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COLUMN |
SKATE COLUMN 2008/12/17 |
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『中学から18歳までの自分』
みなさんお元気ですか?
荒畑潤一です。
今回も前回に続き僕のスケートから得た実体験を元にコラムを書いて行こうと思いますが~
前回は昔の大会のところで終わっていたので次はどこからにしよう?
そう!中学生になった僕は本当にどっぷりスケートにのめり込んでいました。
来る日も来る日もスケートスケート!朝から晩までスケート!
活動的には練習、草大会、AJSAやカリフォルニアストリートの社長と撮影と少しずつですが、
活動の幅が大きくなって行ったのを覚えています。
確か初めて雑誌に出たのが中二の頃、カリストの大会の写真がFineに出たのが初めてでした。
当時コンビニでその写真を見て相当嬉しかったのは、今でも忘れられません。
そこから撮られる喜びを知った少年は数々の雑誌でプロモーションをして行くのですが~
最初のスポンサーは当時一緒に滑っていたキンジ君の紹介でサポートされるようになった『ETNIES』
そうです!
スケート業界では有名なシューズメーカーです。
確か15歳の冬でしたね。
本当に上がりました。
スポンサーが付くのに5年かかった僕にはグットニュースでした。
そこからショップスポンサーや代理店のサポートを受ける為にキンジ君にお願いして
「スポンサーミー」ビデオを作ってもらい色々な企業にトライしました。
その結果回りの方々の応援もあり17歳になった頃には、
グッズでは不自由無くスケートをさせてもらえるくらいになりました。
初めてAJSAのプロクラスで優勝したのもその頃です。
初めて行った大阪で初めての賞金をもらったのを覚えています。
その当時はバイトをしながらスケートをしていたので
初めてスケートで稼いだお金が大事で仕方がなかったです。
そして沢山の経験をさせてもらったモデルの仕事をさせてもらっていたのもこの頃でした。
朝早くから編集部に集合しロケバスに乗って湘南や千葉にロケしに行くのです☆
楽しかったな~。
スケートとバイトとモデルのお仕事でかなり充実した毎日でした。
この辺から色々なメディアや企業の方々とのお付き合いも頻繁になり
スケートが僕の中で仕事と実感し始めた時期でした。
コンテストではAJSAをはじめ、ムラサキスポーツもサーキット戦を大々的に展開し始め、
僕から見た視線では、スケート業界がかなり盛り上がって行っているのがわかりました。
そして18歳の冬、かつてから念願だったAJSAの年間チャンピオンを獲得する事ができ、
当時のメインスポンサーだった代理店の社長さんに
『日本でチャンピオンになった事だし、次はアメリカでやってみるか?』と願ってもない言葉を頂き、
当時のスケートビデオマガジン『Candy 9』でフルパートをやらしてもらっていたので、そ
れをスポンサーミー代わりに荷物に入れ、19歳の夏、夢にまで見た初海外、ロスアンゼルスに飛び立つのです。
次回に続く。
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