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COLUMN |
SNOW COLUMN 2010/10/6 |
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『JUS FOR FUN…No.2』
アメリカに渡って大学に通いながらスノーボードを楽しんでいた。
学校のそばにDiamond Peakというゲレンデがあって
そこのシーズンパスは学生割引でたったの199ドルだった。
車もなかったから週末はバスでフルに通い、
平日はルームメートとかに連れて行ってもらったりして楽しかった。
特に何が出来るって言うほど何もできなく
下手くそなりにがむしゃらに頑張って一著前にライダーになると夢見てた。
その頃大学では親にはスキービジネスを学ぶみたいな事言って飛び出したのに、
実は思いっきり芸術科に進んでいました。
どうしてもボードのグラフィックをデザインする仕事に従事したいというあこがれもあって、
勝手に専攻変えて芸術のクラスを履修していました。
絵描いたりとか物作ったりとか創作的な部分は子供の頃からあってすごく大好きだったんですけど、
芸術を勉強するという事には全く興味もないというよりは芸術科を選択できるという事に
高校生の頃は全く気付いてない状態でした。
まあ自分に全くなんの意思もなかったという事です。
そういう環境にもいたみたいで。
まあなんというか良くも悪くも典型的な日本の家庭に育ってしまったと言いますか。
今思うと日本だなという環境です。
芸術にも色々と種類があるのになぜ絵を選んだといえばあるスノーボーダーの存在がありました。
それはJamie Lynn(ジェイミー・リン)。
ジェイミーと言えば当時カリスマ的な存在のライダーでした。
めちゃくちゃ広いダックスタンスにもろトォー抜きのフロントスピン、
そして世界一かっこいいトゥイークを武器にスタイル全開でカッコよかった。
そんなジェイミーがライダーありながらも
自分のボードのグラフィックをデザインしているというアーティストとしての一面も兼ね備えていた、
そのジェイミーが描く絵が好きで
自分もそんなライダーになりたいと思っちゃったのが最大の間違いだったのかもしれないけど。
そう思わなかったら絶対にそこまでスノーボードにははまってはいなかったはず。
結果的にいえば最高の間違いだったみたいです(笑)。
そのようなことがきっかけで芸術の世界に入って
やりたくもない芸術や歴史などいろいろとやらされているうちに
たまたま写真のクラスを履修したことがこれまた自分の芸術の人生を狂わせることになりました。
絵以上に写真の方が楽しくなってしまった。
そのうえにもっと多くのライダー達に接することが出来ちゃったからです。
楽しくてしょうがなかった。
雪山にある大学だったので他にはない特別な写真のクラスがありました。
それはWinter Nature & Action Ski Photographyというクラスです。
冬の景色とスキーの写真のクラスで
講師はその辺ではちょっと有名でスキー雑誌とかゲレンデで仕事もしていたDeacon(ディーケン)っていう人で、
自分の写真の原点はその人にありというぐらいディーケンから学んだり感じとっていました。
ここではかけないぐらいぶっとんだ人でした。
最初は学校の友達の写真を山でたくさん撮っていました、
今それらを見るとなんてひどい写真なんだと思えちゃうほどひどいです。
カリフォルニアではその当時は色々とイベントや大会もあったので
それらにももぐりこんでプロの滑りを撮りまくりました。
そしてライダーにもたくさんの知り合いを作り
まずはスノー業界に軽く一歩を踏み出した感じでした。
冬休みは日本に帰国していたので
そのタイミングで自分のブック(作品集)を作って雑誌社に見せに行ったりもしていました。
その流れで突然日本から連絡がきて仕事の依頼など入りこみ
一気にスノーボードカメラマンとしての道が開け始めました。
冬の間に外人と撮影したものを記事にして、
夏は日本からの依頼でMt.Hoodでフルに撮影して、
時間がある時はフリーで滑ってなどというかなり素敵な生活でした。
特に外人ライダーとのコネクションがその当時は強くて、
そのライダー達のおかげで本国の会社からも撮影の依頼がきたり、
広告で写真を使ってもらえたり、MDPの撮影に呼ばれたり、
今考えると本当に楽しいスノーボードのある生活を送っていました。
大学を2000年に卒業してそれ以降は日本とアメリカをかなり行き来しながら自由に動いていました。
大学卒業して数年間はまだスノー業界も冷え始めてはいなく結構好き勝手自由に写真を続けていられましたが、
徐々に限界が見えてきました。
その頃から自分の中になにか引っかかるものがありました。
それが見え始めてから徐々に写真が楽しい仕事から
仕事として撮影しないといけないという義務的な事のように感じられるようになりました。
時には撮影したくない事まで撮影したり、なんでと思いながら撮影していた時も多々ありました。
その後、業界の景気が傾くにつれてそのいやな部分が一気にに表面上に出てきて、
本当に自分が何のために撮影しているのか分からなくなりました。
スノーボードってもっと楽しいものではなかったのかという事にされ疑問を抱くことになって、
なんとかしないといけないなとしばらく考えていましたね。
スノーボードは他のスポーツとはすこし違うタイプのスポーツで
カルチャー的要素がすごく強い独特なものだと思います。
なので一概にこのライダーが一番だという定義付けが出来ないスポーツ。
だからこそカルチャー的な部分、
もっと人物にフォーカスを合わせた事、
新しく情報を発信しているライダー達、
面白いことをやってるライダー達、
ファッション含めどんどん海外から発信される斬新で新しい事をもっと雑誌としてやるべきだったのですが、
そこまで追いつけていないのが現実でした。
その中にもっと楽しいスノーボードがあるのになぜそれを取り上げようとしないのか。
そんな疑問もたくさんありました。
それが出来ないと自分はいったい何をやっているのか?
そして本当に楽しいのか?
その答えは見つからないままもう少し時が流れて今から5年前に新しい事の第一歩を踏み出しました。
つづく。
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