『スノーボードライフへの転機』
スノーボードの世界に入ってからは、今までの社会生活から一転して、
自分の想像と理想を遥かに超える世界が見えたっ。
自分が動けばチャンスが転がり込んできて、あっという間にスポンサーがついた。
思えば出会いや人、環境にすごく恵まれていた。
もともとスノーボードのライダーに詳しくなくて、いろんな人に助けてもらっていろんな場所に行った。
少しでもチャンスがある!と思った事にはOL時代の貯金を惜しみなく投資した。
そしてどんどん理想を現実にしていく自分のライフスタイルが好きになって 、
その為に、しなければならないことは何なのか、
協力を求めるべき人は誰なのか、
何ができて、何ができないか、
今何ができるか、するべきなのか、
毎日考えて前に進んだ。
仲間にも恵まれていて、海外にも活動を置いて自分をもっと追い込みたかった。
常に前だけしか見えなかった。
私が進む先には、光しかないと思ってた。
無茶も無理もいっぱいしたけど、止められても立ち止まろうとしなかった。
たまに自分が怖い時があった。
ある日のロードギャップ。
見たこともない高さで、スピードを誤ると命が危うい高さ。
やるかやらないかは、自分の判断。
でもそこにはBESTなクルーがいた。
そしてBESTな太陽が射しこんでいた。
もう頭の中に恐怖心よりも、メイクした後の興奮が先に自分を奮い立たせた。
「やりたいっっ!!」
自分のスノーボード人生で、一番勇気をだした日かもしれない。。。
今、あの時の写真を見ると身震いする。
Photo.DICE-K
今年の誕生日1月6日に飛んだロードギャップ
専門誌・トランスワールドスノーボーディング5月号記載。
いろいろな経験で少し大きくなれた気持ちで日本での大会のために帰国。
大会前に日本での撮影もこなした。
カナダから帰った私は少しの自信をつけて、新しいバックカントリーというフィールドに夢中になっていた。
ぎりぎりまで撮影をして、大会へ挑んだ。
正直もう少し撮影をしたかったし、バックカントリーが調子よかった。
でも今シーズン、ただ一つだけの目標としていた大きな大会。
スイッチを無理やり切り替えた。
その判断は、私のプロ意識しての意地でもあったのかもしれない。
そして、その判断が選手生命、そして日常生活をも奪われる大けがになるとは、その時は思ってもいなかった。
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