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COLUMN |
SKATE COLUMN 2014/11/19 |
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『生きることが楽しくて仕方が無い』
3回目の今回はある程度具体的な私の歴史です。
皆がここから学ぶことは多くないかもしれませんが、私を知るきっかけになれば。
とりあえず幼少期の主食は団子虫でした。
小学校低学年で母死亡。禿げた父に育てられたはずですが、記憶には兄姉とがんばって生きた記憶しかありません。
小学校高学年ではいじめられてプールに沈められてましたが、いじめる側としてもがっつり活動していたので自業自得です。イラストコンクールに「殺」と一文字書いて提出したら先生に没収されました。たしかこのあたりで長男ヤンキー化。ヤンキー兄とファントム父の抗争は、見ていて戦慄を覚えました。
中学校に入り、自分は人間に嫌われる行動をすることを察知しました。言葉にトゲがあり、人を傷つけることをサッカー部の先生から指摘されました。当時はどうすることも出来ず、知らない人には不用意に自分を出さないという予防策のみ実施。
高校前期はたいして変化なし。サッカー部でサッカーしまくって週末はブラックバスを釣りまくるか、彼女(今の嫁)とひたすらガップリ4つの相撲稽古の連続でした。四股名は「夏盛り」です。
高学年で対人スキルは崩壊寸前。フォースを自在に操りかけたそのとき出会ったのがスケートボードです。高校3の夏くらい。
後はスタンダードにスケートに明け暮れる日々。今の子達ほど才能あふれる状態ではなかったです。
目の前しか見ていない状態が幸いして、世のスケート事情も自分の地位も不確かなままひたすら兄と練習&撮影。
この頃の目標は「熊本初のハンドレールイン」とか「ビッグステアをオーリーする」など目先のものばかりです。
初めての何かを達成したい。ただそれだけのためにスケートをしていました。
自分の性格を考えると大会参加は絶対に「ない」選択。
参加しだした理由は先輩に誘われてなんとなく、としかいえませんが、参加を続けた理由は確実にわかっています。何度目かの大会で最高なラストトリックをメイクしたとき、興奮した先輩にタックル&ハグされました。最高。
そしてプロ大会参加をやめた理由も同じです。そこにタックル&ハグを超える感動は生まれないと感じました。大会が悪いわけではなく、今の制度と参加者と客層と私のスキルが混ざりあっても価値が生まれないのです。
結局私がスケートでほしいものは祝福です。人は嫌いですが人間同士の思いが合わさったときに発生する一人では絶対に出せないパワーを常に求めています。
矛盾していますが本音です。
スポンサー等はそれらに必要な、または支えてくれる土台です。
立石史に戻ります。
本年版です。
今年2月くらいに足がおかしくなり、6月に手術。足首の骨々さんに別れを告げました。
これで動くのか。動かん。瞬間接着剤で結合されたガンプラの関節より動かない。やはり壊してからじゃ遅いのか。
2,3日に1回。怪しくない合法マッサージで来季への徳をためる日々。マイナスポイントがキャリーオーバーで、Tポイントばりの価値しか感じない。
7月に許可されたランニング令を勝手に「スケートもOKだろう」と解釈し、B7バス旅行で立石スケート人生開幕。俺が現在の巨神兵か。早すぎたことを痛感し閉幕。パズーーーー。
悪いことばかりではありません。
IFOのDVD「timecapsule」がリリースされたおかげで、出会うスケーター皆がウネウネレールBSスミスを絶賛。
DVDのおかげでスケートが出来ない期間も印税のごとくスケートでの祝福を手に入れてました。
また、琵琶湖にて夜通し釣行で38~59までを6匹。
「生きるってなんだろう...」。そう思わずにはいられない桃源郷での出来事でした。
その日からしばらくは体からビッグバスオーラが抜けなくなり、人生に何度かあるといわれているモテ期の貴重な1回をバスと過ごすことに。
見える、見えるぞ。
人生の第一章は「バスプロを目指し毎週チャリをこいだ立石少年」。
第二章は「ノーストレッチノーアイシングノーホスピタルを貫き自滅したアホスケーター」。
そして第三章「帰ってきた立石少年。目指せOSPプロスタッフ」が始まるのでしょうか。
8月。
待望の立石セカンドチルドレンが誕生しました。立石レオです。
釣りや子育てに大忙し。釣り超楽しいよ。
なので、IFOのボスに「10月のツアー参加できます」という意思を押しとおしました。逆に攻める!
不安の塊でした。リハビリも終了しておらず、10月に本スキルでスケートできる気はまったくしていませんでした。
それでも逃げることのできない環境がほしい。臆病者ゆえの選択。泣ける。
10月。
リハビリがとりあえず終わりました。
ツアーまで一週間、ナイスな高熱もスタート。ツアーへ行きたくない自分からのサインなので、無視します。五月病と同じ。すぐ逃げにまわる自分、嫌い。
みんなが寝た後、一人パチンコ屋の駐車場で練習しました。キックフリップとトレフリップしか出来ませんが、これでツアーは乗り切れると思いました。オーリーいければ気持ちでなんとかなります。
そしてIFOの面々と無事岡山で合流することができました。マスク着用で常時咳き込む私にメンバーは不安だったでしょうが、私には関係ありません。合流してしまえばさすがに帰されないだろうと読んでました。
予想通りIFOツアーは無事に完遂できました。最終日に不注意で腕にヒビが入ったけど、スケートに復活できたプラスに比べればこの程度のマイナスは無いようなものです。めでたしめでたし。
ツアー動画はVHS参照下さい。
http://www.vhsmag.com/doinit/ifo-autumn-jumbo-tour/
以上、今までの私でした。
これからはケガ中に見えた色々な事を具体化していく新しく楽しい毎日の始まりです。
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