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COLUMN |
SKATE COLUMN 2010/10/6 |
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『スケートビデオ』
皆様ごきげんいかがでしょうか?
前回に引き続きコラム2回目の森田貴宏です。
前回のコラムでは色々と自分が19歳の時に立ち上げた「FESN」のことについて色々と書きました。
今回は今まで15年間作り続けてきた「スケートビデオ」のことについて書こうかと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。
僕がこの世界に入る1番のきっかけ。
それが1本の「スケートビデオ」だった。
そのビデオを見て以降、僕はずっと「スケートビデオ」を見て育った。
初めて見たビデオは80年代末期に発表されたパウエルの「パブリックドメイン」という作品。
このビデオは今も僕の中で大き過ぎる作品だ。
それ以降にも「BAN
THIS」「プロパガンダ」などといったパウエルのビデオは名作揃いだった。
当時パウエルと同様にシーンを担っていたカンパニー
「サンタクルーズ」も同様に名作ビデオを何本もリリース。
なかでも「Skateboarding
is not a crime/スケートすることは犯罪ではない」
というスローガンを掲げたビデオ「streets of
fire」は不朽の名作だった。
90年代になるとインディペンデントなカンパニーが出来始め、
いわゆるホームビデオで簡単に作れるような作品が世に出始めた。
その最初となる作品が
世界初のスケートビデオマガジン的な内容だったサンタクルーズの「STRANGE NOTES」だったと思う。
これは内容的にはボリュームのあるようなものではなかったが、
当時の僕を含むスケートフリーク達は常に本場アメリカの情報を欲しがっていた為、
かなり重宝したマニアックなビデオの典型だった。その後ワールドインダストリーが発足し、
最初のビデオ「RUBBISH
HEAP」というビデオがこれまた簡単なホームビデオ作品として世に出る。
この作品もかなりの名作。
マイクバレリーがパウエルからワールドに移籍後の初ビデオの為かなりの話題を呼んだビデオだった。
編集も粗雑なものだったが、
ホームビデオカメラによる撮影でウィールの音や現場感がやけに生なましくリアルな効果の出た作品だった。
その後、同じワールドインダストリーズ傘下のブラインドから現在まで続く
スケートシーンの主流を作ったビデオ「video
days」が発表。
このビデオの出現が後のスケートビデオの存在を大きく左右することになったのではないかと思う。
それぐらいこのビデオの持った影響力というものは絶大だった。
BGMにもソウルやファンク、そしてジャズなどといった
今までのスケートビデオには使われずらかった音楽を使い、
新たなスケートフッテージの見せ方に世界は驚いた。
その後、その流れでスケートビデオは進化していく。
90年代中期には世界初のインディペンデントスケートビデオマガジンが定期的に発表され
現在のシーンの流れを作った。
現在では皆さんも御存知の通りCGを使う映像があったり、
スポットを爆破するようなものがあったりと、
各カンパニーがこぞって新しい表現方法をスケートビデオに落とし込んでいくようになる。
しかしながらここ日本でのスケートビデオの歴史はどういうものか?ということについては
次回のコラムで書こうと思います。
結構掘り下げてみますので宜しければ是非ともご覧くださいませ。
それでは次回まで! 御元気で!
FESN代表 森田貴宏
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