたり。
2ヶ月滞在の間に3つの大会に出ることを決めていたのに、
1つ目の大会が終わりその次の大会の練習をしている時に足首を捻挫してしまいました。
骨が折れたように腫れ上がってきたのでもちろんすぐに病院に行き診てもらいました。
結果、骨折はしていませんでしたが
その後、スケートの練習ができなくなったのでドジャーススタジアムに野球を見に行ったり。
このように大会にまつわる話は色々あります。
ある年のフロリダの大会でBenji Gallowayが瑛生のことをみていました。
それでBacon Skateboardからお誘いがあってチームに参加するようになりました。
その後、瑛生はカナダの高校に行くことになるのでもう私の助けはいらなくなりました。
お金の面もスポンサーさんから出していただけるようになったので落ち着きました。
瑛生もスケートの大会や撮影、デモストレーションがあれば
カナダからアメリカへ行くだけなので私はとても楽になりました。
それ以降、私が瑛生のスケートボードの世話をすることはなくなりました。
これが我が家の日本からアメリカへの道のりでした。
人によって道はいろいろあるとおもいます。
今年、スケートボードがオリンピック種目に決まり、
オリンピック選手を目指すスケーターもいれば
カルチャーとしてのスケートボードを楽しむスケーターもいると思います。
どんなことであれ、スケートボード自体に注目が集まることは良いことだと思います。
そしてそのスケートボードのルーツはここLAにあるといっても過言ではありません。
ぜひLAにスケートボードをしにきてください。
ああ、あと1回で終了ですね。次回は私のLAでの活動をお伝えします。

skate columnKyoko Sugimoto Hicks
1回目 2016/10/19 『LAから発信します』
2回目 2016/11/2 『日本からアメリカへの道のり』
3回目 2016/11/15 『アメリカでの大会そしてアメリカのスポンサーゲットまで』
4回目 2016/12/7 『I’m skate mom. It’s my life.』

 
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