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 COLUMN

skate columnSNOW COLUMN 2010/1/20

 

小林じゅんじ
1973/4/14生まれ 大阪府出身 血液型AB型 
身長&体重 164cm、55kg
1995年にスノーボードのプロに昇格。
ジャンルを選ばずオールマウンテンに活動の場を広げる。
毎年スノーボードキャンプを各地で行い、好評を得ている。
現在は大阪で妻と息子の3人で暮らしている。
スポンサー(スノー):SUN,Fifty Five DSL,I-Path,

1回目 2010/1/20 『一人旅』
2回目 2010/2/3 『一期一会』
3回目 2010/2/10 『スノーボードの本質とは』
4回目 2010/2/15 『Snowbording is not a sports』

『一人旅』

山崎勇亀君よりコラムを引き継ぎ今回から計四回コラムを書くことになりました、小林じゅんじです。
5日頃に勇亀君から電話で「コラム書かない」って言われて、迷う間もなく書くことに決まり、
飛行機の中でだいたい何を書くかということを考えて、帰ったら文章にまとめようと思っていたのですが、
なんと帰ってきた途端にインフルエンザが発症し40℃の高熱で昨日までうなされて、
あっという間に今日は締め切りの日。
なんともならないかも・・・と思いながら書くことにします。


スノーボーダーとして経験することのひとつに旅がありますね。
スノーボードをしていれば、ちょっとしたトリップはほとんどの人が経験しているのではないでしょうか?
僕はスノーボードをしていて良かったなと思うことのひとつが、いろんな旅を経験できたことです。
スノーボードをしていなければ、おそらく海外一人旅を経験することはなかったのではないかと思います。
今回は簡単に僕の初めての一人旅での失敗談を書くことにします。


初めての海外一人旅は1992年でした。
1シーズンアメリカでスノーボードをしたいと思った僕は、
サンフランシスコまでの飛行機チケットを購入し、アメリカに上陸しました。
初めての一人旅とアメリカに来たという気持ちに浮足立っていた僕は、
ホテルにチェックインすると、さっそく街に跳び出し時間のたつのも忘れて歩き回っていました。

そしてふと気づいたことが・・・

なんと自分の宿泊しているホテルの名前と住所をメモどころか、
まったく確認せずに出てきてしまっていたのでした。

地図を見ても自分の現在地は何とかわかったが、どこをどう来たかまではわかりませんでした。
とりあえず近くのマクドナルドへ入り、パニック状態に陥っていた僕は、
なにをどう思ったのか、店内を見渡して一番人の良さそうな黒人の兄ちゃんに話しかけていました。
黒人の兄ちゃんは不思議そうな顔をしながらも僕の片言の英語から得た情報で、
どこへやら電話をかけ、親指を突き立て「OK!」と言ってウインクした。
白い歯が輝いていたあの笑顔は一生忘れることはできそうにありません。
そのまま連れて行かれるがままについていき、
有名なケーブルカーにも乗り、
僕は言われるがままに停留所で下り、兄ちゃんはそのまま乗って行きました。
しかし降りると、夜のサンフランシスコは昼間とはがらりと雰囲気が変わり、怖い街になっていました。
そこらでパトカーのサイレンが鳴り、
周りを見渡すとちょっと品が悪そうなお兄さん方が窓から顔を出していました。
なんだかやばそうな場所だなぁと思いながら、
僕はあわててフードを深くかぶると迷い込んだ子ヒツジだと見破られないようにと祈る気持ちでした。

急ぎ足で歩きながら、あと少しで明るい光が向こうに見えるというところで、
パンッ!パンッ!という甲高い物音が・・・
僕はもう弾き飛ばされるように走り出しました。

なんとか無事ホテルにたどり着き、疲れと安心感でベッドに倒れこみました。

これが僕のスノーボードトリップの始まりで、
今でもホテルに着くとすぐに飛び出して行っちゃいますけど、
ホテル名と住所を書いたメモを持っていくことは忘れません。
この時の経験で、どんな時でもなんとかなるかなという気持ちが、
その後のプロスノーボーダーとしての自分のスタイルにつながっていくことになりました。
なんだか強引にスノーにこじつけちゃいましたね。

さて次回はまだ考えてないのでこれから考えます。


snow column小林じゅんじ
1回目 2010/1/20 『一人旅』
2回目 2010/2/3 『一期一会』
3回目 2010/2/10 『スノーボードの本質とは』
4回目 2010/2/15 『Snowbording is not a sports』
 

 
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