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COLUMN |
SKATE COLUMN 2014/6/18 |
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『バートの勧め』
日本でもまだまだ数が少なく、そして高さだけで敬遠されるバート、
でも、実はそんなに危険なものじゃないと思ってる。
だから皆さんを是非バートの世界へ招待したい。
やめられない面白さがある。
では何がそんなに面白いのかと言うと、
まず飛んだときの浮遊感は他にはない。
バート飛ぶときってスピード速いから、エアーが「パーン」でなくて「ドゴーン!」なの。
そして飛んでる時の視界も独特で、地上4mくらいからさらに何mか飛び上がり
しかも人間の目線はさらに上にあるからヤバイ。
このようにバートじゃなきゃ味わえない醍醐味がある
この非日常的な感覚を是非皆さんに味わってほしい。
バートが避けられちゃう理由の一つとして
ランプって高ければ高いほど危険と思われてるみたいね。
沢山の人から「10とか11(フィートの高さ)くらいがいい。」ってよく言われる。
でも落ちたときを考えるとRは小さければ小さいほど危ないんだ。
だってすぐボトムに落ちちゃうじゃん。
10ftのランプなんて落ちたら大体フラット部分にドスンだよ。僕はその時代に膝を何度も壊した。
2014年現在、バートのサイズは13ft~14ftあたりが世界的に標準の大きさとされてる。
Rは大きければ大きいほど安全になる。
13~14ftなら、転んだって大きなR面が優しく受け止めてくれる!
2~3mの崖よりも、4~5mの緩やかな坂のが安全でしょ?
そしてバートが怖く無くなる方法があるから、それ覚えたら何でもできる。
それはニースライド。正座の状態で膝パッドで滑り降りてくるやつ。
それさえできれば、なんのトリックだって挑戦できる!
最初に安全な受身を覚えれば、誰でも無理なくバートをこなせるようになる。
一緒にバートやってみようよ。そこで飛べれば、コンクリートプールでも簡単に飛べるよ。
垂直部からのエアーって全然特別なトリックじゃない。それほど難しくない。
やり方さえ間違わなければ垂直部分からのエアーなんて誰でもできる。
バートでもミニランプでもレールでもステアでも、
どこでも身の危険を感じたときが怖いのは共通だと思うので
バートそのものが特別怖いわけではないと思う。
新しい感覚を味わう為に、是非バートを一緒にやってみよう!
っていうバートのお誘いでした。
こちらのコラムもこれが最終回、
読んで頂いて本当にありがとうございました
スケートボードをやってたおかげで本当に刺激的な人生を送れるようになった。
上達した喜び、仲間とのコミュニケーション、自己表現、などなど
スケートボードをやってたから国境問わず仲間ができた。
僕が海外に行って現地の友達と一緒に遊んで現地のリアルな暮らしが見れるのも
これもスケートボードのおかげと思う。
海外に友達ができるとか、そんな体験するとは思ってなかった。
最後に、その素晴らしいスケートに出会ったきっかけを。
1987年、日本では第二次スケートブームというのがあって、当時中学一年生の僕と中学三年生の兄がいた。
80年代後半くらいはスケートボードなんて不良の乗る物(という世間のイメージが強かった)。
その頃の中高生の間で流行っていたので、年齢的にぴったりだった兄が
スケートボードをディスカウントストアで買ってきた。
いわゆるオモチャのスケートボード。
そして兄がそのオモチャボードを持って仲間のとこに行ったら
「お前の板はオモチャじゃん」と指摘されて、
そのオモチャボードを弟の僕にくれた。
兄「俺は本物の板を買うから、これはお前にやる」って。
そこが僕のスケートボードを始めるきっかけになった出来事。
兄はそのまま本物の板など買わずに、
僕にスケートを始めるキッカケだけを与えて辞めてった(辞めるというか始めてない)。
その後、僕はオモチャボードから脱出するためにお年玉を貯めて、39800円のコンプリートを買った。
当時はUSドルがめちゃくちゃ高かったんだよね。
だからアメリカから輸入してるスケートボードは今より全然高価だった。
パーツをバラ売りで買ったらスケートボード一台組むのに5万くらいかかったもんね。
不良の乗り物だったスケートボードなんかにお金を出してくれる親はあまりいない時代だった。
1987年~1989年くらいの具体的なスケートボードの値段を思い出してみた。
平均してだいたいこんな値段だったかな。たぶん。
デッキ→13800円(デッキテープ無し!)
デッキテープ→1800円
トラック→6800円×2個=13800円
ウィール→2000円×4個=8000円
ベアリングとかビスとかの値段は忘れちゃった。
あとレールバーとかスペースパッドとかリップグリップとかつけてたからもう少ししたな。
でも消費税はまだ無かった時代(笑)
そして偶然にもバートを始められる環境が最初からあったんだ。
家から自転車で15分くらいの場所に2mRの垂直切れランプがあって、
そこで毎日練習して楽しんだ。神奈川県厚木市のShitHouseというショップだった。
2mRのランプはバートじゃなくてアメリカのプールだね。ここで基礎を作った。
バーチカルという名称はまだ無く、ランページって呼んでいた時代。
そのランプには豊田貢プロ・竹井昭作プロがたまに来てて凄いテンション上がった。
自分もプロになりたいと思った。
こうして僕のスケート人生が始まったんだなー。
そして今現在もスケートと共に人生を楽しんでいる。
大人になると仕事とかで時間がなくてスケートからだんだんと遠ざかっていく人がいるけど
こんな素晴らしいことはできればずっと続けてほしい。
そしてスケートボードがあって作られた特別な環境を楽しんでほしい。
読んでくれてありがとう!
いつも旅してるんで
どこかで会ったらビールおごってください(笑)!
小川元
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