COLUMN
SKATE COLUMN 2016/7/20
小澤正道
1973.9.18 O型
5歳の時ポケバイに乗り始め、8歳からはスキー、10歳からスケートボード、14歳からギターとドラムを...そして現在もスケートボーダーとして、バンドマンとして、バイク乗りとして刺激を求めてサバイブする男。ニックネームはOZZY。
スポンサー 5050 Skateshop, Roots Skateboards, Stonp, 二番煎じベアリング,
ガレージ沢平, Firebird industries, TKサイクル, CHROME SHIBUYA
1回目
2016/6/15
『宝物はどこにある』
2回目
2016/7/6
『天国と地獄』
3回目
2016/7/20
『絶景を見たいから』
4回目
2016/8/3
『生粋のアウトサイダー』
『絶景を見たいから』
今回で第三回目になるコラムだが、正直なところ こういった文章に思いを乗せていく事って難しい。
なので 常日頃の生活から芽生えて来た気持ちや決意を
自分自身への確認として表現してみたいなと第一回目をスタートした。
なかなか身勝手な方向性な訳だが、ここまで来たらこのまま突っ走るしかないようだ。
自問自答しながら これまでの道程を歩いて来た。
問うてはみても 明朗な答えが見えて来ない時だって勿論あった。
この世の中、自分に正直な生き様を見せつける事は 半端じゃなく難しい。
気持ちのままに動いていたら、自分が気付かないところでヒトを傷付けてしまっていたり。
自問自答して何とか摘出したアイデア。
それを目標として真っ直ぐに邁進して行きたい自分がいる。
時に誰かの道程と交わり、時にその重なりが続いて行くこともある。
その重なりは、とても重要で とても大切なもの。
だって、重なった瞬間から 喜怒哀楽ってものが動き出すから。
喜怒哀楽というモノを学べるな と。
喜びが、一生続けば良いけどな。
でも最初から最後まで 喜びばかりの人生って、
それを喜びとして受け入れ続ける事が出来るのだろうか。果して。
ところで、僕の人生は喜怒哀楽に富んでいる様な気がする。
それが良いとか悪いとか ではなく、色んな事があったんだ。
そんな人生を 何故か 羨ましいな~とか言われる事もある。
小学1年生 70年代の終わり 北九州は小倉、隣の団地のナワバリに入り込み、
恐らく中学生の不良達に拉致され 暗闇の倉庫の柱に太いチェーンで縛り付けられ気を失っていた。
(目が醒めたのは同じ団地のスケ番が助けに来てくれ格闘していた瞬間。)
約10年前 あるイベントでのデモショウの真っ只中。
気持ちのコンディション最悪な中で判断ミス、
地上4メーター位の高さから360°ハイサイドバックドロップで意識不明の重体 とか。
(そして次の日、病室で目覚めるとその日は誕生日で目の前には田舎から急遽駆けつけてくれた母親が。)
ここに記すのは 敢えて、まるで破天荒極まりなき人生のエピソードばかりみたいだが
たしかに僕の人生ってそんなのが多めな気もする。
全くもって 自慢にはならないし、こんなの羨ましい訳がない。
まぁしかし、それらの情事から学んだ事は、確かにある。
ひとつは 他人のナワバリに入る時は細心なる注意と警戒と礼義を。
実は最近、仲間たちと山の奥深くにてある計画を実行しているのだが。
そこでは鳥たちが歌い 木と風と水の音 少しだけ猿と話をしたり ウサギやシカの爆走を見たり
トンボやアゲハと遊んだり クワガタとカブトムシが山小屋の窓にぶち当たってやられていたり
そこは完全に彼らのナワバリだと感じているけど、
出来るだけ共存させて貰える方向で考えて頂けないものかと願いながら山奥生活をしている。
学んだ事のもうひとつ は、己のコンディションを大事にして生きて行くことだろうか。
周人の顔いろを伺い 己の胸の中の矛盾におびえ 決して自分を客観視する事も出来ずに渦の中へ
そんな大変な状況に陥ってしまう時もあるんだよ。
確かに僕なんかは そんな時あったし。
じゃあ どうしようか。
他人を気にしない では喜怒哀楽などは学べやしないしな。
でもやっぱり傷つけるのも傷つくのも怖いし。
だがしかし、漠然にとは言え 夢や目標があるならば歩みは止めたくない。
僕が思うに 命は自らに与えられた宝のようなものであり、
それ以上に もしかしたら自らが望んでこの世に生まれたかったのかもしれないし。
生命ってのは そういう可能性もないとは言えない。
じゃあやっぱり、適当に頷いてしまう人生なんて事にはしたくなくて。
周人に楯突く なんて事に興味はないんだけれど。
自分の中にある 扉の鍵 みたいなものを探し続けて ひとつずつ手にしていきたいだけ。
それが生きている本心かもしれない。
ただ、己を客観視出来るだけのスキルや性格などは持てずにいるのだ。
だから もう ありのままの自分で居続けるしかない。
調子が悪い時も 逆に気分が良い時も それが自分自身であることに何も違わない。
起こってしまった問題や苦悩の現実なんかも 誰かのせいにしてしまってはもったいない。
だってそれこそが、この生身で感じられる 喜怒哀楽 ではないのか。
酷く荒れた波がやって来た時 それこそが、チャンスが来た! みたいな考えはどうだろうか。
事態に 金やしがらみなんかが絡んで来ると 道程は深刻を辿る。
でも そのひと山を越えた時 なかなか見つけられなかった扉の鍵を手にした事になるのではないか。
それがてっぺんにもあれば、深い谷底に転げ落ちている鍵もある。
鍵を見つけ出し 手にした者にしか その扉は開けないはずだ。
想像の意見などは全く取るに足りない。
でっかい山を越えた者にしか その山のヤバさを知る事は出来ない。
深い谷底を這い上がった者にしか、その谷底の恐怖は知り得ない。
至極困難なりしも 登頂出来たのならば 次の山が望めてしまうかも知れないし
道程の行く先が多少見えて来てもいいはずだ。
いや、その山 言わば問題や困難を乗り越えて来た者にしか見えない景色が 絶対に ある。
僕は そう信じて歯を食い縛る。
もちろん、僕が学んで来た事と みんなも似たような経験をして来ているだろう。
僕が生きて来た道程には ライフワークと呼べる物として
スケートボーディングという 新しめのジャンルがある。
特にここ日本においては、スケートボーディングでの生計の確立などと言えば
先人や轢いてあるレールが少ないため 手探りばかりの超実験的ライフスタイルではあった。
更には 大好きな事だから 仕事として割り切る事は 時には身を切るような思いで臨むこともあった。
でも仕事として選んだ以上 シーンやその場を盛り上げ 金に換えていく。
良くも悪くも、その為の手法や判断は20数年程の活動の中で少しずつ養われた。
しかし、僕の場合 完璧なプロフェッショナルだったとは一概にも言えないであろう。
ただ 幸せなのは、プロフェッショナルと謳い 生きて来たスタイルではあっても
沢山の山を登って来たと思うし 沢山の谷底にも転げ落ちて来たし
そして 幸いにも沢山の鍵を見つけ出して来れた事だ。
己の人生としては大いに頷ける経験だ。
そして 大切に思い思われる 仲間。
そんな綺麗事なんて無いよ なんて事は 絶対にない。
これだけ沢山の人間がいるんだ。
目の前に見えている物だけが、僕やみんなの全てではない。
時には独りぼっちな自分を感じるだろうが、それも生きる上で大切な感覚だろうし。
でも一番大切なのは己の本当の気持ちを周人へ伝える事だと思う。
お前は信念があるから 凄いとか 羨ましいとか 言われて来たが、
本人的には 全く 信念って何なのかさえわからないまま この歳までやって来た。
僕としては、ただ出来るだけ 自分に嘘をつかない本音を全うしたかっただけかなと。
そんなワガママさえも 貫き通して行けば、
場合によっては もしかしたら 周人は それを信念と 呼ぶのかも知れないなと。
計算高くやってみたって、人生には方程式なんかない。
あったとしても、その式はすぐにひっくり返されてしまう。
僕には そんな難しい計算なんか出来ないから、
せめて細々と一桁に満たない自分たちの足し算を続けて行けたら良いなと。
いつか でっかい山のてっぺんにある扉 見つけた時には 拾い集めて来た鍵で 自分の手で是非開いてみたい。
もし仲間たちと絶景が望めたならば、それは後悔なんて微塵もない世界ではないだろうか。
僕は完璧なんて求められる男ではない。
そんな事は最初から 望んでもいない。
ただ、この胸の中に 這いつくばってでも登り 見てみたい絶景があるだけだ。
注意とお願い
文中にある「周人」とは ヒト、他人、人を意味しています。
「ひと」と読んでやってください。
小澤正道
1回目
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