COLUMN
SNOW COLUMN 2007/10/17
安藤輝彦
TERRYCOBRA 1973.01.18
現役にこだわり続け、プロスノーボーダーとして12年目を迎える。
X-TRAIL JAMやTOYOTA BIG AIRなど”ショー的スノーボード”をメインに活動してきたが、近年ではDVDやスチールの撮影、YONEX SNOWBOARDのウェアディレクターとして活動をする。さらに趣味を生かし、バイク雑誌のカスタム連載をするなど幅を効かせた動きをみせる。07'・08'はルーツである地場のシーンを盛り上げようと、あららぎスキー場のプロデュースやイベントを予定している。
1回目
2007/10/17
『PLAYER』
2回目
2007/11/7
『TRACE』
3回目
2007/11/21
『EFFECTOR』
4回目
2007/12/5
『illuminance』
『PLAYER』
”今を生きよう!”・・そう思いプロスノーボーダーとして活動し12年が経ちます。
昔からこのフレーズが好きで、一瞬一瞬を精一杯生きてきたつもりです。
ヤルからには全力でトライしたい!楽しみたい!悩みたい!
そんな単純明快な ”1スノーボーダー” です。
雪国は信州で生まれ育ち、少年時代は野球に没頭し、冬はもちろん、、、、スケート、はいアイススケートなんです。信州でも最南端のため、雪は降ってもスキーができる程は積もらない、だからスキーとは縁が遠くスケート場に通う少年時代でした。
千鳥足に明け暮れてましたよ(苦笑)。
でもスピードスケートのモジモジ君スタイルには抵抗があったらしく、当時の夢は”プロ野球選手”か”ホッケー選手”でしたね。
でも無い物ねだりでスキーには憧れがあり、年1ペース程度で行ってた記憶があります。
高校時代に空前のスキーブームの火付け役となった”私をスキーに連れてって”を見てから、頭の中は「ブリ~ザ~ド、ブリザ~ド♪」一色になりましたね。
そして卒業後、菅平に念願の雪山籠りに行ったのです。
その頃スノーボードに関心はありましたが、滑れるスキー場が限られてたのもあり、頭の中はまだ「ブリ~ザ~、、♪」でしたね。
周りに負けたくない一心でガンバってましたよ。でもよく雑誌で目にするようになった”横乗り”の華やかな未知の世界に惹かれていったのです。
翌年、運命の出来事が・・。友人から「板買わない?」って。チャンス到来♪何せ当時板は¥10万が当たり前でしたから、即ゲットの即菅平へGOです。
でも、、、「うちは禁止だよ。」大バカですよね(大笑)。その年は無念にも他のスキー場で短期集中コースでしたね。
そして翌年、友人が紹介してくれた”ファースト石打”に籠ったんです。”絶対上手くなれる!モテモテ!?”と判断。そこそこヤレる方だと思って乗り込みましたが、その自信は大きく崩されましたね。人生初の360見せられたらカルチャーショックですよぉ、、。
ここから”前向きな横乗り”の人生勉強が始まったのです。そしてココでの出会いが"PLAYER" への第一歩となったのです。
オフシーズンには雪を求め海外に行く。今では当たり前の事ですが当時はサプライズでしたねぇ。
どんな世界があるのか見てみたい、少しでも皆に追いつきたい、そんな気持ちでN.Zに旅立ったのです。
そこには澄み切った空気、壮大な景色や迫力ある荒々しい地形など見た事感じた事のない大自然に出会い魅了されたのです。
旅はトラブルを乗り越え、新たな出会いにより人間の厚みや経験値がアップします! この時、多くの人と出会い、多くの経験をした事が今現在に至る、とても大切な旅になったのです。
その冬、N.Zで出会った西田氏と共に天神平のビックでナチュラルな山を滑りながら、大会に参加してましたね。時々ハーフパイプの練習をする程度で、山を滑り不慣れなパウダーに埋まってる事が多かった記憶が、、。
今思うと多少の揺れには動じない土台作りだったんですね。
”プロスノーボーダーになりたい!”って思ってたワケではなく、ただ無欲に精一杯楽しんでました。
何のプレッシャーもない、怖いもの知らずの世間知らずですから、、。そして、その無欲さがプロスノーボーダの称号をもたらしました。
しかしそんな順調に全てが行くわけはなく、そこからが試練の始まり~でしたね。
プロって何するの?右も左も分からないまま大会に出るものの、うだつが上がらないシーズンが続きます。
「肩書きだけならいらない、、。」
そう思いケジメをつけようとした4年目のシーズン、ビックエアーコンテストで優勝したのです。すると霧がかっていたモノが晴れてきましたねぇ。
ここが一つのターニングポイントであり”PLAYER”としての階段を駆け上がる事になりました。それを切っ掛けに、国内外でコンテストやシューティングと幅広く活動をするようになり、更には業界の枠をも越えていきました。もちろん一人の力ではここまでに至らなかった事は言うまでもありません。そして多くの経験や出会いがあり”プロ”として”PLAYER”としてすべき事が見えてきたのです。
プロとしてやっていく上で、スポンサーが居てこそ幅広い活動ができるわけで、両者の関係は50/50で成立するものです。
リザルトや媒体露出など販売促進に繋がる結果を残す事が絶対的に大事なのですが、 日本でたった20年程の歴史しかない"Snowboard"を社会的に確立していき、次世代に継承してく事が今後の課題になってくるのです!
プロである以上、上を目指し目標を持ちのし上がって行く事はもちろんですが、今まで以上に視野と幅を広げ、多くの人達にアプローチして行く事が プロフェッショナルとして、業界人として”Key Point”になってくるのです。
そしてPLAYERとして?えっ、What's player?
プロとして滑ってる事だけじゃないんですよね。では初めて板を手にした瞬間から!?
いや、どんな事でもいい何かに向かい突っ走ってる以上"PLAYER"であり"PRAYER"なのだと。
ずっと前向きな横乗りLifeで、、、一生勉強っすよ。
”今を生きよう!”・・・その為に欠かせない事、それは"PLAYER"であり続ける事なのです。
LET'S ROCK!
www.terry-cobra.com
安藤輝彦
1回目
2007/10/17
『PLAYER』
2回目
2007/11/7
『TRACE』
3回目
2007/11/21
『EFFECTOR』
4回目
2007/12/5
『illuminance』
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