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COLUMN |
SURF COLUMN 2008/7/16 |
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佐藤 誠(サトウ マコト)
7月6日生(CKBの剣さんと一緒) 株式会社サンコー代表
07年4月九十九里一松海岸に、ウエット工場「BPD.BeachPleasureDeveloper」始動。BeWET/Delphiのほか、OAKLEY/PATAGONIA/HURLEYなどカリフォルニアブランドのウエットプロデュースを手がける。BPD屋内には、東京で閉園となった幼稚園の床材を移築した多目的室があり、サーフレクチャーや地域活動の拠点に使われている。現在、BeWETと代官山UNICEがコラボしたSUMMER_FESTA主催。 |
1回目 |
2008/7/16 |
『サーフィンしたいシンドローム』 |
2回目 |
2008/8/6 |
『ウエットスーツの暖かさについて考えようと思う』 |
3回目 |
2008/8/20 |
『SURFDRYの功罪』 |
4回目 |
2008/9/3 |
『最高のWETSUITSを提供する "HEART"』 |
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『サーフィンしたいシンドローム』
「サーフィンしたいよね」「海は好き」。。。最近、特に耳にする機会が多い。
『じゃ、やればいいじゃん』。。。
「うーん」「でもねえ」。。。なぜ皆、躊躇するのだろう。
僕は広尾生まれの麻布育ち。バリバリの都会っ子である。
父親はプロのダイバー。今から半世紀前、人が初めて空気を背負ってダイビングした最初の世代の人間だ。
サンコーのルーツは東京のプロダイバーの集団から始まった。
創業当時、東京で新参のプロダイバーの仕事は、
たまに降ってくる官公庁の公的な仕事(港湾関係の海底地質調査や波高計測機の設置など)か、
不幸にして警察にお世話になる(自殺者や水難事故の捜索や引き上げ)程度で非常に不安定な収入だった。
これら特需収入を得た時には、よく学校を休んで遠くの海へ遠征に出かけた。
ワゴンに積めるだけのタンクを載せて、まだ人が潜ったことの無い海岸で、
軍手に水中銃で好きなだけ海産物を漁って食べた。
しかし、資金が尽きると仕方なく都会に戻り、
母親の手伝いで開発されたばかりのネオプレンゴムスポンジでウエットスーツを作り始めた。
ウエットスーツを最初に買ってくれた人種は、その恩恵を心より待ち望んでいた命がけの海女さんたちと、
その正反対の境遇に住む、都会の映画スターと新しもの好きの六本木のその筋の人達だった。
新しいことにチャレンジする。
昔は今ほど、情報や、常識や、先入観に染まる事がない、素の時代だったんだろう。
あるいは、父親が、不安感や焦燥感を突き破るだけの海への憧憬を持っていたのかもしれない。
長生村一松海岸に工場が出来、東京人と長生人の(あいの子生活)を送るようになって1年半経った。
長い間自然の砂丘が残る海沿いに工場を持つことが、僕の夢だった。
幸いに多くの人と交流し、無形の協力者に深く感謝している。
海沿いの生活から都会へ戻り、コンクリートとアスファルトで作られた人口の空気に浸る。
触れ合う人々の表情に不安や焦燥を見てしまう。
『海に来ればいいじゃん』
それだけで良いような気がする。
7月。梅雨の晴れ間に、稲の緑が風に揺れている。
鼻から吸う海の空気は、海の上で生まれたんだなと思う。
太陽と海が風を作っている。
「うーん」「でもねえ」
その一歩を踏み出して、休日に好きな人と、海に来て欲しい。
そうすれば(もっと良くしよう)というユウキが湧いてくる。
友人に代官山UNICEを紹介された。http://www.unice.jp/
都会の>真夜中の>地下のラウンジ。である。
海から最も遠い、その地下で、海へ行きたくなる衝動を与えたい。
今、ウエットとサーフボードのオブジェをコラージュさせてもらっている。
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