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COLUMN |
SKATE COLUMN 2016/10/19 |
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『LAから発信します』
みなさんこんにちは、はじめまして。Kyoko Hicksといいます。
今年の3月に人生で初めて自分のスケートボードを手にいれて
ほんの一ヶ月前からスケートボードをはじめました。
なぜこんなスケートボード初心者がここのコラムに登場してるの?と
みなさんの頭の中は???でいっぱいですね!
私の息子は杉本瑛生といいましてプロスケーターと言ってもいいんですかね?
私というより息子の瑛生のほうがスケートボードの世界ではみなさんご存知なのではないでしょうか。
その母親がなぜここに登場??
それでは私の自己紹介ですね。
現在LA在住です。
瑛生が20歳になった時、私は決めました。
もう彼ら(私にはもう一人諒という息子がいて瑛生より年上です。)が20歳過ぎたのだから
私の子供を育てる義務は終了したと思っていいだろう。
よしこれから残りの人生は自分の夢を叶えよう。
その夢とは私が子供を産む前から思っていた「アメリカに行って留学したい!英語を学びたい!」でした。
子育て中は自分の夢を叶えるより子供の夢を叶えてあげたいと思っていたので自分のことは後回し。
20年以上たってようやく実現できることになったわけです。
その時私44歳。
44歳で留学??ちょっと普通では考えられないですね。だけど人生1度だけ。
やってだめなら帰って来ればいい、とりあえずやってみなけりゃはじまらない。で、留学した先がLAでした。
なぜLAを選んだかといいますと、瑛生が10歳の時から5年間、
LAで行なわれているコンテスト出場の為に1年間で3,4回はLAを訪れていたので土地勘もあったし、
友達も多少できていたのでここを選びました。
ビザの手配、住むところ、行く学校、トントン拍子で決まってやっぱりLAを選んでよかったと思いました。
ちなみにビザ取得の時高校の成績証明書が必要になりますが、
母校にこれを取りにいったところ、
「ごめんなさい、卒業後20年を経過すると書類を破棄してしまってあなたの成績証明書が用意できないの」
と言われて大笑いしたことがありました
。この件は、彼女の成績証明書は20年経過していたので破棄しましたって
書類にサインをいただいて一件落着しました。
まあ、一般的に44歳で留学は考えませんからね。
LAの生活は最初の1年間は学校生活でいっぱいいっぱいでした。
19、20歳の自分の子供と同い年くらいの外国人と一緒に授業を受けるわけですよ。
錆び付いた私の脳みそ動くのに時間かかりましたよね。
宿題とか寝ずにやったりしていました。
でも自分の選んだ道なので大変だったけど充実していました。
学ぶことがとても楽しかったです。
2年目から少しずつ自分のリズムができてきて、
せっかくLAにいるのだからまたスケートボードに関わることやりたいなーと
スケーターじゃないのに思い始めました。
私にできることは何?
そう、私、息子の瑛生と5年間、色々なパークにいったじゃない、色々なコンテストにでたじゃない。
そうだ!これをこれからLAでスケートする子たちにやってあげたらいいのではないか。
私ほど日本人スケートママでLAのスケートパーク、コンテスト事情を知っている人はいないはず。
そして現在LAで日本から来るキッズスケーターのケアをさせていただいています。
思えば私が瑛生をアメリカに連れてきた時、とても大変だったんですよね。
次回は瑛生と私がアメリカの大会に出るまでをお話しします。
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