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COLUMN |
SURF COLUMN 2008/9/24 |
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『SURFING IS MY LIFE WORK その2』
小学4年生になりサーフィンデビューを果たした私ですが、
その頃のサーフィンは一般的にあまり知られていなかったため、
同級生と共通した話題も無く、
同級生たちは私の長く伸ばしていた髪の毛を見て、
『あいつ、おんな男みたいでしょう!』(今で言うオカマ!?)と言われたりもしました。
同級生達と一緒に盛り上がる為、サーフィンは休止状態となり、
長く伸ばしていた髪の毛もG.Iカット(フィギアG.Iジョーの髪型)にして、野球にのめりこんで行きました。
週末に海に行かなくなったことで、
父は少年期から私をサーフィンフリークに仕上げることが出来なかった悔しさを噛みしめていたと思います。
父は同じ失敗をしないようにと、弟の時はスイミングスクールに通わせることから始まり、
あくまでも自然にサーフィンの環境に溶け込んでいくようにしたそうです。
そのおかげで私の弟は私よりも上を行くサーフィンフリークとなり、
しまいにはプロサーファーにまでなってしまいました。
野球少年を経て中学生になった私に2度目のサーフィンデビューが訪れたのは、中学2年生のときでした。
その頃にスケートボードが流行り始め、太東にスケートボードセンターができた頃に
ファンキーな同級生たち(不良な同級生ではありません)とスケートボードにはまり込むようになり、
週末にはそのスケートボードセンターに通っていました。
そのスケートボード熱に便乗して、サーフィン再デビューとなりました。
この再デビューはファンキーな同級生たち(学校内では不良グループといわれていました)と一緒だったので、
共通の話題もあり、いろいろな意味で楽しい時期でもありました。
この頃は最初のサーフィンデビュー時とは違い、
テイクオフし、横に走ったりすることが出来るようになり、
同級生たちと競争しあいながら、まともにサーフィンを楽しんでいました。
千葉の夷隅ポイントで開催されたISP(現在のASP)の大会を観戦しに行ったのもこの頃でした。
余談ですが、その頃私の弟は
NSA全日本選手権(日本のアマチュアのサーフィン全国大会)のボーイズクラスで入賞、
太東スケートボードセンターで行われたスケートボードの大会でボーイズクラス優勝、
おまけに当時の朝のテレビ番組『小川宏ショー』に天才スケートボード少年で出演したり…
(私もちょっと出演した…)そんな感じでした。
楽しい時間が過ぎていくのは早い物で、あっという間に高校進学を迎える時期になり、
私は勉学に励むべくサーフィン休止状態になっていきました…というのは建て前で、
本当はギターとフォークソングに出会ってしまったのでした。
つづく
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