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 COLUMN
skate columnSKATE COLUMN 2007/10/17  
羽太芳夫(HABUTO YOSHIO)
29歳 有限会社ビッグウイング代表
スケートボードに取り憑かれて早16年。。
2年前に自分でスケートボードの代理店を始めました。
仕事も、遊びもスケートボードとは常に一緒です。
1回目 2007/8/22 『どうも!ハジメマシテ!』
2回目 2007/9/5 『ぷろすけ~た~』
3回目 2007/9/18 『え~エスR』
4回目 2007/10/3 『交通渋滞パート1』
5回目 2007/10/17 『交通渋滞パート2』

『交通渋滞パート2

前回からの続きで~す。
その半月後SANDIEGOで行われたASRでRICKYと会い、TRAFFICに関してミーティングをしました。
まず、彼からTRAFFICをBIGWINGで扱ってほしいと。
それと、BIGWINGに話をする前に日本の2つの会社に話をしたけど、凄く積極的で良い会社だったけど、今は扱えないと断られたという話も聞きました。
何故なんだろう。。でも、この後の彼の話を聞いてわかった気がします。。。
まず、お金がなくてTRAFFICの経営状態もかなり厳しい。そしてTRAFFICのPROライダー”ANTHONY CORREA”もスケートに対するモチベーションがなくほとんどスケートしていないと。
そして来月にはそのANTHONY CORREAを首にしないといけなくなる。そうなると、TRAFFICに所属しているプロスケーターはRICKY(社長)だけになってしまうし、RICKY一人でやってる会社で、なおかつお金も厳しいと。。。
その話を聞く限り、いつ潰れてもおかしく無い状況だと感じました。

だけど、彼はすべてを話してくれて嘘はつかない正直な人だと感じたこと、彼は僕の中ではヒーローでEASTREN EXPOSURE3で僕にスケートボードへのモチベーション、感動を与えたくれた人だということ、彼がどんなことがあってもTRAFFICを続けると言ったこと、もうこれだけで十分というか、僕の中ではもう断る理由はなく日本でTRAFFICをやりたい!と思い、日本で扱うことを決めました。
また、個人的に感動したこともあって、それはRICKYから”君の方の経営状態もRICHからすべて聞いてるよ。小さい会社だけど良い会社みたいだね”と言われたこと。
僕の会社は多くの仲間からの協力があるけど、基本1人でやってる会社で、始まって1年目で仕事も今以上にむちゃくちゃ大変な時期でした。
スケートボードでずっと前から尊敬して来た人にそんなことを言われてまじ泣けたし、ずしっときた。
そして、RICHのことを思いだしました。
RICHが俺の家にいきなり遊びにきたことによってRICKYからの信頼も得ることができたってことです。
未だにRICHがあのタイミングで東京に来たのは、なんだったんだろと思う。。
TOKYOとPHILLYの親善大使か?!
それと、その時にもう一つすごい出来事があったのですが、RICKYとのミーティングが終わった後に彼からBIGWINGで扱ってる他のブランドの話になり、他に何かブランドを扱う気はあるのか?!と聞かれて、個人的に????(ブランド名)が 好きで興味があると話したら、いきなり”こい!”って言われて会場内のそのブランドのブースの前に連れていかれ、彼が凄い勢いでブースにに入って行き、BIGWINGを紹介し始めました。彼はそれから30分ぐらいマシンガントークでそのブランドの人達に一方的に話しまくり。。僕はビックリしていて何も言えず。。
RICKYはそのブランドの人達ともちろん知り合いだったけど、いきなりRICKYが突っ込んで来てそのブランドの人達もかなり、ビックリしていました。そして、それを見ていた周りの人もビックリ!!
けど、最近になってそのブランドも僕の会社で扱える様になりました。これもRICKY OYOLAのおかげです。
その時のRICKYの誠意ある行動がヤバすぎて、今でも昨日のことの様に覚えてます。
その後、僕の会社でTRAFFICが始まり出した頃、DESHIが所属するアンビリーバース(これもBIGWINGで扱っていました。)というブランドがなくなってしまうことになりました。
DESHIは、元々同じ地元の奴で昔から知っていたし、良く一緒にスケートも、遊びもしていた仲です。
俺はDESHIに対して友達だからということだけでなくスケーターとして本当にリスペクトをしていて、彼が持っているパワー、影響力も知っています。丁度これから一緒にやろうって思ってた矢先の出来事だったので凄くショックでした。
しかし、その時にお互いに”はっ”と浮かんだことがありました。それがTRAFFICです。
俺は昔、PHILLYに影響されまくりの滑りをしていたDESHI を知ってるし、今でも彼がそのノリを持ってスケートしていることも知っていました。
けど丁度その時のDESHIはアール,パークのイメージが凄く強かったのでTRAFFICにはどうだろう?!イメージに合っているのか!?となっていました。
しかし、俺とDESHIがお互いに一緒にやりたいという気持ちもあって、二人して思ったことがTRAFFIC JAPANライダーになるにしろRICKYに聞いて確認を取ろうと。
それで、RICKYが駄目だって言うならしょうがないという気持ちで、僕はこの春のASRに行った時にDESHIから預かった2つのバージョンのスポンサービデオをRICKYに見せました。
そして、RICKYから日本のライダーとしてDESHIはOKだ。と。
しかし、その時に彼が言っていたのは、”スポンサービデオは良かったんだけど、本来なら一緒に滑ってDESHIのスキルを見たいところなんだ。でも、BIGWINGがDESHIを押していることとRICHからDESHIが凄いと話を聞いている。”
また、RICHのことを思い出しました。やっぱり彼は親善大使か?!
それからしばらくして いろいろやり取りがありDESHIはTRAFFICの本国のTEAM入りを果たしました。
http://www.trafficskateboards.com/news/96
http://www.trafficskateboards.com/
この件にもいろいろストーリーがあるのですが、それはまた今度ってことで。
でも、これでTRAFFIC DVD"VIA"にゲスト出演していたBOBBY PULEO, JACK SABBACK, DESHI,(DVD発売時には全員TRAFFICじゃなかった。)
みんなTRAFFICのライダーになっちまった。。何かあるなこれは。。偶然なのか?!

ともかく、TRAFFICというハードコアなブランドが僕の人生を変えてくれています。
この一年本当に波瀾万丈な凄い流れで今に至ってるんでビックリしています。
K.Tさんまじありがとう。

そして、最後までこの長い話を読んでくれた人にはちょっとだけ教えちゃいま す。
TRAFFICでこれから更にびっくりすることが起ります。2月に。

まぁ、スケートボード通して僕はこんな経験をしたっていう話でした。
そして、僕のコラムは今回で終了です。
今回のコラムは僕の扱っているブランドのことになってしまって、宣伝っぽくなってごめんなさい。
でも、こんな経験はほんと今までなかったんで伝えておきたかったのです。
では、また何処かで。
さよなら。さよなら。

skate column羽太芳夫(HABUTO YOSHIO)
1回目 2007/8/22 『どうも!ハジメマシテ!』
2回目 2007/9/5 『ぷろすけ~た~』
3回目 2007/9/18 『え~エスR』
4回目 2007/10/3 『交通渋滞パート1』
5回目 2007/10/17 『交通渋滞パート2』
 
 
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